イザヤ42:1-10 「傷ついた葦を折ることなく」―主の僕がもたらす神の義― 2022/05/01 小西孝蔵

〇イザヤ書42章
1 「見よ。わたしが支えるわたしのしもべ、わたしの心が喜ぶ、わたしの選んだ者。わたしは彼の上にわたしの霊を授け、彼は国々にさばきを行う。2 彼は叫ばず、言い争わず、通りでその声を聞かせない。3 傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯芯を消すこともなく、真実をもって公義をもたらす。4 衰えず、くじけることなく、ついには地に公義を打ち立てる。島々もそのおしえを待ち望む。」5 天を創造し、これを延べ広げ、地とその産物を押し広げ、その上にいる民に息を与え、そこを歩む者たちに霊を授けた神なる主はこう言われる。6 「わたし、主は、義をもってあなたを召し、あなたの手を握る。あなたを見守り、あなたを民の契約として、国々の光とする。7 こうして、見えない目を開き、囚人を牢獄から、闇の中に住む者たちを獄屋から連れ出す。8 わたしは主、これがわたしの名。わたしは、わたしの栄光をほかの者に、わたしの栄誉を、刻んだ像どもに与えはしない。9 初めのことは、見よ、すでに起こった。新しいことを、わたしは告げる。それが起こる前にあなたがたに聞かせる。」 10  新しい歌を主に歌え。その栄誉を、地の果てから。海に下る者、そこを渡るすべての者、島々とそこに住む者よ。

〇マタイによる福音書12章
12:13そしてイエスはその人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。そこで手を伸ばすばすと、ほかの手のように良くなった。 12:14パリサイ人たちは出て行って、なんとかしてイエスを殺そうと相談した。 12:15イエスはこれを知って、そこを去って行かれた。ところが多くの人々がついてきたので、彼らを皆いやし、 12:16そして自分のことを人々にあらわさないようにと、彼らを戒められた。 12:17これは預言者イザヤの言った言葉が、成就するためである、

〇ルカによる福音書4章
4:16それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた。 4:17すると預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を出された、4:18「主の御霊がわたしに宿っている。
貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、わたしを聖別してくださったからである。主はわたしをつかわして、囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、打ちひしがれている者に自由を得させ、4:19主のめぐみの年を告げ知らせるのである」。

〇イザヤ書2章
2:4彼はもろもろの国のあいだにさばきを行い、多くの民のために仲裁に立たれる。
こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない。
2:5ヤコブの家よ、さあ、われわれは主の光に歩もう。

〇イザヤ書11章
11:1エッサイの株から一つの芽が出、その根から一つの若枝が生えて実を結び、11:2その上に主の霊がとどまる。これは知恵と悟りの霊、深慮と才能の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。・・・11:4正義をもって貧しい者をさばき、公平をもって国のうちの柔和な者のために定めをなし、・・・11:5正義はその腰の帯となり、忠信はその身の帯となる。11:6おおかみは小羊と共にやどり、ひょうは子やぎと共に伏し、子牛、若じし、肥えたる家畜は共にいて、小さいわらべに導かれ、・・・11:8乳のみ子は毒蛇のほらに戯れ、乳離れの子は手をまむしの穴に入れる。

〇Isaih42
“Here is my servant, whom I uphold, my chosen one in whom I delight;
I will put my Spirit on him, and he will bring justice to the nations.
2 He will not shout or cry out, or raise his voice in the streets.
3 A bruised reed he will not break, and a smoldering wick he will not snuff out.
In faithfulness he will bring forth justice;4 he will not falter or be discouraged
till he establishes justice on earth In his teaching the islands will put their hope.”5 This is what God the LORD says—the Creator of the heavens, who stretches them out, who spreads out the earth with all that springs from it,
who gives breath to its people, and life to those who walk on it:6 “I, the LORD, have called you in righteousness; I will take hold of your hand. I will keep you and will make you to be a covenant for the people and a light for the Gentiles,
7 to open eyes that are blind, to free captives from prison and to release from the dungeon those who sit in darkness. “I am the LORD; that is my name! I will not yield my glory to another or my praise to idols.9 See, the former things have taken place, and new things I declare; before they spring into being I announce them to you.”

