Iコリント2:1-16 Iコリント4『神の知恵を知る方法』 2022/07/10 けんたろ牧師

1コリント 2:1-16
2:1 兄弟たち。私があなたがたのところに行ったとき、私は、すぐれたことばや知恵を用いて神の奥義を宣べ伝えることはしませんでした。
2:2 なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリストのほかには、何も知るまいと決心していたからです。
2:3 あなたがたのところに行ったときの私は、弱く、恐れおののいていました。
2:4 そして、私のことばと私の宣教は、説得力のある知恵のことばによるものではなく、御霊と御力の現れによるものでした。
2:5 それは、あなたがたの信仰が、人間の知恵によらず、神の力によるものとなるためだったのです。
2:6 しかし私たちは、成熟した人たちの間では知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でも、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。
2:7 私たちは、奥義のうちにある、隠された神の知恵を語るのであって、その知恵は、神が私たちの栄光のために、世界の始まる前から定めておられたものです。
2:8 この知恵を、この世の支配者たちは、だれ一人知りませんでした。もし知っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。
2:9 しかし、このことは、「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことがないものを、神は、神を愛する者たちに備えてくださった」と書いてあるとおりでした。
2:10 それを、神は私たちに御霊によって啓示してくださいました。御霊はすべてのことを、神の深みさえも探られるからです。
2:11 人間のことは、その人のうちにある人間の霊のほかに、いったいだれが知っているでしょう。同じように、神のことは、神の霊のほかにはだれも知りません。
2:12 しかし私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神からの霊を受けました。それで私たちは、神が私たちに恵みとして与えてくださったものを知るのです。
2:13 それについて語るのに、私たちは人間の知恵によって教えられたことばではなく、御霊に教えられたことばを用います。その御霊のことばによって御霊のことを説明するのです。
2:14 生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらはその人には愚かなことであり、理解することができないのです。御霊に属することは御霊によって判断するものだからです。
2:15 御霊を受けている人はすべてのことを判断しますが、その人自身はだれによっても判断されません。
2:16 「だれが主の心を知り、主に助言するというのですか。」しかし、私たちはキリストの心を持っています。

パウロが福音を伝えたことによって始まったコリントのクリスチャンたちの集まりでは、分裂という大きな問題に直面していた。
それぞれがパウロ派、アポロ派、ペテロ派などに分かれ、自分たちの正しさを主張していたのである。

コリントの教会がひとつになる事を阻害していたのは「知恵」であり「知識」だった。
ギリシア哲学が盛んだったコリントの人々は、勉強熱心である一方で知に偏り過ぎてしまう傾向があった。
それが彼らを、神さまから遠ざけることとなり、派閥争いに向かわせたのである。

その問題を解決するためにパウロが送ったのがこの手紙。
2章では、パウロがコリントに福音を伝えた時のことを思い出すよう人々に促している。

① キリストの他は何も知らない
パウロがコリントを訪れて福音を伝えた時のことは使徒の働きの18章に記されている。
そこに記されているのは、初め会堂を訪れて福音を伝えようとしたパウロがユダヤ人たちには拒絶され、異邦人に福音を伝え始めた経緯。
この時パウロは、同胞たちからの拒絶という苦難を経験し、辛い思いをしていた。
特にコリントに着いてしばらくの間は、それまで一緒にいたテモテやシラスもおらず、孤独な戦いが強いられたことだろう。

2:3 あなたがたのところに行ったときの私は、弱く、恐れおののいていました。

しかしそのような時だからこそ、パウロを通して神さまの御業が働き、多くの人たちの心を動かしていったのである。

2:4 そして、私のことばと私の宣教は、説得力のある知恵のことばによるものではなく、御霊と御力の現れによるものでした。
2:5 それは、あなたがたの信仰が、人間の知恵によらず、神の力によるものとなるためだったのです。

僕自身、ボロボロの状態でメッセージの準備に時間を取ることもできず、話していても支離滅裂だと思っていた時に、「今日のメッセージから語られました」という意見を何度も耳にした。
私たちの主は、私たちが弱い時にこそ働かれる方なのである。

② 本当の知恵
さて、それでは人間の知恵とは愚かなもので、必要のないものなのだろうか?
考えるのを止めて、ただ妄信していればいいということなのだろうか?
もちろん、そうではない。
知恵もまた、神さまが与えたものなのだから。
しかし、本当に大切な知恵とはどのようなものなのかをパウロは教えている。

2:6 しかし私たちは、成熟した人たちの間では知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でも、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。
2:7 私たちは、奥義のうちにある、隠された神の知恵を語るのであって、その知恵は、神が私たちの栄光のために、世界の始まる前から定めておられたものです。

本当の知恵とは、人が予想し、想像し、解読できるようなものではない。
人知を超えた知恵が、神さまの中にはある。
ここで言われている知恵とは、創造主である神さまが、人としてこの地上に産まれたということ。
そして私たちと同じ目線で、同じ生活をし、愛を示してくださったこと。
誰もそんなことを想像することはできなかった。

2:8 この知恵を、この世の支配者たちは、だれ一人知りませんでした。もし知っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。
2:9 しかし、このことは、「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことがないものを、神は、神を愛する者たちに備えてくださった」と書いてあるとおりでした。

イエスさまが神さまご自身であり、救い主だということを人々が理解できていたら、イエスさまが十字架に掛けられることはなかっただろう。
しかし、そんな誰も思いつかなかった方法で、神さまは私たちに救いをもたらしてくださった。

③ 神の知恵を知る方法
では、私たちはどうやって神の知恵を知り、理解することができるだろうか?
それは、私たちの頭脳や論理によっては不可能なこと。
それは、神さまの霊である聖霊が私たちの内に宿り、私たちがその声に耳を澄ませたとき、初めて可能になるのだとパウロは教えている。

2:14 生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらはその人には愚かなことであり、理解することができないのです。御霊に属することは御霊によって判断するものだからです。

福音を受け取り、神さまとともに生きること、そこに聖霊による知恵が必要だったが、それで終わるものでもない。
私たちは日々の生活の中で、いつも神さまから知恵をいただき、御霊によって判断し、生きることができるのだ。

そのために必要なのは、私たちが自分自身の十字架を背負い、自分に死んで主に聴き従うこと。

ヨハ 5:19 イエスは彼らに答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分から何も行うことはできません。すべて父がなさることを、子も同様に行うのです。

と、イエスさまが言ったように、すべてのことにおいて父なる神さまに聞き従うこと。
私たちが空っぽになることによって聖霊に満たされ、神に従って生きることができるのだ。
これは、善悪の判断を神さまに求めたソロモンの知恵と同じもの。
国々のリーダーたちがソロモンの知恵を求めたような素晴らしい知恵を、私たちもまた御霊を通して得ることができるのだ。

私たちは自分の知恵に頼るのではなく、いつも神さまの知恵を受け、神さまの知恵により頼んでいこうではないか。