Ⅰコリント 3:9-23 Iコリント6『私たちは神の宮』 2022/8/14 けんたろ牧師

1コリント 3:9-23
3:9 私たちは神のために働く同労者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。
3:10 私は、自分に与えられた神の恵みによって、賢い建築家のように土台を据えました。ほかの人がその上に家を建てるのです。しかし、どのように建てるかは、それぞれが注意しなければなりません。
3:11 だれも、すでに据えられている土台以外の物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。
3:12 だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、藁で家を建てると、
3:13 それぞれの働きは明らかになります。「その日」がそれを明るみに出すのです。その日は火とともに現れ、この火が、それぞれの働きがどのようなものかを試すからです。
3:14 だれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。
3:15 だれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、その人自身は火の中をくぐるようにして助かります。
3:16 あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。
3:17 もし、だれかが神の宮を壊すなら、神がその人を滅ぼされます。神の宮は聖なるものだからです。あなたがたは、その宮です。
3:18 だれも自分を欺いてはいけません。あなたがたの中に、自分はこの世で知恵のある者だと思う者がいたら、知恵のある者となるために愚かになりなさい。
3:19 なぜなら、この世の知恵は神の御前では愚かだからです。「神は知恵のある者を、彼ら自身の悪巧みによって捕らえる」と書かれており、
3:20 また、「主は、知恵のある者の思い計ることがいかに空しいかを、知っておられる」とも書かれています。
3:21 ですから、だれも人間を誇ってはいけません。すべては、あなたがたのものです。
3:22 パウロであれ、アポロであれ、ケファであれ、また世界であれ、いのちであれ、死であれ、また現在のものであれ、未来のものであれ、すべてはあなたがたのもの、
3:23 あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものです。

パウロが福音を宣べ伝えて始まったコリントの教会は、分裂という問題に直面していた。
ある人はパウロにつくと言い、ある人はアポロに、ある人はケファ(ペテロ)に、そしてある人はキリストにつくと主張した。
そんなコリントの教会が、再び一つになれるようにと書いたのがこの手紙。

パウロやアポロは神さまに命じられたことを行って、与えられた役割を果たしていたに過ぎない。
あなたたちもまた、その働きをなす必要があるというのが、これまでパウロが話してきたことだった。

今日の聖書箇所では、建物の構造を通して私たちという存在と働きを説明している。

3:9 私たちは神のために働く同労者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。

① 大切なのは土台
建物の建築には、土台と建物の部分の両方が必要であり、それぞれに同じくらいの労力が必要とされる。
建て上げられた後土台は見えなくなるが、出来上がった建物がどれだけ立派でも、土台がちゃんとできていなければあっという間に崩れてしまう。
ウロは、イエス・キリストが私たちの土台であることを教えている。

3:10 私は、自分に与えられた神の恵みによって、賢い建築家のように土台を据えました。ほかの人がその上に家を建てるのです。しかし、どのように建てるかは、それぞれが注意しなければなりません。
3:11 だれも、すでに据えられている土台以外の物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。

私たちクリスチャンがする「行い」や「働き」は、キリストという土台の上に建てられた様々な建物。
ある人の働きは派手できらびやかに見え、ある人の働きは地味で目立たない。
しかし、外面が良いからと言って、その働きが御心に適っているかどうかは別の話し。
それが本当に意味のあるものなのかどうかは、やがて明らかにされるときが来る。

3:12 だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、藁で家を建てると、
3:13 それぞれの働きは明らかになります。「その日」がそれを明るみに出すのです。その日は火とともに現れ、この火が、それぞれの働きがどのようなものかを試すからです。
3:14 だれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。

しかし、ここで大切なポイントは「報いを受けること」ではない。
例えその働きが全て燃えてなくなってしまうようなものであったとしても、決して燃やし尽くされることはないのだ。

3:15 だれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、その人自身は火の中をくぐるようにして助かります。

土台がしっかりしていなければ、どれだけ正しく、素晴らしい行いをしていても裁きの炎に焼かれ、燃えてなくなってしまう。
私たちの「行い」はそんなものでしかない。
しかし、私たちがイエス・キリストの十字架という土台の上に建てられているなら、その行いが間違えたものだったとしても、私たちはその火の中をくぐるようにして救われるのだ。
その土台の大切さを、パウロは思い出させてくれている。

② 神の宮
では、私たちは本来どのような建物を建てるべきなのだろうか?
私たちは自分の思いで勝手な建物を建ててしまうが、本来は神の宮として創られた存在である。

3:16 あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。
3:17 もし、だれかが神の宮を壊すなら、神がその人を滅ぼされます。神の宮は聖なるものだからです。あなたがたは、その宮です。

神の宮である私たちを神さまは愛し、守り、建て上げてくださる。
しかしだからこそ私たちは、自分自身をまったく捧げる必要がある。
私たちの体は本来私たち自身のものではなく、神さまに創造され、神さまに属するものなのだから。
パウロは別の手紙の中でこのようにも話している。

ローマ 12:1 ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。

自らの思いや願い、願望ではなく、全てにおいて神さまに聞き従って生きること。
それこそ、私たちが神殿として生きるということ。

③ 人間を誇らない
そして私たちが、全く神さまに従って生きるなら、私たちは誰も人の行いを誇ったり讃えることはできない。
それは全て神さまの導きの結果であり、神さまの業なのだから。

3:18 だれも自分を欺いてはいけません。あなたがたの中に、自分はこの世で知恵のある者だと思う者がいたら、知恵のある者となるために愚かになりなさい。
3:19 なぜなら、この世の知恵は神の御前では愚かだからです。「神は知恵のある者を、彼ら自身の悪巧みによって捕らえる」と書かれており、
3:20 また、「主は、知恵のある者の思い計ることがいかに空しいかを、知っておられる」とも書かれています。

私たちが勉強して学んだり、自分で考えて発明したことの結果など、大したものではない。
神さまが導き、神さまが与えたものこそが本当に素晴らしいものである。
私たちが本当に素晴らしいことをしようと思うなら、私たち自身の知恵を捨て、神さまに聞き従っていくことだ。
そこには神さまの力があり、神さまの業がある。

私たちは自分の業を捨て、神さまの業を味わおうではないか。
そしてそこにある祝福を心から味わおう。