Ⅰコリント7:25-40 Ⅰコリント15 『この世の有様は過ぎ去る』2022/10/16 けんたろ牧師

1コリント 7:25-40
7:25 未婚の人たちについて、私は主の命令を受けてはいませんが、主のあわれみにより信頼を得ている者として、意見を述べます。
7:26 差し迫っている危機のゆえに、男はそのままの状態にとどまるのがよい、と私は思います。
7:27 あなたが妻と結ばれているなら、解こうとしてはいけません。妻と結ばれていないなら、妻を得ようとしてはいけません。
7:28 しかし、たとえあなたが結婚しても、罪を犯すわけではありません。たとえ未婚の女が結婚しても、罪を犯すわけではありません。ただ、結婚する人たちは、身に苦難を招くでしょう。私はあなたがたを、そのような目にあわせたくないのです。
7:29 兄弟たち、私は次のことを言いたいのです。時は短くなっています。今からは、妻のいる人は妻のいない人のようにしていなさい。
7:30 泣いている人は泣いていないかのように、喜んでいる人は喜んでいないかのように、買う人は所有していないかのようにしていなさい。
7:31 世と関わる人は関わりすぎないようにしなさい。この世の有様は過ぎ去るからです。
7:32 あなたがたが思い煩わないように、と私は願います。独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を配ります。
7:33 しかし、結婚した男は、どうすれば妻に喜ばれるかと世のことに心を配り、
7:34 心が分かれるのです。独身の女や未婚の女は、身も心も聖なるものになろうとして、主のことに心を配りますが、結婚した女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世のことに心を配ります。
7:35 私がこう言うのは、あなたがた自身の益のためです。あなたがたを束縛しようとしているのではありません。むしろ、あなたがたが品位ある生活を送って、ひたすら主に奉仕できるようになるためです。
7:36 ある人が、自分の婚約者に対して品位を欠いたふるまいをしていると思ったら、また、その婚約者が婚期を過ぎようとしていて、結婚すべきだと思うなら、望んでいるとおりにしなさい。罪を犯すわけではありません。二人は結婚しなさい。
7:37 しかし、心のうちに固く決意し、強いられてではなく、自分の思いを制して、婚約者をそのままにしておこうと自分の心で決意するなら、それは立派なふるまいです。
7:38 ですから、婚約者と結婚する人は良いことをしており、結婚しない人はもっと良いことをしているのです。
7:39 妻は、夫が生きている間は夫に縛られています。しかし、夫が死んだら、自分が願う人と結婚する自由があります。ただし、主にある結婚に限ります。
7:40 しかし、そのままにしていられるなら、そのほうがもっと幸いです。これは私の意見ですが、私も神の御霊をいただいていると思います。

クリスチャンたちの間で起こっていた分裂の問題と向き合うために書かれたコリント人への手紙第一。
その後話題は、コリントのクリスチャンたちが抱える現実的な罪や問題に移っていった。

7章のテーマは「そのままでいる」ということ。
それは内面的に変わらない、成長しないということではなく、クリスチャンになったからと言ってクリスチャンではない配偶者と離婚してクリスチャンと結婚したり、クリスチャンたちだけと接するようになってはいけないという話である。

7:25 未婚の人たちについて、私は主の命令を受けてはいませんが、主のあわれみにより信頼を得ている者として、意見を述べます。

とあるように、これは神さまの命令と言うよりは、パウロからの勧めのことば。
しかしこの考え方は神さまの意思に沿っているとパウロは保証している。

① 結婚しないこと
未婚であれば、そのままでいた方がいい、とパウロは言う。
第一に、迫害が始まろうとしていたからである。

7:25 未婚の人たちについて、私は主の命令を受けてはいませんが、主のあわれみにより信頼を得ている者として、意見を述べます。
7:26 差し迫っている危機のゆえに、男はそのままの状態にとどまるのがよい、と私は思います。

