オバデヤ書1:1-16 オバデヤ『傲慢が行きつくところ』 2022/05/22 けんたろ牧師

オバデヤ 1:1-16
1:1 オバデヤの幻。【神】である主は、エドムについてこう言われる。──私たちは【主】から知らせを聞いた。使節が国々の間に送られてこう言った、と。「さあ、立ち上がれ。エドムと戦おう」──
1:2 「見よ。わたしはおまえを国々の中で小さい者、ひどく蔑まれる者とする。
1:3 岩の裂け目に住み、高い所を住まいとする者よ。おまえの高慢は、おまえ自身を欺いている。おまえは心の中で言っている。『だれが私を地に引きずり降ろせるのか』と。
1:4 鷲のように高く上っても、星々の間に巣を作っても、わたしは、おまえをそこから引きずり降ろす。──【主】のことば。
1:5 盗人がおまえのところに来るなら、しかも夜に、荒らす者が来るなら、──いかに、おまえは荒らされることか──彼らは欲しい分だけ盗んで行くではないか。ぶどうを収穫する者がおまえのところに来るなら、彼らは取り残しの実を残さないだろうか。
1:6 ああ、エサウは捜し出され、その秘宝は見つけ出される。
1:7 おまえと同盟を組む者たちがみな、おまえを国境まで送り返し、親しい友がおまえを欺いて征服する。おまえのパンを食べていた者が、おまえの足もとに罠を仕掛ける。こんなおまえに英知はない。
1:8 その日には、──【主】のことば──わたしは、エドムから知恵ある者たちを、エサウの山から英知を消し去らないであろうか。
1:9 テマンよ、おまえの勇士たちは気をくじかれる。虐殺され、エサウの山から一人残らず断ち切られる。
1:10 おまえの兄弟、ヤコブへの暴虐のために、恥がおまえをおおい、おまえは永遠に断たれる。
1:11 他国人がエルサレムの財宝を奪い去り、外国人がその門に押し入り、エルサレムをくじ引きにして取ったその日、おまえは素知らぬ顔で立っていた。おまえもまた、彼らのうちの一人のようであった。
1:12 おまえは兄弟の災難の日に、それを見ていてはならない。ユダの子らの滅びの日に、彼らのことで喜んではならない。その苦難の日に大口をたたいてはならない。
1:13 おまえは彼らのわざわいの日に、わたしの民の門に入ってはならない。ほかでもないおまえが、彼の破局の日に、そのわざわいを眺めていてはならない。彼の破局の日に、彼らの財宝に手を伸ばしてはならない。
1:14 その逃れる者を断つために、別れ道に立ちふさがってはならない。その苦難の日に、彼らの生き残った者を引き渡してはならない。
1:15 なぜなら、【主】の日がすべての国々に近づいているからだ。おまえは、自分がしたように、自分にもされる。おまえの報いは、おまえの頭上に返る。
1:16 おまえたちがわたしの聖なる山で飲んだように、すべての国々も絶えず飲み続け、飲んだり、すすったりする。彼らはまるで、いなかった者のようになる。
オバデヤ書は旧約聖書の中で最も短い書。
オバデヤという預言者がどのような人だったかは判らず、いつ書かれたのかも判らない。
エレミヤ書などでオバデヤ書が引用されているような部分があり、小預言書ではかなり早く書かれた預言書ではないかという説と、イスラエルが危機の時にエドム人がどのようにふるまったかという記述から、後の時代に書かれたという二つの説がある。

オバデヤ書のひとつのテーマは、エドムに下る裁きである。
そこで、エドムについて最初に解説しておく必要があるように思う。
エドムはイスラエルと兄弟の関係にある民族である。

アブラハムの子イサクから、エサウとヤコブが産まれ、エサウの子孫がエドム人となり、ヤコブの子孫がイスラエル人となった。
だから、本来は近い関係にあるはずの民族だが、エサウとヤコブの関係が悪かったように、エドム人とイスラエル人の関係もずっと悪かった。

① エドムへの裁きの理由
エドムはなぜ裁きを受けるのか?
エドム人の問題の根源は、傲慢である。

1:3 岩の裂け目に住み、高い所を住まいとする者よ。おまえの高慢は、おまえ自身を欺いている。おまえは心の中で言っている。『だれが私を地に引きずり降ろせるのか』と。

