ナホム1:1-11 ナホム『荒らす者が砕かれるとき』 2022/02/13 けんたろ牧師

ナホム 1:1-11
1:1 ニネベについての宣告。エルコシュ人ナホムの幻の記録。
1:2 【主】はねたんで復讐する神。【主】は復讐し、憤る方。【主】はご自分に逆らう者に復讐し、敵に対して怒る方。
1:3 【主】は怒るのに遅く、力強い方。決して罰せずにおかれることはない。【主】は、その道がつむじ風と嵐の中にあり、雲は、御足がかき立てるほこりである。
1:4 主は海を叱って干上がらせ、すべての川を涸らされる。バシャンとカルメルはしおれ、レバノンの花もしおれる。
1:5 山々は主の前に揺れ動き、もろもろの丘は溶け去る。地は御前でくつがえる。世界とその中に住むすべてのものも。
1:6 主の激しい憤りの前に、だれが立てるだろうか。だれが、その燃える怒りに耐えられるだろうか。主の憤りは火のように注がれ、岩々は御前に打ち砕かれる。
1:7 【主】はいつくしみ深く、苦難の日の砦。ご自分に身を避ける者を知っていてくださる。
1:8 しかし、押し流す大水でその場所を滅ぼし尽くし、敵どもを闇に追いやられる。
1:9 おまえたちは【主】に対して何を企むのか。主は滅ぼし尽くす方。敵対する者は二度と立ち上がれない。
1:10 彼らは、絡みついた茨。大酒飲みの酔っぱらいのようだ。乾ききった刈り株のように焼き尽くされる。
1:11 おまえたちの中から、【主】に対して悪を謀り、よこしまなことを企てる者が出た。

ナホム書はニネベ、つまりアッシリア帝国の滅亡について書かれた短い預言の書。
内容に関してはそれほど難解なものではなく、解説を必要とはしないと思う。

ナホム書は、ヨナ書の続きと言ってもいい話である。
かつて傲慢になり、自分たちが神であるかのように振舞っていたアッシリアに預言者ヨナが送られた。
預言者であるヨナでさえこの国の救いのために働きたくないと思ったアッシリアだったが、「あと四十日すると、ニネベは滅びる。」(ヨナ3:4)という言葉を聞いた人々はみんな悔い改めた。
それによってアッシリア帝国は裁きを免れたというのがヨナ書での話。

皮肉なことに、神さまから離れてどうしようもない状態になってしまった北イスラエル王国は、このアッシリアによって滅ぼされることになってしまった。
ナホム書は、この出来事が起こってから100年近く経ったアッシリアについて書かれた預言の書である。

① ねたんで復讐する神
ナホムの預言は、このような言葉から始まっている。

1:2 【主】はねたんで復讐する神。【主】は復讐し、憤る方。【主】はご自分に逆らう者に復讐し、敵に対して怒る方。

ここに出てくる「ねたむ」「復讐する」「憤る」という言葉は、私たちには悪い印象を受ける言葉なので、多くの人が戸惑う部分かも知れない。
私たちの基準や価値観に当てはめてしまい、感情的で気難しい神さまをイメージしてしまうからだ。

神さまは創造主であり、絶対的な存在なので、私たちは神さまを基準にしてこの言葉の意味を吟味するべきであって、聖書の言葉を基準にして神さまを判断するべきではない。

神さまが「ねたむ」とは、私たちが神さま以外のものを求めることを憎むということであり、それは当然のことであるばかりか、私たちをそれほどまでに激しく愛し、大切に思っていることの証である。
同じように、「復讐する」のは神さまの正義を表わし、「憤る」のは神さまの誠実さを物語っている。
思いがなければ適当で済ませるし、関心も払わない。
創造主という偉大な存在が私たちに目を留めるということそのこと自体が驚くべきことであり、神の愛の深さなのだ。

② 繰り返される悲劇と希望
ナホム書に書かれている言葉の多くは、他の聖書箇所や預言者の言葉がベースになっている。

1:3 【主】は怒るのに遅く、力強い方。決して罰せずにおかれることはない。【主】は、その道がつむじ風と嵐の中にあり、雲は、御足がかき立てるほこりである。

この言葉は、金の子牛事件の後、モーセが再び十戒を受け取ったときに示された神さまご自身の性質。

他にも、ナホムが表現しているアッシリアの滅びの言葉の多くは、イザヤ書の中でイザヤがバビロンの滅びについて預言している言葉と重なっている。

ナホム 1:15 見よ。良い知らせを伝える人の足が、平和を告げ知らせる人の足が山々の上にある。ユダよ、あなたの祭りを祝い、あなたの誓願を果たせ。よこしまな者たちは、もう二度とあなたの間を通り過ぎることがない。彼らはみな、絶ち滅ぼされた。

イザヤ 52:7 良い知らせを伝える人の足は、山々の上にあって、なんと美しいことか。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、「あなたの神は王であられる」とシオンに言う人の足は。

これは、ナホムの預言がアッシリアのことについてだけでなく、歴史上に存在するあらゆる悪の帝国、その傲慢と支配に共通した出来事であることを意味している。
人の心は権力によっていつもゆがみ、傲慢になり、人々を支配し、自らを神とする。
それは繰り返される恐怖であり、悲劇である。
しかし、それは必ず砕かれるときが来ると聖書は私たちに教えているのだ。

③ 慈しみ深い神
今の世の中にも、アッシリアのように残虐な支配と抑圧は起こる。
それに該当するような国を思い出す人もいるだろう。
もっと身近なところで、家族や会社でそのような支配を感じ取る人もいるかもしれない。
今は経験していないけれど、これからそのような体験をする人もいるかもしれない。
そんな時に、ナホム書に書かれていることを思い出して欲しい。
悪の支配は永遠に続くものではないということだ。

ナホム書にはこうも書かれている。

1:7 【主】はいつくしみ深く、苦難の日の砦。ご自分に身を避ける者を知っていてくださる。

私たちに必要なのは、まず私たち自身が主に繋がり、寄り頼むこと。
主を苦難の日の砦として、身を避けること。
その中で、私たち自身が立ち向かい戦わなければならなくなることもあるかもしれない。
そんな時にも、私たちが主とともにいるなら、私たちはきっと乗り越えることができるだろう。
神さまの時が来ることを信頼して、その時を待とう。
悪は必ず打ち砕かれる。