イザヤ55章 「渇いているものよ、私の元に帰りなさい」-主の言葉と神の国の成就- 2022/10/23 小西孝蔵

イザヤ書55章
5:1「さあ、かわいている者はみな水にきたれ。金のない者もきたれ。来て買い求めて食べよ。あなたがたは来て、金を出さずに、ただでぶどう酒と乳とを買い求めよ。
55:2なぜ、あなたがたは、かてにもならぬもののために金を費し、飽きることもできぬもののために労するのか。わたしによく聞き従え。そうすれば、良い物を食べることができ、最も豊かな食物で、自分を楽しませることができる。
55:3耳を傾け、わたしにきて聞け。そうすれば、あなたがたは生きることができる。わたしは、あなたがたと、とこしえの契約を立てて、ダビデに約束した変らない確かな恵みを与える。55:4見よ、わたしは彼を立てて、もろもろの民への証人とし、また、もろもろの民の君とし、命令する者とした。55:5見よ、あなたは知らない国民を招く、あなたを知らない国民はあなたのもとに走ってくる。これはあなたの神、主、イスラエルの聖者のゆえであり、主があなたに光栄を与えられたからである。
55:6あなたがたは主にお会いすることのできるうちに、主を尋ねよ。近くおられるうちに呼び求めよ。55:7悪しき者はその道を捨て、正らぬ人はその思いを捨てて、主に帰れ。そうすれば、主は彼にあわれみを施される。われわれの神に帰れ、主は豊かにゆるしを与えられる。
55:8わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる。55:9天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。55:10天から雨が降り、雪が落ちてまた帰らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種まく者に種を与え、食べる者にかてを与える。55:11このように、わが口から出る言葉も、むなしくわたしに帰らない。わたしの喜ぶところのことをなし、わたしが命じ送った事を果す。
55:12あなたがたは喜びをもって出てきて、安らかに導かれて行く。山と丘とはあなたの前に声を放って喜び歌い、野にある木はみな手を打つ。55:13いとすぎは、いばらに代って生え、ミルトスの木は、おどろに代って生える。これは主の記念となり、また、とこしえのしるしとなって、絶えることはない」。

〇イザヤ書2章
2:3多くの民は来て言う、「さあ、われわれは主の山に登り、ヤコブの神の家へ行こう。彼はその道をわれわれに教えられる、われわれはその道に歩もう」と。律法はシオンから出、主の言葉はエルサレムから出るからである。2:4彼はもろもろの国のあいだにさばきを行い、多くの民のために仲裁に立たれる。こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない。

〇ヨハネによる福音書4章
4:13イエスは女に答えて言われた、「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。 4:14しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。

〇2022年10月「渇いているものよ、私の元に帰りなさい」(イザヤ書55章)

          -主の言葉と神の国の成就-
              (祈り)
1. イザヤ書の時代背景と預言内容
・2か月に1回の私のメッセージ、こうした機会を与えて下さっている健太郎先生と飽きずに聞いてくださっている皆様に感謝。本日は、イザヤ書の7回目、55章は、第2イザヤ及びイザヤ書全体の総括、始めは、歴史の授業みたいで御免なさい。
時期 背景 預言 代表的聖句

イザヤ書
(1~39章) バビロン捕囚以前(ユダ王国のウジア王~ヒゼキヤ アッシリア、バビロン、エジプトの大国の間で右往左往、偶像崇拝の罪 神からの離反に対する審判、メシア到来と神の国の平和を預言。 「立ち帰って落ち着いているならば救われる」(30章)

第2イザヤ
(40~55章) バビロン捕囚
(BC586~538)後半 バビロンの滅亡とキュロス王による解放の預言 主の僕としての預言が4回、苦難の僕キリストによる贖い・平和を預言 「私は、あなたを贖った」「高価で貴い」(45章)「打たれし傷によって癒されたり」(53章)
第3イザヤ
(56~66章) 捕囚からエルサレム帰還後 エルサレム神殿を再建しようとするが、妨害に会う。 復興の希望の再認識とキリストの再臨を預言。 「新しい天と新しい地を創造する」(イザヤ書65章)
(備考)①イザヤ書39章+27=66章は、聖書66巻(旧約39+新約聖書27)と偶々の一致?
   ②第2イザヤ、第3イザヤの分類については、別の見方もある。

2. 主の元に立ち帰りなさい-贖い主による救い

〇イザヤ書55章1~2節「さあ、かわいている者はみな水にきたれ。金のない者もきたれ。来て買い求めて食べよ。・・・55:2なぜ、あなたがたは、かてにもならぬもののために金費し、飽きることもできぬもののために労するのか。わたしによく聞き従え。」

・バビロン捕囚のユダの民に呼び掛けた主の言葉。詩編42篇も同じく捕囚の民に向かって読まれた歌と言われているが、その1節からは、有名な賛美の歌として知られる次の歌詞が取られている。「谷川の流れを慕う鹿のように、主よ、わが魂、あなたを慕う。あなたこそ、わが盾、あなたこそ、わが力、あなたこそ、わが望み、我は主を仰ぐ。」
・また、バビロンは、繁栄と偶像の町。ユダの民の内には、捕囚の身分でありながら、50年以上も住んでいると、エルサレムへの帰還を半ば諦め、現状に甘んじて享楽に走る人たちもいた。そうしたユダの民に対し、神は、「渇いたものよ、水を求めるように、バビロンを出て、父なる私の元に帰りなさいと呼びかける。」