 

            (聖書朗読)(祈り)
1.前回の振り返り
・連休明けの予定で準備していていたメッセージを、急遽本日に前倒し。今回は、イザヤ書の4回目。イザヤ書1~39章の時代背景は、バビロン捕囚以前。神に反抗し続けるユダの民に対して、神の裁きの言葉と悔い改めの呼びかけについて預言。40章~56章は、第2イザヤともいわれるもので、イザヤの時代から100年以上後、バビロン捕囚に苦しむユダの民に対するメシアによる赦しと解放についての預言。その意味では、40章以降が、より新約聖書の福音に直結しているといってもいい。
・前回は、第2イザヤの最初、40章を取り上げ、そのタイトルは、「慰めよ、苦役は終わり、咎は償われた。」。ヘンデルのメサイアの第1部の冒頭に“Comfort ye, my people”で始まる、キリストによる救いの喜びの歌は、イザヤ40章から引用。とても感動的な箇所なので、機会を見てお聞き下さい。

2.イザヤ書42章1~10節
・本日の預言箇所は、イエスが伝道のご生涯のなかで何度も引用されている重要な箇所なので、節ごとに順次読んでいきたい。1~4節は、マタイ福音書12章で引用されている。

〇マタイによる福音書12章
「 12:14パリサイ人たちは出て行って、なんとかしてイエスを殺そうと相談した。 12:15イエスはこれを知って、そこを去って行かれた。ところが多くの人々がついてきたので、彼らを皆いやし、 12:16そして自分のことを人々にあらわさないようにと、彼らを戒められた。 12:17これは預言者イザヤの言った言葉が、成就するためである」。

 (1)主の僕と神の霊
「42:1わたしの支持するわがしもべ、わたしの喜ぶわが選び人を見よ。わたしはわが霊を彼に与えた。彼はもろもろの国びとに道をしめす。」
・主の僕の箇所は、この個所を始めとして4回出てくる。4回目は、有名な53章。主の僕とは、もともとは、イスラエルの民を指した。それが、イスラエルの民→指導者→キリスト自身を意味するようになった。私たちも、主の僕として、キリストに従うように神様から召されている。
・神様は、ご自分の霊を僕に与えられた。神の霊は、旧約聖書で百回近く出てくる言葉で、特に預言者や指導者に神の霊が下って神の意思が伝えらえた。新約聖書では、キリストは、バプテスマのヨハネから洗礼を受けられた時に聖霊が鳩のように下ったとある。私たちも復活のキリストによって神の霊、即ち聖霊を頂いた。パウロもロマ書8章14節で「神の霊によって導かれる者は神の子なのです。あなた方は、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊でなく、神の子とする霊を受けたのです」と述べている。

(2)傷ついた葦とくすぶる灯芯
「3 傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯芯を消すこともなく、真実をもって公義をもたらす」。
・葦という植物は、エジプトやイスラエルの低湿地に生える植物。日本では、ヨシズと呼ばれる夏の日よけに使われる植物でおなじみ。茎が杖の素材になるが、折れやすい。折れやすい葦の杖を折れないように、やさしく使うという意味。
・灯芯とは、当時、灯火の油の芯に使われる亜麻という植物の繊維で、不純物が多い灯芯はすぐ捨てられてしまいがちだが、不純物を取り除いて長く持たせるという意味が込められている。
・このように、神に反抗し、裁きとして、50年を超えるバビロン捕囚で傷みつけられたユダの民にたして、救い主は、やさしく労わり、新しい命を与えて下さるという希望のメッセージ。
・傷んだ葦、くすぶる燈心、最近はやりの言葉で言うと「フレール」、年を取るにつれて老化が進むように、脆い、壊れやすい状態をさす。精神的にも肉体的にもまともに生きていけない人たちに対し、イエス様は、憐みの気持ちをもって労わられた。現代でも、貧しい地域や難民の子ども達もこれに当てはまる。ワールドビジョンでも、キリストの愛を実践すべく、fragile(脆い)地域, vulnerable(最も弱い)子どもたちに寄り添って支援の手を差し伸べている。
・私たち自身も弱い、ちょっとしたことで折れやすい、傷つきやすい存在である。私自身、年を取ってくると体があちこちガタが来るし、物忘れが多くなって(先日もATMでかばんを忘れた!)、フレール になっているのを実感する。年に関係なく、将来の希望を失いかけている人たちをイエス様は優しさと憐みの心をもって受け入れ、養ってくださる。

(3)公義をもたらす
「4 衰えず、くじけることなく、ついには地に公義を打ち立てる。島々もそのおしえを待ち望む。」
・公義とは、ヘブライ語で、ミシュパットという言葉だそうで、正しい法、道、正義、裁き、公義、真理などとも訳されることがある。義と愛をもってこの世を支配される神様の意思、「神の義」と言ってもいい。キリストによる人類の罪の贖いと復活により、神の国が実現することでもある。イスラエルの民も、異邦人である現代の私たちも、神の前に義とされ、神の国の民に加えていただけるということ。

