エレミヤ1章「神様の召命-まだ若い、もう年だと言ってはいけない-」 2024/02/11 小西孝蔵

1. エレミヤの時代的背景とエレミヤの役割

・今回からエレミヤ書を学び始めることにした理由は? 前回まで取り上げたヨブ記
は、財産や家族、健康もすべて失った自身の苦難の中、ヨブの内面の葛藤と神様に立
ち帰る信仰を学んだ。エレミヤ書は、民族が滅ぼされるという国全体の悲劇と迫害の
中、神に忠実に従うエレミヤの信仰の歩みを取り上げている。両者は、時代的にも同
じ時代に編集されたとも言われ、内容的に共通している箇所が多いことも、興味深い。
現代に生きる私たちも、個人的にも国全体としても大きな試練の中にあるので、エ
レミヤの信仰の歩みから学ぶべきことは多い。

・エレミヤは、ユダ国のヨシア王の後半(前626年)に神様から預言者としての召命
をうけ、バビロンに滅ぼされる(前586年)ゼデキア王の時代まで約40年間預言し続
けた(年表参照)。

○エレミヤ書1章
1:1ベニヤミンの地アナトテの祭司のひとりである、ヒルキヤの子エレミヤの言葉。 
1:2アモンの子、ユダの王ヨシヤの時、すなわちその治世の十三年に、主の言葉が
エレミヤに臨んだ。 1:3その言葉はまたヨシヤの子、ユダの王エホヤキムの時にも臨
んで、ヨシヤの子、ユダの王ゼデキヤの十一年の終り、すなわちその年の五月にエル
サレムの民が捕え移された時にまで及んだ。

・アナトテは、エルサレムの郊外北東3キロの田舎町。エレミヤの先祖は、ダビデに仕
えた祭司だったが、ソロモンの兄で王位継承で争って殺されたアナニヤに仕えたため
に追放された。エルサレムの祭司からすると、いわば、反主流派と言える。預言者イ
ザヤが王の側近で主流派ともいうべき祭司であったのとは対照的。

・ヒゼキヤ王に仕えた預言者イザヤの死後、エレミヤも、バアルという異教の神を崇
拝し、不正を図り、神から離反し続けるユダの民に対し、悔い改めないと滅びると警
告し続けた。そして、最後は、バビロン捕囚に会い、エレミヤ自身はエジプトに連行
されて殺されたと言われている。幾多の迫害にもかかわらず、エレミヤは、生涯独身
のまま、身をもって民の不幸を予見しつつ、神様の命に忠実に従った。このため、彼
は、「孤独の預言者」あるいは「悲哀の預言者」とも呼ばれる。(レンブラントによ
る「エルサレムの滅亡を嘆くエレミヤ」の肖像画-表紙を参照)

・また、イザヤ書(第2イザヤ)の「苦難の僕」はキリストの生涯を予見した預言書で
もあるが、エレミヤ自身は、その原型の一人とも言われている。神様のみ旨に忠実に
従い、命がけで、キリストの先駆けとして預言し続けた。本日の聖書箇所であるエレ
ミヤ第1章は、エレミヤに神様から与えられた召命について取り上げている。

2. エレミヤの召命

○エレミヤ1章「1:4主の言葉がわたしに臨んで言う、1:5「わたしはあなたをまだ母の
胎につくらないさきに、あなたを知り、あなたがまだ生れないさきに、あなたを聖別
し、あなたを立てて万国の預言者とした」。
・神様は、ユダヤの民が悔い改めて、ご自身に立ち帰るために、エレミヤを預言者と
して選び、神の僕としての重い責任を負わせられた。
「1:6その時わたしは言った、「ああ、主なる神よ、わたしはただ若者にすぎず、どの
ように語ってよいか知りません」。 1:7しかし主はわたしに言われた、「あなたはた
だ若者にすぎないと言ってはならない。だれにでも、すべてわたしがつかわす人へ行
き、あなたに命じることをみな語らなければならない。1:8彼らを恐れてはならない、
わたしがあなたと共にいて、あなたを救うからである」と主は仰せられる。」

