コロサイ3:1-14『古い人ではなく新しい人を着る』 2024/03/10 山本昇平

アイデンティティって大事じゃないですか?

アムールトラの話

このトラの敗因はなにか?

自分がトラだということを知らなかった

クリスチャンにも起こりうること

では、キリスト者の本当のアイデンティティはなにか?
自分の本当のアイデンティティを知っているか?

私たちのアイデンティティに関して
聖書には古い人と新しい人が出てくる

古い人は誰か? 
 キリストを知る前の肉のうちにいる私たち、あるいはキリストにある幼子

新しい人は誰か? 
 キリスト

教会の中にある数ある誤解のひとつ

「罪や傷ついた自分が霊的成長とともに癒され、罪から解放される」

この誤解の一番の問題は、その人の信じているアイデンティティが古い人のままということ

古い人は御霊になく、肉にあるのでその価値観も生き方も変わることができない

いい例が荒野のイスラエルの民

神がどれほど良くしようが奇跡を起こそうが御霊のうちになく肉的な民は頑なで変わらない

わたしたちは古い人が信仰によって徐々に新しい人になっていくのではなく、信じた瞬間に新しい人に生まれ変わり、その新しい人がますますキリストの形になる、というのが真実

イザヤにあるように神は陶器師として壊れた器を修復するのではなく、むしろ壊して作り直す

私たちは今日、自分を辞める必要がある

その過去がどのようなものであっても、
古い人は脱ぎ捨て、古い人に留まらせようとするものを捨てていく必要がある

霊的に私たちは、ギリシア人もユダヤ人も日本人でもない、国籍が天に変わっていて神の前では新しい名が与えられている

神の前に、すでにキズもなく、汚れもなく、責めるべき罪もなく、すでに聖なるものだし、すでに罪に勝利してるし、愛の人だし、すでに全て与えられてキリストのような存在に生まれ変わっている

キリストの命の代価が罪を取り除き、私たちが本来持っていた神の子としての特権を全て回復させた

その新しい人がわたしたちの本来のアイデンティティ

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく作られたものです。古いものは過ぎ去り、全てが新しくなりました。

キリスト教会の中にある誤解で害悪な考えだと個人的に思っているのは、

特別な人がキリストのようになり、特別な人だけが特別な油注ぎを受ける

という考え

しかし、聖書は真っ向からそれを否定する

だいたい神の前に特別な人はいない

ユダヤ人だろうが、漁師で学がないペテロだろうが、人殺しのパウロだろうが、だれだろうが、大人だろうが子供であろうが、だれでも、不敬虔なものをキリストによって義と認めてくださる神を信じるなら、

その瞬間に新しい人、キリストのような存在にされ、エペソに書いてあるように天にあるあらゆる霊的祝福をもって祝福されている

あのコリントのクリスチャンさえ、すべて与えられ、聖なるもの、賜物にかけのないものと言われている

キリストをさえ与えた方は、他を惜しむ理由がない

キリストを着るなんて滅相もない、という気持ちは理解できる

しかしそれはむしろ私たちの選択ではなく、神の命令であり、神の期待していること

新しいファッションは、着続けること自分のファッションになる

どのようにキリストを着るか?

どのようにキリストのように変えられていくのか?

変えてください!と祈ることか?

聖書の提供している唯一の方法は、心の一心によって

肉が強いな、罪に抵抗できないな、とわたしたちが思うのは、その欲望や罪に心の奥底ではまだメリットを感じているから

小さい時にウルトラマンの怪獣消しゴムのために死ぬほど時間とお金を注ぎ込んだが、今はそれに価値を感じない

同じように新しい人となり、御霊によって導かれると、それほど頑張らなくとも罪に魅力を感じなくなる。心が一新され、価値観が変わっているから

今頑張らなくても怪獣消しゴムに手を出すことはしないのと一緒

逆にはなんとか頑張って罪を犯さまいとしている状態は、実は、まだ古い価値観に縛られてる

聖書は霊的に成長したら罪から解放される、とは言ってない

わたしたちが新しい人とされた時に、すでに御霊によって恵の中で罪から解放され、キリストのような性質、キリストの賜物を与えらていて、キリストがそうだったように自分の意志よりも父の意志を愛する存在となる

一番イメージしやすいのは、私たちはキリストの体

かしらなるキリストとの関係において、そのかしらにつながっている限りキリストと一つにみなされ、キリストから、溢れるばかりの命が注がれる

しかし、もし体の一部分が切断されれば、それは本体ではないので、命の流れは止まり、その切断された部分も本体と一つとみなされない

わたしたちがどんなにキリストに似た存在となっても、
キリストと離れてはなにもできない、なにもない存在

しかしキリストにあればなんでもできる存在

わたしたちがキリストと一つとなることによって、
キリストがそうだったように父とも密な関係をえる

これこそ創世記で初めの人アダムが失った特権であり、
神ご自身が私たちと密な関係を望んでいる

わたしたちは圧倒的な罪の赦しの中でキリストのアイデンティティに留まるなら、ますますキリストを知るようになり、キリストを知ることによって父を知るようになる

知りかたにはレベルがあります。

オタク
友達
家族
伴侶

あなたはどの知りかたをしていますか?

諦めることなく、失敗しても悪魔のウソには耳を貸さず
キリストを意識して毎日着続けること

もし古い自分に生きていたら、今日自分を辞める準備はできてるか?

神の前に、すでにキズもなく、汚れもなく、責めるべき罪もなく、すでに聖なるものだし、すでに罪に勝利してるし、愛の人だし、すでに全て与えられてキリストのような存在に生まれ変わっている

答えは、私たちの外にあるのではなく、私たちの内側に住んでおられるキリストにある

ミケランジェロの話

なにかキリストのようになろうとして足すのではなく、
むしろキリストでない部分を削ること

わたしたちがキリストのような存在になることで、主は私たち一人一人によって神の国を広げるのを望んでいる