IIコリント 1:1-11 IIコリント1『耐えられないほどの苦難』 2023/06/25 けんたろ

2コリント 1:1-11
1:1 神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロと、兄弟テモテから、コリントにある神の教会、ならびにアカイア全土にいるすべての聖徒たちへ。
1:2 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。
1:3 私たちの主イエス・キリストの父である神、あわれみ深い父、あらゆる慰めに満ちた神がほめたたえられますように。
1:4 神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。
1:5 私たちにキリストの苦難があふれているように、キリストによって私たちの慰めもあふれているからです。
1:6 私たちが苦しみにあうとすれば、それはあなたがたの慰めと救いのためです。私たちが慰めを受けるとすれば、それもあなたがたの慰めのためです。その慰めは、私たちが受けているのと同じ苦難に耐え抜く力を、あなたがたに与えてくれます。
1:7 私たちがあなたがたについて抱いている望みは揺るぎません。なぜなら、あなたがたが私たちと苦しみをともにしているように、慰めもともにしていることを、私たちは知っているからです。
1:8 兄弟たち。アジアで起こった私たちの苦難について、あなたがたに知らずにいてほしくありません。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、生きる望みさえ失うほどでした。
1:9 実際、私たちは死刑の宣告を受けた思いでした。それは、私たちが自分自身に頼らず、死者をよみがえらせてくださる神に頼る者となるためだったのです。
1:10 神は、それほど大きな死の危険から私たちを救い出してくださいました。これからも救い出してくださいます。私たちはこの神に希望を置いています。
1:11 あなたがたも祈りによって協力してくれれば、神は私たちを救い出してくださいます。そのようにして、多くの人たちの助けを通して私たちに与えられた恵みについて、多くの人たちが感謝をささげるようになるのです。

パウロはかつて、コリントのクリスチャンたちの中で起こっていたたくさんの問題を心配して、彼らを戒め、神さまへの信仰に立ち返るよう促す内容の手紙を送りました。
それが、コリント人への手紙第一です。

この手紙は、コリントに宛てた手紙として、第一の手紙の後に書かれました。
しかし、実際には第一と第二の手紙の間には少なくとももうひとつの手紙があったのではないかとされています
第一の手紙の後半は、実は第一の手紙とは独立した別の手紙であり、第一と第二の手紙をつなぐ手紙に当たるのではないかという説もありますが、定かではありません

いずれにしても、第一の手紙と第二の手紙の間にはいろいろなことがありました。
この手紙が書かれるまでに、パウロは一度コリントを訪れており、そこでは問題が起こり、パウロに反対する勢力が興ったようです。
彼らが広げた噂によって、コリントのクリスチャンの中には混乱が起こってしまいました。

コリントへの第二の手紙と称されるこの手紙では、そこに起こった問題を解決することが目的とされています。
それは、噂に対する弁明と、誤解を解き、コリントのクリスチャンと和解すること。
そして、パウロは確かにキリストの使徒であるということの証明でもあります。

パウロの手紙の中では珍しく、彼の心の内の思いや、感情的な部分が垣間見える第二コリントを通して、共に神さまのことを学んでいきましょう。

① キリストの苦難
第二コリントは、苦難の話題から始まっています。

1:4 神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。
1:5 私たちにキリストの苦難があふれているように、キリストによって私たちの慰めもあふれているからです。

「神さまを信じれば、苦しみはなくなるんだ」と信じていたら、間違いなくがっかりさせられることになるでしょう。
聖書には、そもそもそんなことは書かれていないからです。
私たちの生きる世界には、苦難がある。
苦難に満ちている。
だからこそ、神さまの助けと慰めが必要なのです。

そして、私たちは、神さまから受けた慰めによって、他の人たちを慰めることもできるようになります。

② 耐えられないほどの苦難
恵まれた環境に育ち、大して苦労もしていない人に、「生きていると大変なこともあるけど、大丈夫だよ」と言われても、「そうか、大丈夫だ」とは思えませんよね。
つまり、多くの人たちを助け、導くことができる人は、たくさんの苦難を経験する人でもあります。
パウロは自分の経験について語ります。

1:8 兄弟たち。アジアで起こった私たちの苦難について、あなたがたに知らずにいてほしくありません。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、生きる望みさえ失うほどでした。

これは、おそらく使徒の働き19章に記載されている、エペソでの出来事だと思われます。
エペソはトルコにある町の名まえで、アルテミスの神殿で有名でした。
パウロがエペソに滞在時、神殿の模型を売って生業としていたデメテリオという銀細工人が、パウロを名指しで攻撃し、何万人もの人々を巻き込む暴動となったのです。
この時のことを、パウロはこのように記しています。

1:8 兄弟たち。アジアで起こった私たちの苦難について、あなたがたに知らずにいてほしくありません。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、生きる望みさえ失うほどでした。

第一コリントの最後には、パウロは五旬節くらいまではエペソに滞在すると言っていましたが、彼らはそれよりも早くエペソを離れなければなりませんでした。
彼らは何万もの人に囲まれ、命からがらエペソを脱出したのです。
しかし、これもまた、神さまの導きだったとパウロは言います。

1:9 実際、私たちは死刑の宣告を受けた思いでした。それは、私たちが自分自身に頼らず、死者をよみがえらせてくださる神に頼る者となるためだったのです。
1:10 神は、それほど大きな死の危険から私たちを救い出してくださいました。これからも救い出してくださいます。私たちはこの神に希望を置いています。

この箇所は、第一コリントの中で、「神さまは耐えられない試練を与えない」という言葉が出た時に話題に上がりました https://crossroads-church.jp/?p=6463>
神さまは、私たちに耐えることができない苦難を与えることはあるという話です。
それは、私たちが自分の力に頼ることができず、100%神さまに信頼するしかないような状態に追い詰められる必要があったからです。