ミカ書3:1-4:8 ミカ2『集められる人々』2022/01/09 けんたろ牧師

ミカ 3:1-4:8
3:1 私は言った。「聞け。ヤコブのかしらたち、イスラエルの家の首領たち。あなたがたは公正を知っているはずではないか。
3:2 あなたがたは善を憎んで悪を愛し、人々の皮を剝ぎ、その骨から肉をそぎ取る。
3:3 わたしの民の肉を食らい、皮を剝ぎ取って、骨を打ち砕き、鍋の中のもののように、また大釜の中の肉切れのように、それを切れ切れに裂く。」
3:4 そのため彼らが【主】に叫んでも、主は彼らに答えない。そのとき、主は彼らから顔を隠される。彼らの行いが悪いからだ。
3:5 預言者たちについて、【主】はこう言われる。「彼らはわたしの民を惑わし、かむ物が歯にあれば『平和があるように』と叫ぶが、口に何も与えない者には聖戦を布告する。」
3:6 それゆえ、あなたがたには、夜にも幻がなく、暗闇にも占いがない。太陽も預言者たちの上に沈み、昼も彼らの上で暗くなる。
3:7 先見者たちは恥を見、占い師たちは屈辱を味わう。彼らはみな、口ひげをおおう。神の答えがないからだ。
3:8 しかし、私には力が満ちている。【主】の霊によって、公正と勇気に満ちている。ヤコブにはその背きを、イスラエルにはその罪を告げる。

前回も話したが、ミカ書は4つのセクションに分けることができ、それぞれイスラエルの罪と裁きについてと、救い主に関する預言の両方が描かれている。
1~2章では、イスラエルやユダの姦淫の罪、盗みの罪、虚言の罪について宣べられ、その罪のゆえに滅ぼされることが記されていた。
今回は、3章で罪について語られ、4章の1~8節はメシヤの預言となっている。

① 聞け、ヤコブのかしらたち
ここに記されているのはリーダーたちの罪について。

3:1 私は言った。「聞け。ヤコブのかしらたち、イスラエルの家の首領たち。あなたがたは公正を知っているはずではないか。

リーダーは、人々を導く役割があるので、他の人たちよりも大きな責任が伴う。
ヤコブは手紙の中でこのように忠告している。

ヤコブ 3:1 私の兄弟たち、多くの人が教師になってはいけません。あなたがたが知っているように、私たち教師は、より厳しいさばきを受けます。

神の裁きがあるなら、その時にもっとも大きな裁きを受けるのはリーダーとなる。
教会に裁きが下されることになるなら、最も大きな裁きを受けることになるのは牧師。
ましてや、イスラエルのリーダーたちは国民を食い物にするようなリーダーが多かった。
彼らにより厳しい裁きが降るのは当然のことだろう。

預言者のことについても、このように記されている。

3:5 預言者たちについて、【主】はこう言われる。「彼らはわたしの民を惑わし、かむ物が歯にあれば『平和があるように』と叫ぶが、口に何も与えない者には聖戦を布告する。」

預言者たちは神さまの言葉を伝えず、神のことばであるように装いながら、そこには何も問題がないかのように教えていた。
彼らは金のために神のことばを伝えるふりをして、嘘を教えていたのである。

② その終わりの日
そのような状態になっていた、リーダーや預言者たちの責任は重い。
彼らの言葉や導きに従って、多くの人々が滅びの道へと進んでしまったのだから。

では、それに聞き従った人たちに責任はないのだろうか?
「リーダーがそう命じたから」「預言者がそのように教えていたから」仕方がないのだろうか?
そうではない、それに従った人たちにも責任がある。
エバの言葉に従って善悪の知識の木から取って食べたアダムにも大きな責任があったように、私たちは自分の歩みや行動に対してみんな責任を持っている。

大切なのは、私たち自身がそのような言葉に惑わされないことだ。
自らが神さまに聞き、従うことを放棄してはならない。
考えることを止めて、それを他の人に委ねてしまったら、私たちは権力者たちに操られるままになってしまうだろう。
教会のカルト化も、そのようにして起こるのだ。

私たちは、真実に耳を傾ける勇気と神さまに信頼する信仰が求められている。

③ 娘エルサレムの王国
目を覚まして神さまに聞き従い続けた人たちには、全てが清算されるときが来ることをミカは伝えている。

ミカ 4:1 その終わりの日、【主】の家の山は、山々のかしらとして堅く立ち、もろもろの丘よりも高くそびえ立つ。そこへもろもろの民が流れて来る。
4:2 多くの国々が来て言う。「さあ、【主】の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう。」それは、シオンからみおしえが、エルサレムから【主】のことばが出るからだ。
4:3 主は多くの民族の間をさばき、遠く離れた強い国々に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。
4:4 彼らはみな、それぞれ自分のぶどうの木の下や、いちじくの木の下に座るようになり、彼らを脅かす者はいない。まことに万軍の【主】の御口が告げる。

その時、全ての民が主の元に来て、主に従う。
そこにはもう争いもなく、永遠の平和が訪れる。
いつ起こるのだろうか?
そう、ここでは終末に起こることが預言されているのだ。
そして話は、再び今の話しへと戻る。

ミカ 4:5 まことに、すべての民族は、それぞれ自分たちの神の名によって歩む。しかし、私たちは、世々限りなく、私たちの神、【主】の御名によって歩む。

世の人たちは、それぞれ信じるところに従って、他の神々や偶像により頼むだろう。
でも私たちは、真の神に聞き従う者として歩んでいこう。
そんな決意と励ましがここにある。
そして「その日」、神さまの計画が現実のものとなるイエスさまが地上に来られた時、そこにはこのようなことが起こるとミカは預言している。

ミカ 4:6 「その日──【主】のことば──わたしは足を引きずる者を集め、追いやられた者、また、わたしが苦しめた者を呼び集める。
4:7 わたしは足を引きずる者を、残りの者とし、遠くへ移された者を、強い国民とする。【主】であるわたしが、シオンの山で、今よりとこしえまで、彼らの王となる。
4:8 あなたは、羊の群れのやぐら、娘シオンの丘。あなたには、あのかつての主権、娘エルサレムの王国が戻って来る。」

歩くことができない人たち、みんなから追いやられた人たちが、主のもとに集められる。
そして虐げられた人たちを中心に神の国は作られるのだ。
どうやってそれが可能になるのか?
それは、主が聖霊を送り、私たちの内に住んでくださることによって、私たちの肉が死に、霊が生きるとき、私たちは神の国で生きることになるのだ。

私たちは誰でも、神の国の住人となる事ができる。
その道は誰の前にでも開かれている。
でも、その道を進もうとする者は多くない。
私たちは、自分が王なる事を何よりも優先させたいからだ。

自分の王国は捨てよう。
また、誰か他の人を王にすることも止めよう。
私たちは、主を王として生きようではないか。
神さまが約束した神の国は、すぐそこにあるのだから。