ミカ 6:1-7:20 ミカ4 『主は何を求めているのか?』 2022/02/06 けんたろ牧師

ミカ 6:1-7:20
6:1 さあ、【主】の言われることを聞け。立ち上がれ。山々に訴えよ。もろもろの丘にあなたの声を聞かせよ。
6:2 山々よ、聞け。【主】の訴えを。変わることのない地の基よ。【主】がご自分の民を訴え、イスラエルと論争される。
6:3 「わたしの民よ、わたしがあなたに何をしたというのか。どのようにしてあなたを煩わせたというのか。わたしに答えよ。
6:4 わたしはあなたをエジプトの地から上らせ、奴隷の家からあなたを贖い出し、あなたの前にモーセと、アロンと、ミリアムを送った。
6:5 わたしの民よ、思い起こせ。モアブの王バラクが何を企んだか。ベオルの子バラムが彼に何と答えたか。シティムからギルガルまでに何があったか。それは、あなたが【主】の正しいわざを知るためであった。」
6:6 何をもって、私は【主】の前に進み行き、いと高き神の前にひれ伏そうか。全焼のささげ物、一歳の子牛をもって御前に進み行くべきだろうか。
6:7 【主】は幾千の雄羊、幾万の油を喜ばれるだろうか。私の背きのために、私の長子を、私のたましいの罪のために、胎の実を献げるべきだろうか。
6:8 主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか、【主】があなたに何を求めておられるのかを。それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。

ミカ書は4つのセクションに分けることができ、それぞれイスラエルの罪と裁きについてと、救い主に関する預言の両方が描かれている。
1~2章では、イスラエルやユダの姦淫の罪、盗みの罪、虚言の罪について、3~4章前半はリーダーたちの罪について、4章の後半から5章までは、リーダーに従った人々の罪とその裁きについて語られていた。

しかし、それぞれのセクションは希望の言葉で終わっている。
それは、神さまが私たちに救いの御手を伸ばしてくださり、救い主が地上に来ることによって救われるときが来るということ。
神に従う者は今は貧しく、虐げられていたとしても、全てが覆されるという希望である。

① 何が良いことなのか
4つ目のセクションでは、イスラエルの罪と裁きの中で、神さまがどのような思いでいるかということが語られている。

6:3 「わたしの民よ、わたしがあなたに何をしたというのか。どのようにしてあなたを煩わせたというのか。わたしに答えよ。
6:4 わたしはあなたをエジプトの地から上らせ、奴隷の家からあなたを贖い出し、あなたの前にモーセと、アロンと、ミリアムを送った。
6:5 わたしの民よ、思い起こせ。モアブの王バラクが何を企んだか。ベオルの子バラムが彼に何と答えたか。シティムからギルガルまでに何があったか。それは、あなたが【主】の正しいわざを知るためであった。」

神さまがこれまで、どれほどイスラエルを愛し、イスラエルを助けてきたか。
その全てを、私たちは聖書や歴史の中で見ることができる。
それに対してどのようにして、神さまの恩に報いることができるだろうか?

6:6 何をもって、私は【主】の前に進み行き、いと高き神の前にひれ伏そうか。全焼のささげ物、一歳の子牛をもって御前に進み行くべきだろうか。
6:7 【主】は幾千の雄羊、幾万の油を喜ばれるだろうか。私の背きのために、私の長子を、私のたましいの罪のために、胎の実を献げるべきだろうか。

どれほど大きな犠牲を捧げても足りないではないか、とミカは語っている。
それでは、神さまは私たちに何を望んでいるだろう?

6:8 主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか、【主】があなたに何を求めておられるのかを。それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。

神さまが私たちに求めるのは、ただそれだけのことだ。
それなのに私たちは、そんなことすらしないで、むしろ神さまを裏切り、背き、離れてしまった。
「ならば私たちも裁きを受けて当然ではないか。」
それが、預言者ミカの思いである。

② 誰も信頼できない
6章後半から7章の中盤くらいまでは、これからイスラエルに訪れる、そしてやがて世界に訪れる裁きとその嘆きについて書かれている。
それはとても悲しいことだが、差し伸べられた救いの御手をつかまず、私利私欲や自分の願望を叶えることを選んで自分の道を進み続けるなら、その先には滅びしかない。
ここでミカは、注意を促している。

ミカ 7:5 あなたがたは友を信用するな。親しい友も信頼するな。あなたの懐に寝る者からも、あなたの口の戸を守れ。
7:6 子は父を侮り、娘はその母に、嫁はその姑に逆らい、それぞれ自分の家の者を敵とする。

その時には、誰も当てにすることはできない。
それどころか、身近な人たちが敵に回り、私たちを神さまから引き離し、滅びに繋がる道へと引き込もうとするだろう。
周りを見て判断しがちな私たち日本人は、特に注意が必要だろう。
イエスさまもこのことについて話している。

マタイ 10:21 兄弟は兄弟を、父は子を死に渡し、子どもたちは両親に逆らって立ち、死に至らせます。
10:22 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。

私たちは最後まで、人ではなく主により頼みたいものだ。

③ あなたのような神が、ほかにあるでしょうか
4つ目のセクションで記されているメシヤは、7章14節から最後までのところ。

ミカ 7:14 どうか、あなたの杖で、あなたの民を、あなたのゆずりの群れを牧してください。彼らは林の中、果樹園の中に、ひとり離れて住んでいます。どうか、彼らが昔の日のように、バシャンとギルアデで草をはむようにしてください。

私たちの王、私たちの羊飼いとなり、私たちを豊かな地(神の国)に導いてください。

7:15 「あなたがエジプトの地から出た日のように、わたしは奇しいわざを彼らに見せる。」
7:16 諸国の民は見て、自分たちのすべての力を恥じ、手を口に当て、彼らの耳は聞こえなくなります。
7:17 彼らは、蛇のように、地を這うもののように土をなめ、震えながら自分たちの洞穴から出て来ます。そして、私たちの神、【主】のみもとで、おじ惑い、あなたを恐れます。

その時、自分の力により頼んでいた人たちは、あなたを前にして自分の無力さを知り、へりくだり、恐れることしかできないでしょう。

7:18 あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。あなたは咎を除き、ご自分のゆずりである残りの者のために、背きを見過ごしてくださる神。いつまでも怒り続けることはありません。神は、恵みを喜ばれるからです。
7:19 もう一度、私たちをあわれみ、私たちの咎を踏みつけて、すべての罪を海の深みに投げ込んでください。
7:20 昔、私たちの父祖たちに誓われたように、ヤコブにまことを、アブラハムに恵みをお与えください。

私たちも、これまで主に背き、たくさんの罪を犯してきたことに関して中身は諸国の民と大して変わらない。
しかし、主は憐れみ深い方、私たちを赦し怒り続けることはない。
悔い改めて、主に立ち返り、その恵みを受け取ろうではないか。