この手紙が書かれた時期がいつなのか、はっきりとは分からないが、ネロが皇帝になって間もないころだと言われている。
これまでは、クリスチャンの数自体がそれほど多くなく、クリスチャンたちが皇帝に目をつけられるようなこともなかったが、クリスチャンはすごい勢いで増え広がっていた。
そのような中、これからクリスチャンたちは危険視されるようになり、大きな迫害が起こることを予期していたようだ。

迫害の時、家族は宣教のためには大きな枷となる。
家族が狙われるという怖い体験をしないためにも、今は結婚はしない方がいいというのがパウロの感じているところだった。

第二に、もっと神さまに仕えるためである。

7:32b 独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を配ります。
7:33 しかし、結婚した男は、どうすれば妻に喜ばれるかと世のことに心を配り、
7:34 心が分かれるのです。独身の女や未婚の女は、身も心も聖なるものになろうとして、主のことに心を配りますが、結婚した女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世のことに心を配ります。
7:35 私がこう言うのは、あなたがた自身の益のためです。あなたがたを束縛しようとしているのではありません。むしろ、あなたがたが品位ある生活を送って、ひたすら主に奉仕できるようになるためです。

家族を持つことは、それ自体が大きな働き。
そこには大きな責任が伴い、多くの時間や労力が費やされることになる。
パウロ自身がそうだったように、もっと多くの人たちが神さまのための働きに集中することを、パウロは願っていた。

② 離婚しないこと
では、クリスチャンは結婚しない方がいいのか、結婚していてもいっそ別れてしまった方がいいのかと言えば、もちろんそういうことではない。
結婚とはキリストと私たちクリスチャンとの関係を象徴する、特別な祝福であり、私たちが自分の思いで結婚したりやめたりするべきものではない。
キリストが決して私たちを諦めず、愛し続けてくださるように、私たちの関係も生きている限り続くものでありたいものだ。

7:27 あなたが妻と結ばれているなら、解こうとしてはいけません。妻と結ばれていないなら、妻を得ようとしてはいけません。
7:28ab しかし、たとえあなたが結婚しても、罪を犯すわけではありません。たとえ未婚の女が結婚しても、罪を犯すわけではありません。

先ほども言ったように、家族を持つことはそれ自体が大きな働きである。
互いに愛を実践し、子どもが授かればその子を育てるという大きな責任が伴う。
私たちは神の子として、自分の子どもたちにもその愛を注いでいく。
そうして育った子どもたちが神さまを知り、神さまに聞き従う者となっていく。

結婚するのもしないのも、どちらがいいということはない。
それぞれに召しがあり、賜物があり、向き不向きがある。
パウロはただ、これから直面しなければならない迫害の時代には、結婚することはお勧めしないと言っているのだ。

③ 世に関わり過ぎないように
とは言え、ここまではこの時代のクリスチャンたちの話しであり、私たちはこの時代のクリスチャンたちのような形では迫害を経験していない。
私たちはどのようにしてこの言葉を適用すればいいのだろう?
ポイントはこの節にある。

7:31 世と関わる人は関わりすぎないようにしなさい。この世の有様は過ぎ去るからです。7:32a あなたがたが思い煩わないように、と私は願います。

結婚は、キリストと私たちの関係を象徴とする、神さまの祝福であることは確かなこと。
しかし、それでも結婚は、一番大切な事というわけではない。
結婚とは、結局この世の中でのことだからだ。
イエスさまはこのように言っていた。

マタイ 22:30 復活の時には人はめとることも嫁ぐこともなく、天の御使いたちのようです。

天に結婚はないのだ。
そして、このようにも言っている。

マルコ 13:31 天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。

一番大切なのは神のことば。
結婚も、学校も、仕事も、大切だし素晴らしいものではあるけれど、それが全てではないし、一番大切なものでもない。
パウロは、本当に大切なもののために命をかけて生きた。
私たちもまた、一番大切なものにこそ命を懸けていきたいものだ。