・エレミヤは、まだ若いので、神様の召命に対して躊躇する。それに対して、神様は
、若ものと言ってはいけない、私の命に従いなさい、私が共にいるから恐れることは
ないと言われた。

・神様からの召命は、年齢とか、職業とか、身分とか、問われない。私たち一人ひと
りの特性も考えて、神様のベストとタイミングで呼ばれる。また、預言者や牧師とし
てだけでなく、神の僕として、様々な仕事や役割を命じられる。その時に、つい弱音
を吐いてしまいがち。自分はまだ若いから無理とか、逆に、もう年だから無理などと。
でも、言い訳をして逃げてはいけない(70歳を過ぎた自分にもそういわれている気
がする)。

・神様が共におられて重荷を担って下さるから、恐れることはないのです。たとえ、
口下手だったとしても、何を語るべきか神様自身が言葉を与えて下さる。だから、何
を話そうかと思い煩ってはいけない。エレミヤに次のように語りかけられた。

○エレミヤ1章「1:9そして主はみ手を伸べて、わたしの口につけ、主はわたしに言われ
た、「見よ、わたしの言葉をあなたの口に入れた。1:10見よ、わたしはきょう、あな
たを万民の上と、万国の上に立て、・・・あるいは倒し、あるいは建て、あるいは植
えさせる」。

3. 神様の実物教育
・神様は、エレミヤに召命を理解させるために、しばしば実物教育をされた。

○エレミヤ1章「1:11主の言葉がまたわたしに臨んで言う、「エレミヤよ、あなたは何
を見るか」。わたしは答えた、「あめんどうの枝を見ます」。 1:12主はわたしに言わ
れた、「あなたの見たとおりだ。わたしは自分の言葉を行おうとして見張っているの
だ」。

・あめんどうとは、アーモンドの木で春一番に咲く、梅のような花で、ヘブライ語で、
「見張る」「目覚める」という意味があるそうだ。ユダの民の罪が裁かれ、神の正
義が実現するという、春の訪れを象徴している。エレミヤは、アナトテという郊外の
田舎町にいたので、自然に接する機会が多かったと思われる。

「1:13主の言葉がふたたびわたしに臨んで言う、「あなたは何を見るか」。わたしは
答えた、「煮え立っているなべを見ます。北からこちらに向かっています」。 1:14主
はわたしに言われた、「災が北から起って、この地に住むすべての者の上に臨む
」。 1:15主は言われる、「見よ、わたしは北の国々のすべての民を呼ぶ。・・・」

・「煮えたぎる鍋」は、おそらく、料理をしていた時に、神様から示された実物教育
だったと思われる。北から、スキタイ、別名匈奴という騎馬民族が攻めてくるという
預言、現実には、スキタイは、ユダを滅ぼすことにはならなかったが、のちにバビロ
ンに滅ぼされることになる。

・神様は、私たちに分日常生活で目にするものを通して語り掛けられる。イエス様が
、たとえ話をしばしば用いられたのもそのため。私たちは、そうした神様の実物教育
の中で、「ぼーっと生きてる」のではなく、目を見張っていることが大事。
・余談だが、私自身のささやかな召命の体験について一言。学生時代、将来の進路が
湧か見えなくなって、不安と迷いを苦しんでいた時に、三重県の愛農高校で行われた

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聖書研究会(バイブルキャンプ)参加した。その時に、校門に書かれた「神を愛し、
人を愛し、土を愛する」という言葉に心が動かされ、農業関係の仕事が自分にとって
の天職、召命と思えるようになった。

4.神様の召しをどう受け止めるか?
⓵召しは、責任を負うこと
・エレミヤの召命をもう少し堀りさげて、私たちに対する神様の召命をどう受け取っ
たらいいのかについて考えてみたい。
・神様の召命には、逃げられない責任や義務が伴ってくる。日々自分の十字架を負っ
て私に従ってきなさいとイエス様は弟子に「だれでもわたしについてきたいと思うな
ら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。」(ルカ9章
23節)と語っておられたのを思い出す。

