ミカ4:9-5:15 ミカ3「王はいないのか?」 2022/01/23 けんたろ牧師

ミカ 4:9-5:15
4:9 今、なぜあなたは大声で叫ぶのか。あなたのうちに王がいないのか。あなたの助言者は滅び失せたのか。それで、子を産む女のような激しい痛みがあなたをとらえたのか。
4:10 娘シオンよ。子を産む女のように、身もだえして、もがき回れ。今、あなたは町を出て野に宿り、バビロンまで行く。そこで、あなたは助け出される。そこで、【主】があなたを敵の手から贖い出される。
4:11 今、多くの国々があなたに敵対して集まり、そして言う。「シオンは汚されるがよい。われわれはこの目でじっとそれを見ていよう」と。
4:12 しかし彼らは【主】の御思いを知らず、その御計らいに気づかない。主は、打ち場の麦束のように彼らを集められたのだ。
4:13 「娘シオンよ、さあ、脱穀せよ。わたしが、あなたの角を鉄とし、あなたのひづめを青銅とする。あなたは多くの国民を粉々に砕き、彼らの不正な利得を【主】のために、彼らの財宝を全地の主のために聖絶する。」
5:1 今、軍勢をなす娘よ、勢ぞろいせよ。包囲網が私たちに対して設けられた。彼らは、イスラエルをさばく者の頬を杖で打つ。
5:2 「ベツレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。」
5:3 それゆえ、彼らはそのままにしておかれる。産婦が子を産む時まで。そのとき、彼の兄弟のほかの者はイスラエルの子らのもとに帰る。
5:4 彼は立って、【主】の力と、彼の神、【主】の御名の威光によって群れを飼う。そして彼らは安らかに住まう。今や彼の威力が、地の果ての果てまで及ぶからだ。
5:5 平和は次のようにして来る。アッシリアが私たちの国に来て、私たちの宮殿を踏みにじるとき、私たちはこれに対抗して七人の牧者、八人の指導者を立てる。

ミカ書は4つのセクションに分けることができ、それぞれイスラエルの罪と裁きについてと、救い主に関する預言の両方が描かれている。
1~2章では、イスラエルやユダの姦淫の罪、盗みの罪、虚言の罪について、3~4章前半はリーダーたちの罪について記されていた。

① ユダの人々に下される裁き
4章の後半から5章が3つ目のセッション。
ここでは、2つ目のセッションで記されていたリーダーたちに従った人々の罪と裁きのことが書かれている。

4:9 今、なぜあなたは大声で叫ぶのか。あなたのうちに王がいないのか。あなたの助言者は滅び失せたのか。それで、子を産む女のような激しい痛みがあなたをとらえたのか。

人々が支持し、従ったリーダーたちはみな裁きが下されていなくなってしまった。
リーダーたちの責任は大きいので、より大きな裁きが彼らに下る。
でも、リーダーでなければ問題がないということではない。
リーダーたちをリーダーとして支持し、従ったのは彼らなのだから。

4:10 娘シオンよ。子を産む女のように、身もだえして、もがき回れ。今、あなたは町を出て野に宿り、バビロンまで行く。そこで、あなたは助け出される。そこで、【主】があなたを敵の手から贖い出される。

驚かされるのは、今この時代にイスラエルを悩ませていたのはアッシリア帝国だったのに、ここではその後に出てくるバビロンについて書かれていること。
新バビロニアはこの頃未だ独立もしておらず、アッシリア帝国の中の一地域でしかない。
当時の人たちはアッシリア帝国の捕囚によってバビロンに連れていかれると受け取っただろうが、この預言から100年と経たない内にバビロンは独立し、ついにはアッシリア帝国を滅ぼしてしまう。
そしてユダ王国はこの新バビロニアによって倒され、多くの人々が新バビロニアに連れていかれ、しかしその後アケメネス朝ペルシャが新バビロニアを倒したことによって、ユダヤ人たちは解放されることになる。
そこまでの200年くらいの間に起こることが、ここで預言されているのだ。

ここに語られている裁きは、彼らが主に従うのではなく、間違ったリーダを選び、間違ったリーダーを煽って、間違った方向に進み続けた人々の罪のゆえに与えられることとなった。

② イスラエルを傍観していた人々への裁き
こうして、イスラエルという民族が裁きを受け、滅ぼされていくことを傍観している周りの諸国があった。

4:11 今、多くの国々があなたに敵対して集まり、そして言う。「シオンは汚されるがよい。われわれはこの目でじっとそれを見ていよう」と。

彼らはそれを他人事のように思い、イスラエルが滅ぼされるのもいい気味だと思っていたようである。
ところがイスラエルに下された裁きは、それで終わるものではなかった。
そしてそこには大逆転が起こり、今度はそれを傍観していた人々の上に裁きが降ることがここでは預言されている。

4:12 しかし彼らは【主】の御思いを知らず、その御計らいに気づかない。主は、打ち場の麦束のように彼らを集められたのだ。
4:13 「娘シオンよ、さあ、脱穀せよ。わたしが、あなたの角を鉄とし、あなたのひづめを青銅とする。あなたは多くの国民を粉々に砕き、彼らの不正な利得を【主】のために、彼らの財宝を全地の主のために聖絶する。」
5:1 今、軍勢をなす娘よ、勢ぞろいせよ。包囲網が私たちに対して設けられた。彼らは、イスラエルをさばく者の頬を杖で打つ。

この時、世界への裁きはイスラエルによってなされると神さまは語っている。
でもこれは、イスラエルの民族でも国民でもない、イスラエルから生まれるひとりの人によってなされるのである。
それは、救い主イエスである。

③ ベツレヘムから救い主が来る
そして、その救い主がどこから生まれてくるのか、ミカ書にははっきりと記されている。

5:2 「ベツレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。」

ベツレヘム・エフラテで、救い主が生まれることがここには預言されている。
「エフラテ」というのはベツレヘムの古い呼び名。
後に、救い主イエスさまが産まれ、東方の賢者たちがヘロデ大王の元を訪れた時、「新しい王」の生まれる場所として判断されたのはこの箇所を通してだった。

5:3 それゆえ、彼らはそのままにしておかれる。産婦が子を産む時まで。そのとき、彼の兄弟のほかの者はイスラエルの子らのもとに帰る。
5:4 彼は立って、【主】の力と、彼の神、【主】の御名の威光によって群れを飼う。そして彼らは安らかに住まう。今や彼の威力が、地の果ての果てまで及ぶからだ。

その時が来たら、イスラエルの子らは集められる。
そこで、羊飼いに養われ、そこで人々は安らかに住まうことになる。
これは、もちろん終末に起こることの預言である。

5:5 平和は次のようにして来る。アッシリアが私たちの国に来て、私たちの宮殿を踏みにじるとき、私たちはこれに対抗して七人の牧者、八人の指導者を立てる。

こうしてアッシリアの名まえが出るとミカの時代の出来事のように思うが、これもまた終末の預言である。
この節に出てくる七人の牧者、八人の指導者とは実際の人数ではなく、完全なリーダーを表している。
つまり、イエスさまだ。

ミカ書で記されている人々の罪と裁きは、この時代の人々に限ったことでも、イスラエルという一つの国や民族だけの話しでもない。
罪はすべての国民の中にあり、やがてその罪が裁かれるときが来る。
しかし、私たちは主とともに永遠に安らぐことができるのだ。
この約束は私たちにとって大きな希望ではないだろうか?
神さまが私たちに伝えたいのは、罪と裁きに委縮することではなく、その先にある救いの希望をつかむことなのだ。
私たちも、その希望をつかもうではないか。