ゼカリヤ12:1-14:21 ゼカリヤ7『いのちの水が流れ出る』 2022/05/15 けんたろ牧師

ゼカリヤ 12:1-14
12:1 宣告。イスラエルについての【主】のことば。天を張り、地の基を定め、人の霊をそのうちに造られた方、【主】の告げられたことば。
12:2 「見よ。わたしはエルサレムを、その周りのあらゆる民をよろめかせる杯とする。エルサレムが包囲されるとき、ユダについてもそうなる。
12:3 その日、わたしはエルサレムを、どの民にとっても重い石とする。すべてそれを担ぐ者は、身にひどい傷を受ける。地のすべての国々は、それに向かって集まって来る。
12:4 その日──【主】のことば──わたしはすべての馬を打って驚かし、その乗り手を狂わせる。しかし、わたしはユダの家の上に目を見開き、もろもろの民のすべての馬を打ってその目を見えなくする。
12:5 ユダの首長たちは心の中で言う。『エルサレムの住民は、彼らの神、万軍の【主】によって私の力となる。』
12:6 その日、わたしはユダの首長たちを、薪の中にある火鉢のようにし、麦束の中にある燃えるたいまつのようにする。彼らは右も左も、周りにいるどの民も焼き尽くす。しかしエルサレムはなお、元の場所エルサレムに残る。
12:7 【主】は最初にユダの天幕を救う。ダビデの家の栄えと、エルサレムの住民の栄えが、ユダ以上に大きくならないようにするためである。
12:8 その日、【主】はエルサレムの住民をかくまう。その日、彼らの中のよろめき倒れる者もダビデのようになり、ダビデの家は神のようになって、彼らの先頭に立つ【主】の使いのようになる。
12:9 その日、わたしはエルサレムに攻めて来るすべての国々を根絶やしにしよう。
12:10 わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆き、長子を失って激しく泣くかのように、その者のために激しく泣く。
12:11 その日、エルサレムでの嘆きは、メギドの平地のハダド・リンモンのための嘆きのように大きくなる。
12:12 この地は、あの氏族もこの氏族もひとり嘆く。ダビデの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。ナタンの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。
12:13 レビの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。シムイの氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。
12:14 残りのすべての氏族は、あの氏族もこの氏族もひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。

今回がゼカリヤ書の最後。
最後は、終末に向かう話で預言が締めくくられている。

① 12章
12章は、「その日」について記されている。
「その日」とは、神さまが定めた時のことであり、終末を表わしている。
12章以降は、終わりの時代に起こることに関する預言なのである。

この時代、小さな国イスラエルは、周りのすべての国々にとって重荷となり、トラブルの種となっている様子が描かれている。

12:3 その日、わたしはエルサレムを、どの民にとっても重い石とする。すべてそれを担ぐ者は、身にひどい傷を受ける。地のすべての国々は、それに向かって集まって来る。

これは、現代のイスラエルを見ていても、正にこのような状態にあることが分かる。
そして神さまは、イスラエルを攻める周りの国々を滅ぼし、イスラエルをダビデのように強くされる。

12:8 その日、【主】はエルサレムの住民をかくまう。その日、彼らの中のよろめき倒れる者もダビデのようになり、ダビデの家は神のようになって、彼らの先頭に立つ【主】の使いのようになる。

この時、イスラエルをイジメてきた周りの国々はことごとく嘆きと悲しみの中に入ることになる。

② 13章
13章は裁きについて記されている。
その日(終わりの時)には、あらゆる偶像崇拝者やニセ預言者たちは裁きを受ける。
私たちを惑わしていた者が全て取り除かれて、本物だけが残る。
しかし、その時世界の3分の2は取り除かれることになると預言されている。

ゼカリヤ 13:8 全地はこうなる──【主】のことば──。その三分の二は断たれ、死に絶え、三分の一がそこに残る。

そして残された三分の一の人々も、その後に火の中を通ることになる。
これは試練であり、この試練を通して信仰者は練り上げられるのだと言う。

ゼカリヤ 13:9 わたしはその三分の一を火の中に入れ、銀を錬るように彼らを錬り、金を試すように彼らを試す。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『これはわたしの民』と言い、彼らは『【主】は私の神』と言う。」

この言葉は、ペテロが書いたこの手紙の言葉を思い出させる。

1ペテロ 1:7 試練で試されたあなたがたの信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、イエス・キリストが現れるとき、称賛と栄光と誉れをもたらします。

私たちは、最後の最後までこの試練に備えておく必要がある。

③ 14章
ゼカリヤ書は世の終わりの時に起こる最後の決戦のときについても描いている。

ゼカリヤ 14:1 見よ、【主】の日が来る。あなたから奪われた戦利品が、あなたのただ中で分配される。
14:2 「わたしはすべての国々を集めて、エルサレムを攻めさせる。都は取られ、家々は略奪され、女たちは犯される。都の半分は捕囚となって出て行く。しかし、残りの民は都から絶ち滅ぼされない。」
14:3 【主】が出て行かれる。決戦の日に戦うように、それらの国々と戦われる。

黙示録では、これが「ハルマゲドンの戦い」と呼ばれ、メギドの丘で最後の戦いが行われることが記されている。
この戦いによってイスラエルは大きな犠牲を払うことになるが、最後には主によって勝利することが約束されている。
そしてその戦いの後、イエスさまの再臨が訪れるのである。

ゼカリヤ 14:5 「山々の谷がアツァルにまで達するので、あなたがたはわたしの山々の谷に逃げる。ユダの王ウジヤの時に地震を避けて逃げたように、あなたがたは逃げる。」私の神、【主】が来られる。すべての聖なる者たちも、主とともに来る。

ここから最後までは、1000年王国についての描写となっている。
1000年王国は、私たちがまず想像するところのあの世と思っていい。

ゼカリヤ 14:6 その日には、光も、寒さも、霜もなくなる。
14:7 これはただ一つの日であり、その日は【主】に知られている。昼も夜もない。夕暮れ時に光がある。
14:8 その日には、エルサレムからいのちの水が流れ出る。その半分は東の海に、残りの半分は西の海に向かい、夏にも冬にも、それは流れる。
14:9 【主】は地のすべてを治める王となられる。その日には、【主】は唯一となられ、御名も唯一となる。

そこは新しいエルサレムとも呼ばれ、もちろんユダヤ人だけでなく創造主である神さまを王とするすべての民族がそこに住み、生きる。
そこには生きる苦しみや悲しみはなく、しかし生きる喜びに満ちている。
エルサレムからはいのちの水が流れ出て、世界中を潤し、全てがいのちの力に満たされる。

黙示録には、さらにその先に起こることまでも記されている。
1000年の後、最後の審判があって、私たちが本当の天国、新天新地に移されるときが来るのだ。
私たちが死んだ後に経験する永遠のときは、決して退屈なものではない。
今の私たちにはそれがどのようなものか、ほんの少し想像することしかできないが、やがて来るその時を心待ちに使用ではないか。