創世記5:1-32 創世記8『神とともに歩む』 2024/04/21 けんたろ

創世記 5:1-5、21-26
5:1 これはアダムの歴史の記録である。神は、人を創造したとき、神の似姿として人を造り、
5:2 男と女に彼らを創造された。彼らが創造された日に、神は彼らを祝福して、彼らの名を「人」と呼ばれた。
5:3 アダムは百三十年生きて、彼の似姿として、彼のかたちに男の子を生んだ。彼はその子をセツと名づけた。
5:4 セツを生んでからのアダムの生涯は八百年で、彼は息子たち、娘たちを生んだ。
5:5 アダムが生きた全生涯は九百三十年であった。こうして彼は死んだ。
5:6 セツは百五年生きて、エノシュを生んだ。
5:7 セツはエノシュを生んでから八百七年生き、息子たち、娘たちを生んだ。
5:8 セツの全生涯は九百十二年であった。こうして彼は死んだ。
5:9 エノシュは九十年生きて、ケナンを生んだ。
5:10 エノシュはケナンを生んでから八百十五年生き、息子たち、娘たちを生んだ。
5:11 エノシュの全生涯は九百五年であった。こうして彼は死んだ。
5:12 ケナンは七十年生きて、マハラルエルを生んだ。
5:13 ケナンはマハラルエルを生んでから八百四十年生き、息子たち、娘たちを生んだ。
5:14 ケナンの全生涯は九百十年であった。こうして彼は死んだ。
5:15 マハラルエルは六十五年生きて、ヤレデを生んだ。
5:16 マハラルエルはヤレデを生んでから八百三十年生き、息子たち、娘たちを生んだ。
5:17 マハラルエルの全生涯は八百九十五年であった。こうして彼は死んだ。
5:18 ヤレデは百六十二年生きて、エノクを生んだ。
5:19 ヤレデはエノクを生んでから八百年生き、息子たち、娘たちを生んだ。
5:20 ヤレデの全生涯は九百六十二年であった。こうして彼は死んだ。
5:21 エノクは六十五年生きて、メトシェラを生んだ。
5:22 エノクはメトシェラを生んでから三百年、神とともに歩み、息子たち、娘たちを生んだ。
5:23 エノクの全生涯は三百六十五年であった。
5:24 エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。
5:25 メトシェラは百八十七年生きて、レメクを生んだ。
5:26 メトシェラはレメクを生んでから七百八十二年生き、息子たち、娘たちを生んだ。
5:27 メトシェラの全生涯は九百六十九年であった。こうして彼は死んだ。
5:28 レメクは百八十二年生きて、一人の男の子を生んだ。
5:29 彼はその子をノアと名づけて言った。「この子は、【主】がのろわれたこの地での、私たちの働きと手の労苦から、私たちを慰めてくれるだろう。」
5:30 レメクはノアを生んでから五百九十五年生きて、息子たち、娘たちを生んだ。
5:31 レメクの全生涯は七百七十七年であった。こうして彼は死んだ。
5:32 ノアは五百歳になった。そしてノアはセム、ハム、ヤフェテを生んだ。

聖書を読んでいると、頻繁に系図が出てくることに気づくと思います。
人の名まえばかり出てきて、読むのが苦痛な箇所ですね。
創世記5章は、まるまるこの系図のために使われています。
まぁ、読み飛ばしてもそれほど問題にはなりませんが、当然意味があって系図が記されているので、今日はあえて系図に目を留めてみましょう。

目次

① 系図は大切?

・系図は神さまの計画の節目を表しています
系図が出てくるとき、多くの場合それまでの復習か、これから起こることの予習、あるいはその両方が記されています。
いずれにしても、聖書の中では一つの区切りを表わしているわけです。

・系図は聖書のまとめです
ある時代以降のユダヤ人は、子どものころから聖書の話しに慣れ親しんでいるので、系図を見るだけで聖書の全体の流れを読むことができます。
むしろ、細かい話を知っている人たちにとっては、系図は聖書の全体像を眺めることができる便利なものなのです。

・系図は救いの計画の道筋を表わしています
系図が重要なのは、それが神さまの救いの計画の筋道を表わしているからです。
聖書の第一の目的は、人の救いの計画を明らかにすることです。
救い主は誰なのか明らかにすることが、系図の第一の目的なのです。

② アダムの系図

創世記5章の内容を分かりやすく記すと、次の図のようになっています。

これは、前の章に記されているカインの系図と違い、何歳生きたかということが記されています。
900年以上生きている人たちがたくさん出てくるので驚きます。
その通りに信じてももちろんいいですが、「それは信じられない」と感じても心配しないでください。
ポイントは実際にそれだけ生きたかどうかではないので、あまり深く考えなくていいと思います。
ポイントはあくまでも流れの中にあるのです。

③ 神とともに歩んだエノク

この図を見ると、一か所とても目立つ部分があります。
そう、エノクの部分ですね。
みんな900年という長い人生を生きている中で、エノクだけが短い(とは言っても365年ですが(笑))。
この部分を読むと、エノクが早く死んだわけではないことがわかります。

5:23 エノクの全生涯は三百六十五年であった。
5:24 エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。

他の人たちが「死んだ」と書かれている中で、エノクだけ「彼はいなくなった」になっているのです。
これは、エノクが死を経験することなく天に挙げられたことを意味しています。

聖書の中では、このように死を経験せずに天の挙げられた人物がもう一人いますね。
列王記に記されている預言者エリヤです。
終末の時に生きているクリスチャンは、エノクやエリヤのように死を経験せずに天に挙げられると言われています。

でも、今回取り上げたいのはエノクが生きている間のことです。
具体的なことは何も書かれていませんが、このように記されています。
「エノクは神とともに歩んだ」
彼はこのような人生を歩んだから天に挙げられたのでしょうね。
そしてこれは、カインの時に出てきた「カインは【主】の前から出て行って(創世記4:16)」という言葉とは対照的になっています。

そして聖書には、似ているけれど少し違う言葉がもう一つあります。
それは、「主は彼とともに歩んだ」という言葉です。

創世記 39:3 彼の主人は、【主】が彼とともにおられ、【主】が彼のすることすべてを彼に成功させてくださるのを見た。

これはヨセフのことですが、他にもモーセやヨシュア、ダビデなどの話しの中にこの言葉が出てきます。
「彼が主とともに歩む」のと「主が彼とともにいる」のと何が違うのかと言うと、その主体性です。
後者は、本人が意識していない時に神さまがともにおられることを意味しています。
これは、彼らが神さまに選ばれた人々であり、神さまの積極的な導きの中にあったことが分かります。
一方で、エノクの場合は自分から主体的に、神さまとともに歩んだのです。

モーセやヨシュア、ダビデのような人生は、羨ましいかもしれませんが、マネすることはできません。
神さまが選び、神さまが歩ませた道だからです。
でも私たちは、エノクのように「神とともに歩む」ことができます。
そして私たちは、まさにそのような生き方を期待されているのです。

エノクの他にも、「神とともに歩んだ」人物がもう一人聖書に登場します。
それが誰なのか分かりますか?
来週までに、ぜひご自身で調べてみてください。
そして、彼らのように、神とともに歩む1週間を過ごしましょう。