IIコリント 10:1-11 IIコリント19『肉ではなく霊に従って戦う』 2023/12/03 けんたろ

IIコリント 10:1-11
10:1 さて、あなたがたの間にいて顔を合わせているときはおとなしいのに、離れているとあなたがたに対して強気になる私パウロ自身が、キリストの柔和さと優しさをもってあなたがたにお願いします。
10:2 私たちが肉に従って歩んでいると見なす人たちに対しては、大胆にふるまうべきだと私は考えていますが、そちらに行ったときに、その確信から強気にふるまわないですむように願います。
10:3 私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。
10:4 私たちの戦いの武器は肉のものではなく、神のために要塞を打ち倒す力があるものです。
10:5 私たちは様々な議論と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち倒し、また、すべてのはかりごとを取り押さえて、キリストに服従させます。
10:6 また、あなたがたの従順が完全になったとき、あらゆる不従順を罰する用意ができています。
10:7 あなたがたは、うわべのことだけを見ています。もし自分はキリストに属する者だと確信している人がいるなら、その人は、自分がキリストに属しているように、私たちもキリストに属しているということを、もう一度よく考えなさい。
10:8 あなたがたを倒すためにではなく、建てるために主が私たちに与えてくださった権威について、私が多少誇り過ぎることがあっても、恥とはならないでしょう。
10:9 私は、手紙であなたがたを脅しているかのように思われたくありません。
10:10 「パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会ってみると弱々しく、話は大したことはない」と言う人たちがいるからです。
10:11 そのような人は承知していなさい。私たちは、離れて書く手紙のことばどおりの者として、そちらに行ってもふるまいます。

第二コリントは10章から最後のパートへと入っていく。
このパートで、パウロは悪口を広めたアンチの人たちとの対決している。
私たちが陰口や悪口と戦う参考になるかどうかはわからないが、向き合い方を学ぶことはできると思う。

① パウロは弱気なのか?
アンチパウロ派の人々がコリントの人々に吹き込んでいたことのひとつは、手紙では偉そうなことを言っていても、実際のパウロは大したことが無いということだった。

10:1 さて、あなたがたの間にいて顔を合わせているときはおとなしいのに、離れているとあなたがたに対して強気になる私パウロ自身が、キリストの柔和さと優しさをもってあなたがたにお願いします。

ここで「あなたがたの間にいて顔を合わせているときはおとなしいのに、離れているとあなたがたに対して強気になる」と言っているのは、アンチパウロ派の人々。
第一の手紙の中で、厳しいことばを書いていたパウロだったが、実際に会うと弱気だというのが彼らの言いふらしていたことだった。
しかしパウロは、「弱気なのではなく、キリストの柔和と優しさをもって接しているのだ」と言う。
実際、パウロは議論の力がずばぬけていて、哲学者とも議論で渡りあうことができた。

10:2 私たちが肉に従って歩んでいると見なす人たちに対しては、大胆にふるまうべきだと私は考えていますが、そちらに行ったときに、その確信から強気にふるまわないですむように願います。

「あなたたちと話す時に、その本領を発揮して、あなたたちを打ちのめす必要がないことを願う」とパウロは言っている。
噂や悪口の大半は、人のうわべだけを見て言っていることなので、真実からかけ離れていることが多い。
そんなときには、うわべでは分からない本当の自分を見せるだけでいい。
噂に振り回されていた人たちも、それがでたらめだということを理解すれば、悪口を言う人たちを信用しなくなっていくだろう。

② パウロが柔和に接していたわけ
パウロは、なぜ人々に対して強気に接していなかったのだろう?
そうしようと思えば、議論で相手をねじ伏せたり、上から命令するようなこともできた。
しかしパウロは、人と接するときは柔和に、優しく接していた。
そのためになめられ、コリントの人々からも低く見積もられるようになってしまった。
パウロが柔和に徹していたのは、パウロが肉によって戦うことがなかったからだという。

10:3 私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。
10:4 私たちの戦いの武器は肉のものではなく、神のために要塞を打ち倒す力があるものです。

「肉に従う」というのは、感情に任せて行動するというのが近い。
自分の気持ちや思いで行動してしまうとあまりいいことはない。

エペソ 4:26 怒っても、罪を犯してはなりません。憤ったままで日が暮れるようであってはいけません。

理性的であれば霊に属しているというわけではないが、感情に流されて行動するべきではないことは確かだと言える。
私たちが戦う相手は悪魔であり、私たちが直面するのは霊的な戦いだということを忘れてはならない。
霊的な戦いに備えて何をすればいいのか、パウロは手紙の中で記している。

エペソ 6:11 悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。
6:12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。
6:13 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、一切を成し遂げて堅く立つことができるように、神のすべての武具を取りなさい。
6:14 そして、堅く立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、
6:15 足には平和の福音の備えをはきなさい。
6:16 これらすべての上に、信仰の盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢をすべて消すことができます。
6:17 救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。

霊的な戦いは、必ずしも肉体的な戦いをしないこととは限らないが、神さまに従い、神さまが導いてくださる戦い。
大切なのは、神さまとの深い関係の中で、神さまの導きに従って歩むこと。
一方で、アンチパウロの人々は、完全に肉的な思いに支配された戦いを行っていた。
パウロを陥れ、打ち砕こうというのだ。
パウロがその戦いに参加せず、霊的な戦いを意識することができたのは、パウロの強さと信仰を表すことに他ならない。

③ 霊的な戦いが生み出すこと
では、霊的な戦いではどんな結果が生まれるのか?
この霊的な戦いによって、パウロは相手を倒すのではなく、建て上げようとしている。

10:8 あなたがたを倒すためにではなく、建てるために主が私たちに与えてくださった権威について、私が多少誇り過ぎることがあっても、恥とはならないでしょう。

霊的な戦いに勝利するとき、相手は打ちのめされるのではなく、むしろ目が開かれ、神さまに立ち返ることになるのだ。
ただし、そこにあるのは平和的な解決法だけとは限らない。
本当に戦う相手とは、容赦なく立ち向かう勇気も私たちには求められている。

10:9 私は、手紙であなたがたを脅しているかのように思われたくありません。
10:10 「パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会ってみると弱々しく、話は大したことはない」と言う人たちがいるからです。
10:11 そのような人は承知していなさい。私たちは、離れて書く手紙のことばどおりの者として、そちらに行ってもふるまいます。

今、私たちが戦うべきはどのような戦いだろうか?
そこで私たちは、何をするべきなのだろう?
その導きに、耳をすましてみてはいかがだろうか?