ヨブ記38:1~4、40:1~5「私はまことに卑しい者、取るに足りない者です」 ―義人ヨブの信仰告白―2023/10/08 小西孝蔵

  • ヨブに襲い掛かる試練 1章~3章 サタンの試み、ヨブの嘆きと信仰
  •  3人の友人との論争
    -苦難の意味と因果応報論- 4章~31章 エリファズ(3回)・ビルダテ(3回)・ゾファル(2回)⇒ヨブ8回
  • 仲介者・贖い主を仰ぎ見る 19章 ヨブの願いと神への訴え(祈り)
  • エリフの仲介 32章~37章 ヨブへの理解と創造主の力を紹介
  • 神様の啓示とヨブの応答
    -被造物に対する力と愛- 38章~41章 神の呼びかけ(2回)⇒ヨブの告白 
    -旧約から新約の福音へー 

目次

義人ヨブの回心と結び 42章 神との和解、人との和解、神の祝福

今回は、ヨブ記の4回目、次回42章が最終回になる。義人ヨブは、サタンが神の許しを得て行った試みにより、様々な苦難に襲われる。7千頭の羊、3千頭のラクダなどの全財産を次々に奪われた。更に愛する7人の息子と3人の娘を失った。死し、「裸で母の胎を出て、裸でかしこに帰ろう」という信仰。そして腫物、耐えがたいような重い皮膚病。追い打ちをかけるように、妻から愛想付かされる(その認識を改めたので、次回話したい)。最後にヨブを襲った苦難は、遠方から見舞いに来た3人の友の態度に失望させられ、サタンの思惑通り、ヨブは自暴自棄に落ちいったかに見えた。しかし、ヨブは、自分の生まれたことを呪ったが、神を呪わなかった。

・3人の友人との長い論争は、一言で言うと因果応報論がその焦点。友人たちは、「ヨブも神の目に悪いことをしているから、罰として災難が下される。」それに対してヨブは、「自分は神の前に正しい、にもかかわらす苦難に会うのは理解できない。」という並行した議論が続いた。
・3人の友人との論争を通じて、何の解決にも至らないヨブは、自分と神との間に、自分の代わりに自分を弁護してくれる「仲介者」(mediator)と「贖い主(redeemer)の存在を求めるようになる。19章は、長い論争の中のハイライト箇所。そこには、新約のキリストの予兆(foreshadow)、ないし伏線が感じられる。
〇ヨブ記19章「19:25わたしは知る、わたしをあがなう者は生きておられる、後の日に塵の上に立たれる。19:26わたしの皮がこのように剝ぎ取られたのち、わたしは肉を離れ、神を仰ぎ見る。」

2. エリフの役割(ヨブ記33)

・3人の友人の論争の後につけ加えられている、余分の感じもする。後からの挿入とする見解も。でも、6章分もあるのは、重要なメッセージのはず。エリフの主張は、3人の友人とは違う、ヨブは反論していない、最後に神から叱られていない。どこが違うのか?
〇ヨブ記33章「33:23もしそこに彼のためにひとりの天使があり、千のうちのひとりであって、仲保となり、人にその正しい道を示すならば、33:24神は彼をあわれんで言われる、『彼を救って、墓に下ることを免れさせよ、わたしはすでにあがないしろを得た。」
・この言葉は、まさにヨブが求めていた仲介者、贖い主の存在を示す言葉。そして、36章、37章の後半の2章は、自然界を通じて働かれる神様の御業を詳しく説明し、38章から始まる神様の語りかけの先取りをしているところがある。ヨブを神様に導く一つの役割を果たしているように思われる。しかし、それだけでは、ヨブはまだ納得しない。神様との直接的な出会いがないと納得できな
・私たちもヨブほどの苦難は受けなくても、病気や仕事など苦難に直面し、落ち込んだ時、家族や友人からの助言や励ましの言葉は、有難いと思うが、それだけで平安が取り戻せえない、やはり、自分が直接神様に向き合い、祈り求めることが大事。

3. 創造主の啓示(38章~41章)