・話は、最近、母親の介護の話に飛ぶが、母は、後一か月で101歳、いつもは、神の恵みや家族に感謝し、気丈に振舞っている一方で、時々、目前の死を意識して不安で心が揺れることがある。体力の衰えに加えて、家族と離れて一人になると、余計に孤独と不安が募るようだ。また、自分は神の前に正しく生きてきたという意識を持ちながらも、天国の門の前に立って果たして門を開けてもらえるのかという信仰上の疑念が出るときもある。介護で郷里に帰るたびに、そういう母に寄り添って祈りを共にすることで、母の心が、平安になるのを体験する。人間、死を目の前にすると、不安の中に、のどの渇きのように、魂の渇きを覚えるのであろう。このことは、とかくこの世のことにばかり目を向けている私に、明日は、わが身と、心の渇きに気づかされる貴重なひと時となっている。

・神様の愛は、私たちの罪のために身代わりとなって死んでくださったイエス様の十字架の愛に現わされている。キリストによる贖いによる救いは、イザヤ書40章以下繰り返し出てくる預言の最も深いメッセージ。「私は、あなたを贖った、私は、あなたの名を呼んだ。」(イザヤ43章1節)。前回のメッセージ箇所、イザヤ書53章では、十字架の死という贖いによって私たちを罪の奴隷から買い戻してくださった苦難の僕キリストについて預言されている。贖い主であられるキリストは、私たちに私の元に帰って来なさいと呼びかけておられる。

〇イザヤ書55章3節「わたしは、あなたがたと、とこしえの契約を立てて、ダビデに約束した変らない確かな恵みを与える。」

・ダビデの契約は、神がダビデの子孫に一方的に祝福を与える約束。ダビデの子孫にキリストが救い主として現れ、私たち罪人を贖い、救い出してくださる恵みの約束である。

〇イザヤ書55章6~7節「あなたがたは主にお会いすることのできるうちに、主を尋ねよ。近くおられるうちに呼び求めよ。55:7悪しき者はその道を捨て、正らぬ人はその思いを捨てて、主に帰れ。そうすれば、主は彼にあわれみを施される。われわれの神に帰れ、主は豊かにゆるしを与えられる。」

・主がお会いできるうちに、近くにおられるうちに、求めることが大事。よく、神を信じるのは、死ぬ間際でいい、それまで楽しく、この世の仕事や生活を充実させていけばいいという人が多い。でも、神が与えられた時を生かして備えていなければ、中々、神のもとに立ち帰るのが難しくなるのも現実。伝道の書12章1節では、「汝の若き日に汝も作り主を覚えよ、時が来たり、年老いて、何の楽しみもないという前に」

3. 主の言葉の力と神の国の実現
1) 創造のわざと神の恵み

〇イザヤ書55章「55:10天から雨が降り、雪が落ちてまた帰らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種まく者に種を与え、食べる者にかてを与える。55:11このように、わが口から出る言葉も、むなしくわたしに帰らない。わたしの喜ぶところのことをなし、わたしが命じ送った事を果す。」

・神の言葉は、神様の思い、意思であり、神の国を実現させる力を有する。(新約聖書ヨハネによる福音書第1章では、ロゴスというギリシャ語でキリストご自身を指す言葉にも使われている。神の言葉には、自然界、農業の営みにおいて創造主の力が顕されている。雨が地に降ることによる、種が発芽し、実りをもたらすように、神の言葉は、その通り成就する。

・イザヤ書では、こうした自然の営みの中に創造主の働きを感じさせる箇所が何か所も出てくる。イザヤ書30章23-24節(主は、恵みの雨を与え、豊かな穀物を生み出される)など。詩編でも65篇や104篇で神の恵みの大きさと喜びを表現している。

・週末の畑仕事や樹木の手入れは、神様の恵みとキリストご自身のいのちを教えてくれる。ジャガイモの種イモから芽が出て、葉が出て、収穫に。その後に、前年からの「紫蘇」の種が発芽して大きく成長し多くの種を残す。自然と農の営みの中に、神様の恵みの豊かさと確かさを感じる。自然や農の営みが神の国の有様に似ている(「天国は、からし種のようなものである」(マタイ13章31節))。
・内村鑑三の「一日一生」の今日の聖書箇所では、「雨に草木に臨むがごとく、わが衣食の糧はわが身に加えられる。我は、ただ働いて、静かに神の恵みを得て足る。」

2) 神の国における平和と喜び

〇イザヤ書55章12~13節「あなたがたは喜びをもって出てきて、安らかに(平和のうちに)導かれて行く。山と丘とはあなたの前に声を放って喜び歌い、野にある木はみな手を打つ。・・・これは主の記念となり、また、とこしえのしるしとなって、絶えることはない」。

・前回お話したように、神と共にいる平和・平安(シャーローム)が、イザヤ書の一環したテーマ。メシアの出現、神の国における平和の預言は、イザヤ書のほかの箇所でも繰り返し預言されている。イザヤ54章10節では、「山々が移り、岡が揺るごうとも、私の慈しみはあなたから移らず。私の平和の契約は揺らぐことはない。」 

・イザヤ2章4節では、「・・・こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない」この言葉は、国連本部の広場のイザヤウォールに刻まれた言葉でも知られる。国連の力、人の力には限界。
・世界中、戦争や紛争、飢餓や貧困、災害やコロナなど多くの苦難に直面している。私たちも、経済的、精神的不安にさらされている。そうした中、御言葉の力、神の国は、絶対的な確かさを持つ。そこには、恐れる必要もなく、焦る必要もなく、究極の平和・平安と喜びがある。「山と丘とはあなたの前に声を放って喜び歌い、野にある木はみな手を打つ」(イザヤ書55章12節)感謝を忘れず、心から喜びと賛美を捧げよう。

3)最後に-要旨を振り返る
・最後に、キリストが井戸の水を汲みに来たサマリアの女に語られた御言葉を読んで終わります。

〇ヨハネによる福音書4章
4:13イエスは女に答えて言われた、「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。 4:14しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。

       (祈り)