創世記 1:1-31 創世記1 『神と人』 2024/02/04 けんたろ

創世記 1:1-31
1:1 はじめに神が天と地を創造された。
1:2 地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた。
1:3 神は仰せられた。「光、あれ。」すると光があった。
1:4 神は光を良しと見られた。神は光と闇を分けられた。
1:5 神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。

1:24 神は仰せられた。「地は生き物を種類ごとに、家畜や、這うもの、地の獣を種類ごとに生じよ。」すると、そのようになった。
1:25 神は、地の獣を種類ごとに、家畜を種類ごとに、地面を這うすべてのものを種類ごとに造られた。神はそれを良しと見られた。
1:26 神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」
1:27 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。
1:28 神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。」
1:29 神は仰せられた。「見よ。わたしは、地の全面にある、種のできるすべての草と、種の入った実のあるすべての木を、今あなたがたに与える。あなたがたにとってそれは食物となる。
1:30 また、生きるいのちのある、地のすべての獣、空のすべての鳥、地の上を這うすべてのもののために、すべての緑の草を食物として与える。」すると、そのようになった。
1:31 神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日。

創世記は、聖書の中で最も大切な書だと思っている。
それは、聖書全体の土台となる部分であり、これから読み進めていく聖書が何について書かれ、どのようなものなのかを読み取ることが、創世記の重要なポイントだから。

聖書の最初の部分は、神話的な描かれ方がされている。
それは、この部分が神の領域であり、私たち人間を中心には描かれていないから。
私たちは、つい自分の知識や価値観を主体にして聖書を理解しようとしてしがち。
現代の価値観で聖書の時代の話を読めば残酷で、非人道的な部分もたくさんあるし、それをそのまま現代の私たちに当てはめようとすれば社会のそぐわないことになってしまう。

このメッセージのシリーズが、聖書の意図を読み取り、それを理解しながら読み進めていく助けになることを願っている。

① 天地創造
創世記の1章は、天地創造についての記述。
最初は、「はじめに神が天と地を創造された」という言葉から始まっている。
実はこれは、神が無から有を創造したということがポイントではないし、原文でもそのような言葉は使われていない。
この節のポイントは、「『神が』この世界を『創造した』ということ」。

「この世界は、偶然に発生したのではなく、創造主によって意図的に創造された」というのが、聖書全体の前提となっている。
それを、科学的に説明したり、説得したりする意図は聖書にはない。
もともとこの聖書が人々に伝えられたとき、その時代の、その地域の人々に分かりやすい方法で書かれている。

② 完全で素晴らしい世界
天地創造には、他にも重要なポイントがある。
第二のポイントは、「神によって創造された世界は、素晴らしく完全だった」ということ。
世界は、最期に神が休まれたことも含めて7日間で成り立っている。
7という数字は、ユダヤ人たちにとって神や完全なものを表す完全数である。
そして、それぞれの日の創造のあと、「神はそれを見てよしとされた」という言葉が記されている。
それは、この世界が、完全な神さまによって創造された完全なものだったことを意味している。

私たちは、自分の人生やこの世界で様々な経験をする中で、神さまに文句を言いたくなることがあると思う。
でも、それは神さまに対する不当な非難だと言わざるを得ない。
創世記を読み進める中でわかるのは、「神さまが創ったこの世界は素晴らしく完全なものだったこと」そして、「それを台無しにしてしまったのは、私たち人間だ」ということだ。

今日の聖書の範囲には含まれていないが、この世界が壊れてしまったのは、私たち人間が神さまに背き、「罪人」となってしまった結果だということがわかる。
それは、必ずしも私たち個人が何かをした結果ではないかもしれないが、人間が罪人となったこの世界では、生きるために様々な問題が起こる。
人同士の争いや不公平、仕事の辛さや病気、そしてその極めつけが死である。
そのような様々な問題は、私たち人間がこの世界に招いたものであり、神さまが創造したものではない。
むしろ、神さまの不在によって起こる呪いのようなものである。

③ 人の創造
天地創造でのクライマックスは、人間の創造である。

1:26 神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」

人は、①神のかたちとして、②神の似姿に、そして③この世界のものを支配する存在として創造された。

この箇所で、神さまがご自身のことを「われわれ」と呼んでいるのは、神さまが父・子・聖霊による三位一体の存在だから。
そして、私たちは神のかたちとして作られた。
目で見ることのできない神さまの意思を実現するものとして私たちが存在することを意味している。
「神のかたち」として最も完成しているのは、イエスさまである。

コロサイ 1:15 御子は、見えない神のかたちであり、すべての造られたものより先に生まれた方です。

だから、私たちが、キリストのからだとしてこの世界で生きていくことは、理にかなったことであり、本来のあるべき姿がそこにある。

また、私たちは「神の似姿」としても造られた。
それは、私たちの内に神の本質が宿っていることも意味している。
神さまが愛であるように、私たちも愛するものとして創造されたということでもある。
罪人となった私たちは、なかなかそれを発揮することができないが、創造されたままの自分へと成長していく中で、そのように変えられていくはず。

そして、私たちは、この世界のものを支配する存在として創造された
ここにある「支配」とは、「治める」という意味の言葉。
神さまの代理として治め、管理するということ。
私たちには、この世界のバランスを保ち、良いものを生み出し、維持していくという使命が与えられている。
私たちが好きにするということではなく、世界を良い方向に向かわせていくように命じられている。
しかし、今この世界がおかしくなってしまっていることの大きな理由の一つは、私たちがこの世界を治めるのではなく、自分の思いに従って支配し、破壊しようとしてしまっているからだ。
自然環境ばかりでなく、人や経済など、人が自分の思いのままに支配する場所にはたくさんの問題が起こる。
いじめ、ブラック企業、レイプ、戦争、貧困問題、カルト、全ては一部の人による他者の支配から起こるできごとだ。

私たちが、みんな神さまだけの支配の中に生き、神さまの御心に従ってこの世界を治めるなら、この世界はより良い方向へと向かっていくだろう。
神さまが与えている役割を、よりよく果たし、この世界をより良い方向に導いていきたいものだ。