〇ヨブ記38章「38:1この時、主はつむじ風の中からヨブに答えられた、38:2「無知の言葉をもって、神の計りごとを暗くするこの者はだれか。・・・38:4わたしが地の基をすえた時、どこにいたか。もしあなたが知っているなら言え。」
「38:25だれが大雨のために水路を切り開き、・・・38:27荒れすたれた地をあき足らせ、これに若草をはえさせるか。・・・38:41からすの子が神に向かって呼ばわり、食物がなくて、さまようとき、からすにえさを与える者はだれか。」
・宇宙万物をお造りになったなった神の業は、宇宙、大自然の中の神秘に現わされている。自然を通じて、創造主として万物を支配される力と、被造物に対する限りない愛が感じ取れる。自然や動植物に対して神様がどのようにデザインされているかは、詩編104篇、詩編121篇、147篇等に記されている通り(ヨブ記でも引用)。
〇詩編104篇「104:1わがたましいよ、主をほめよ。・・・104:5あなたは地をその基の上にすえて、とこしえに動くことのないようにされた・・104:10あなたは泉を谷にわき出させ、それを山々の間に流れさせ、・・12空の鳥もそのほとりに住み、こずえの間にさえずり歌う。・・・地はあなたのみわざの実をもって満たされる。」
〇詩編121篇1節「我山に向かいて目を上げる、わが助けは、いずこより来るか」
・自然から学ぶこと、先ず、人間が自然を解析、予測、支配したように見えても、常に、想定外のこと、未曽有の災害が起きる。そこに人知を超えた神の支配を感じる、それから、動物の子育て、獲物を捕らえる天性の能力を見ると神の神秘、被造物に対する愛を感じる。NHK「ダーウィンが来た」の先日の番組「北海道のシマフクロウ」、真っ暗闇の中、木の上から小川の魚を取る超能力に感心。我が家の床下で作り出したミツバチの不思議な能力も神様のデザイン。
・自然を見ても、科学の力だけを信じて神の存在を信じない人が多いことも事実。しかし、科学的な証明では証明できないと同時に、神がいないということも科学的に証明できない。宇宙や自然の神秘という状況証拠を見て、神の御業を信じるかどうか、神様のメッセージ、神様の霊の働きを受け取るかどうかが分かれ道。

4. ヨブの信仰告白(40章)

〇ヨブ記40章「40:1主はまたヨブに答えて言われた、40:2「非難する者が全能者と争おうとするのか、神と論ずる者はこれに答えよ。40:3そこで、ヨブは主に答えて言った、40:4「見よ、わたしはまことに卑しい者です、なんとあなたに答えましょうか。ただ手を口に当てるのみです。」
・「卑しい者」(口語訳)、「卑しき者」(文語訳)、「取るに足りない者」(聖書協会共同訳)、“Unworthy”(NIV)、“Vile”(悪者)(KJV)となっている。ヨブは、ついに、神の前に自分は罪人という自覚に到達した。
・ヨブは、28章に及ぶ3人の友人との長い論戦、さらに6章にも及ぶエリフの仲介にも拘わらす、神様の意図が分からず、行きづまっていた。にもかかわらず、神様からの直接の語りかけ(38~41章)によって、神の前に全面降伏するに至った。一体どのような心境の変化があったのか、不思議。おそらく、ヨブは、神様から直接的な啓示を受け、「宇宙万物を創造し支配する圧倒的な力」と、「被造物に注がれる限りない愛」についに心を動かされたのに違いない。
・ヨブは、旧約時代でキリストに出会っていないが、山上の垂訓にあるキリストの次の言葉に込められた神様の愛に触れたのではないか。
〇マタイ6章「 6:26空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。 ・・・」
・空の鳥、野の草のような小さなものでさえ、神様は養っていてくださる、あなた方は彼らよりはるかに優れたものではないか、という神様の厳しさと共に、その中に込められた愛にヨブは心を打たれたのだと思う。

5.キリストによる神の義(ロマ書等)

・ヨブは、神様の啓示により、神の前に自分の義を打ち砕かれた。パウロがロマ書3章10節で引用している「義人は一人もいない」という旧約聖書(詩編14章)の言葉は、義人ヨブにも当てはまる。ヨブも神の前には義人ではない。
〇ローマ人への手紙3章「3:9すると、どうなるのか。わたしたちには何かまさったところがあるのか。絶対にない。・・・ 3:10次のように書いてある、「義人はいない、ひとりもいない。・・・3:12すべての人は迷い出て、ことごとく無益なものになっている。善を行う者はいない、ひとりもいない」。
・神の憐みにより、キリストという仲介者、贖い主によって、神様との関係を回復して頂く、それが神の義の実現ということ。
〇ローマ人への手紙3章「3:23すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、 3:24彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。」
・この言葉は、私が学生時代に人生に行き詰まって、立ち上がれなくなっていた時に、与えられた言葉。自分は、何の取柄もない人間、いや、人には言えないような見にくい、罪深い人間だ。にもかかわらず、神様は、イエス様という仲介者、贖い主を遣わして下さり、価なくして、罪の奴隷から買い戻し、自由にして下さった。何という恵みであろうか。神様は、私たち一人一人を愛して下さるからこそ、訓練として鞭を与えられる。しかし、それは、単なる罰ではなく、愛の鞭である。
・ヨブの告白のように、神様の前に「卑しい者、取るに足りない者」、そうした自分は、パウロが言う「土の器」のような存在でもある。その土の器の姿であっても、キリストの光を宿し、神様の栄光を現すことができるようにと祈り求めて生きたい。
〇Ⅱコリント4章7節「4:7しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。」

(本日の要約) (祈り)