・神様の「召し」という言葉は、パウロやペテロも度々使っているが、ギリシャ語で
は、「神の恵みによる責任」を意味する(動詞カレイン、名詞クレーシス)。キリス
トも「日々自分の十字架を負って私に従ってきなさい」と言われた(ルカ9章23節)

・召命というと、つらい、重荷だというイメージを持ちがちだが、責任と同時に、神
様に愛されるゆえに、恵みとして与えられる。その時は、つらいかも知れないが、神
様の御心にかなうことであり、恵みであることがその時に分からなくても後に分かる。

〇1ペテロ2章「2:20・・・しかし善を行って苦しみを受け、しかもそれを耐え忍んで
いるとすれば、これこそ神によみせられることである。 2:21あなたがたは、実に、そ
うするようにと召されたのである。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、
御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである。」

②弱い時に強い
・神様からの召しの受け止め方に二つ目。自分の力が足りないと嘆くのではなく、イ
エス様が共に重荷を担って下さるから、荷は軽い。弱い時に強い、弱い時に神の力が
完全に現れるからだとパウロは言っています。第2コリント2章12章にある通りで。

「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあら
われる。・・・ 12:10・・・なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからで
ある。(Ⅱコリント12章9,10節)

・この聖句によって、神様から「和解」という召命を示され、今も活動を続けておら
れる方、恵子ホームズさんの証しについて少しだけ触れてみたい。彼女は、三重県の
出身だ、イギリス人男性結婚して、信仰に導かれたが、ご主人は、飛行機事故で亡く
なられ、彼女と二人のお子さんがイギリスの地に残された。そうした時に、故郷にあ
る英国捕虜の墓地で慰霊の営みが戦後も続けれているのを見たことがきっかけで、日
本に恨みを板き続けているイギリス国内の元捕虜の兵士に会ってお詫びすることを神
様から示された。自分にはそんな力がないと思っていた時に、神様から示されたのが、
「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあ
らわれる。」という言葉であった。それから30数年経った現在も、戦争による憎しみ
で引き裂かれた関係を和解に導く活動を続けられている。

③小事に忠実
・召命の受け止め方の三つ目。召命は、預言者や伝道者になるというような人生上の
大きな転換だけでなく、子育て、介護、仕事など、日常の営みにおいて、神様から示
された小さな役目でもある。イエス様も、「小事に忠実なものは大事にも忠実である

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」(ルカ16章10節)と言われている。目の前の小さなことを通じて、神様と人とに仕
えることが大事。仕事でも、国や会社を動かすような大きな仕事だけでなく、例えば
、営業や、経理・事務の仕事を引き受けることも等しく大事な仕事。それによって、
他者のためになり、人から喜ばれることにもなる。私自身、かつては、最も苦手な分
野だったのが、いつの間にか、ライフワークのようなものになったものもある。

5.主の栄光が現れる
・召命によって、神様の僕として責任を負うことにより、時には大きな試練に見舞わ
れることもあるが、これは、神様の恵みによって与えられたミッションであり、その
ことを通じて、神様の栄光が現わされる。苦労や試練がむしろ恵みとして喜びに変わ
るのは素晴らしい。
自分が

〇1ペテロ4章「4:12愛する者たちよ。あなたがたを試みるために降りかかって来る火
のような試錬を、何か思いがけないことが起ったかのように驚きあやしむことなく
、 4:13むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど、喜ぶがよい。それは、
キリストの栄光が現れる際に、よろこびにあふれるためである。」

○ローマ人への手紙8章「 8:30そして、あらかじめ定めた者たちを更に召し、召した者
たちを更に義とし、義とした者たちには、更に栄光を与えて下さったのである。」
・だからこそ、主のみ名が崇められるように、日々、主の御用に与かることを主に感
謝しよう。

「主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない
」(詩編136篇1節)。

・最後に、本日のメッセージ要旨を紹介。(祈り)            以上