この時代、エドム人は高いところに住み、文字通りイスラエル人たちを見降ろしていた。
そんな生活の中で、自分たちは誰よりも偉く、神に等しい存在だと思うようになっていったのである。

② エドムの暴虐
傲慢なエドム人たちはどのような悪を行ったのか?
オバデヤ書では、エドム人のイスラエルへの扱いの酷さについて記され、それが裁きを決定的なものにした。

1:10 おまえの兄弟、ヤコブへの暴虐のために、恥がおまえをおおい、おまえは永遠に断たれる。
1:11 他国人がエルサレムの財宝を奪い去り、外国人がその門に押し入り、エルサレムをくじ引きにして取ったその日、おまえは素知らぬ顔で立っていた。おまえもまた、彼らのうちの一人のようであった。
1:12 おまえは兄弟の災難の日に、それを見ていてはならない。ユダの子らの滅びの日に、彼らのことで喜んではならない。その苦難の日に大口をたたいてはならない。
1:13 おまえは彼らのわざわいの日に、わたしの民の門に入ってはならない。ほかでもないおまえが、彼の破局の日に、そのわざわいを眺めていてはならない。彼の破局の日に、彼らの財宝に手を伸ばしてはならない。
1:14 その逃れる者を断つために、別れ道に立ちふさがってはならない。その苦難の日に、彼らの生き残った者を引き渡してはならない。

ここでは、イスラエルが他国に虐げられ苦しんでいる時、エドムがイスラエルを助けようとせず、それどころかともにイスラエルを虐げ、イスラエルの財産を取り上げ、奴隷として売ってしまったという様子が描かれている。
そんな暴虐のゆえに、エドムは裁きを受けるのだ。

③ エドムに何が起こったか?
紀元前5世紀ころ、エドムはナバテヤ人という砂漠の民によって倒され、エドムの地を追い出されることになった。
エドム人は仕方がなく南下し移住した。
彼らが移住した地域は、イドマヤと呼ばれるようになり、エドム人はイドマヤ人と呼ばれるようになっていった。

やがて、イドマヤ人はユダヤによって吸収され、割礼を受けてイスラエル人となった。
そのイドマヤ人の中からヘロデという男がローマ帝国と結託してユダヤで地位を勝ち取り、イスラエルの王となる。
しかし西暦70年、イスラエルはローマ帝国によって倒され、その時からイドマヤ人は歴史の陰から姿を消すことになった。

同時に国を失ったイスラエル人たちは今でも存在し、イスラエルが国として復活したことを考えると、同じ状況にありながら消えてしまったエドム人(イドマヤ人)はオバデヤ書の預言の通りになったことが分かる。

④ 傲慢に気をつけよう
エドム人たちの問題の本質は『傲慢』にあることを私たちは学んだ。
しかしこの傲慢は、私たちにとっても馴染み深いものではないだろうか?

自分は正しいがあいつは間違っている。
自分は善で、あいつらは悪。
自分は偉い、あいつは目下。
そのような思考は、いとも簡単に私たちを支配する。
そして多くの場合、私たちはそのことを自覚できていない。
しかし、これこそエドム人が陥っていた傲慢なのだ。
そしてこの傲慢は、自らを神とする原罪に繋がる罪でもある。

オバデヤ書の後半は、この裁きがエドム人たちだけのものではなく、全ての国々に訪れることが記されている。

1:15 なぜなら、【主】の日がすべての国々に近づいているからだ。おまえは、自分がしたように、自分にもされる。おまえの報いは、おまえの頭上に返る。
1:16 おまえたちがわたしの聖なる山で飲んだように、すべての国々も絶えず飲み続け、飲んだり、すすったりする。彼らはまるで、いなかった者のようになる。

世界は今、まさにこのような傲慢の中にあるのではないだろうか?
私たちはこの世界で傲慢の競い合いに巻き込まれることなく、神を神として崇めることができる謙遜さを持ち続けていきたい。
私たちが主を王として生きるということは、まさにそのことを意味しているのだ。