(4)囚われからの解放
「6 「わたし、主は、義をもってあなたを召し、あなたの手を握る。あなたを見守り、あなたを民の契約として、国々の光とする。7 こうして、見えない目を開き、囚人を牢獄から、闇の中に住む者たちを獄屋から連れ出す。」
この個所は、キリストが初めて故郷ナザレで伝道を始められた時に引用された箇所でもある。
〇ルカによる福音書4章
「4:16それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた。 4:17すると預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を出された、4:18「主の御霊がわたしに宿っている。貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、わたしを聖別してくださったからである。主はわたしをつかわして、囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、打ちひしがれている者に自由を得させる、」
・バビロン捕囚から解放されるイザヤ書の預言は、罪と病に縛られているユダの民にとって解放の福音となった。キリストは、病の縛り、罪の奴隷となっている民をそこから解放し、自由を得させるために来られた。十字架の死と引き換えに私たちの罪を贖い、聖霊の力に依って罪の束縛から解放し、自由にして下さる。
・話がそれるが、現代の日本の若い人たちは、社畜という言葉に現れているように、会社でこき使われて、会社の奴隷と感じるという声を聞く。確かにブラック企業やパワハラ行為もしばしば見受けられる。でも、奴隷と違うのは、いつでもやめて転職できるという点。また、現在の仕事に神から与えられた使命を感じることができれば、精神的な束縛からも解放される。マタイ福音書5章でイエスが言われる、「誰かから1ミリオン行けと言われれば、2ミリオン行く。」という信仰があれば「やらされ感」が克服できる。

(5)新しいことをなす
「9 初めのことは、見よ、すでに起こった。新しいことを、わたしは告げる。それが起こる前にあなたがたに聞かせる。 10  新しい歌を主に歌え。その栄誉を、地の果てから。海に下る者、そこを渡るすべての者、島々とそこに住む者よ」。
・新しいこととは、ペルシャのキュロス王の手によってバビロンの捕囚から解放されることにとどまらず、ユダの民も異邦人も神のもとに立ち帰るということ、そして、神の支配、神の国が実現することでもある。イザヤ書の2章、9章と11章でも取り上げている。
・本日の箇所における主の僕、メシアについては、既に、イザヤ書11章で預言。

〇イザヤ書11章
11:1エッサイの株から一つの芽が出、その根から一つの若枝が生えて実を結び、11:2その上に主の霊がとどまる。・・・11:5正義はその腰の帯となり、忠信はその身の帯となる。11:6おおかみは小羊と共にやどり、ひょうは子やぎと共に伏し、・・・11:8乳のみ子は毒蛇のほらに戯れ、乳離れの子は手をまむしの穴に入れる。
・6節から始まるユートピア的な描写によって、イザヤは、戦争がやまない絶望的な状況でも、メシアの手によって、必ずや、神の国が実現し、神と人との和解によって真の平和がもたらされることを預言している。イザヤ書2章も同じ。
〇イザヤ書2章
2:4彼はもろもろの国のあいだにさばきを行い、多くの民のために仲裁に立たれる。
こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない。

・現実を見ると戦いは一向に止まず、悪がはびこっているが、一体いつ止むのか不安に駆られる。しかし、この世の贖い主であり、支配者であるキリストによって、神の定めた時(カイロス)には、必ず、悪の勢力は裁かれ、愛の力が多くの罪に打ち勝つことができる。
・試練のただ中にあって、神様は、先の新しいことを告げ知らせて下さるのだから、私たちは、信じて、喜んで神様の時(カイロス)を待ち望むことが大事。
・ウクライナではロシアとの戦争がエスカレート、悲惨な状況、絶望的状況も伝えられている。憎しみと復讐の連鎖、国家や民族の正義が人を殺すという人間の罪が根底にある。歴史の審判は神の手にある。神の国は、私たちのただ中にある。全世界は、創造者である神によって支配されているから、神様との正しい関係を取りもどすことで真の和解と平和が実現する。このことを信じて平和への努力を続けることが必要。
・イザヤ書9章で「その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。」とある。キリストも山上の垂訓の中で平和の福音を語られている。「平和を作り出すものは幸いである。そのものは神の子とよばれるからである」(マタイ5章9節)
・最終的には、この世では不法が是正されなくても、この世の終わりには、復活されたキリストの再臨によって、すべてが新しくなる、悲しみも消え去る。次回は、イザヤ書43章でこの続きを学んでみたい。

3.最後に
・本日は、イザヤ書42章の預言から、キリストによる福音について学びました。
要旨①~⑤を参照。二つに要約すれば、主の僕であるキリストが弱い私たち、罪人である私たちを贖い、罪の束縛から解放するためにこの世に遣わされたこと、そして、キリストの十字架と復活によって、神の国が実現し、神と人に対する和解と平和がもたらされていること。
・私たちは、多くの人が傷ついた葦、ほの暗き灯芯のように、弱く壊れやすい存在。その中で、キリストは、一人一人の名を呼び、我々を負ぶって、助けだしてくださる。私たちは、悔い改めて神に立ち帰るだけ。罪の縄目から解放され、永遠の命が与えられる、何と大きな恵み。
・最後に、もう一度、イザヤ42章3節の預言を読み返してみたい。
〇イザヤ書42章3節「傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯芯を消すこともなく、真実をもって公義をもたらす」。
(祈り)