創世記 6:11-22 創世記10 『箱舟とは何か?』 2024/05/05 けんたろ
創世記 6:11-22
6:11 地は神の前に堕落し、地は暴虐で満ちていた。
6:12 神が地をご覧になると、見よ、それは堕落していた。すべての肉なるものが、地上で自分の道を乱していたからである。
6:13 神はノアに仰せられた。「すべての肉なるものの終わりが、わたしの前に来ようとしている。地は、彼らのゆえに、暴虐で満ちているからだ。見よ、わたしは彼らを地とともに滅ぼし去る。
6:14 あなたは自分のために、ゴフェルの木で箱舟を造りなさい。箱舟に部屋を作り、内と外にタールを塗りなさい。
6:15 それを次のようにして造りなさい。箱舟の長さは三百キュビト。幅は五十キュビト。高さは三十キュビト。
6:16 箱舟に天窓を作り、上部から一キュビト以内に天窓を仕上げなさい。また、箱舟の戸口をその側面に設け、箱舟を一階と二階と三階に分けなさい。
6:17 わたしは、今、いのちの息のあるすべての肉なるものを天の下から滅ぼし去るために、地上に大水を、大洪水をもたらそうとしている。地上のすべてのものは死に絶える。
6:18 しかし、わたしはあなたと契約を結ぶ。あなたは、息子たち、妻、それに息子たちの妻とともに箱舟に入りなさい。
6:19 また、すべての生き物、すべての肉なるものの中から、それぞれ二匹ずつを箱舟に連れて入り、あなたとともに生き残るようにしなさい。それらは雄と雌でなければならない。
6:20 鳥は種類ごとに、動物も種類ごとに、また地面を這うすべてのものも種類ごとに、それぞれ二匹ずつが生き残れるよう、あなたのところに来なければならない。
6:21 あなたは、食べられるあらゆるものから採って、自分のところに集め、あなたとそれらの動物のための食物としなさい。」
6:22 ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行った。
いよいよ話は、洪水とノアの箱舟に進んできました。
地は堕落し、暴虐に満ち、すべてのものの終わりがいよいよ近づいてきました。
前回は、洪水はなぜ起こったのか、どのようなタイミングで起こったのか、それは何を意味しているのかということについて話しましたね。
今回は、箱舟についてお話していきたいと思います。
① 箱舟とは箱型の舟
まずは、物理的な意味で箱舟とは何なのかお話してきたいと思います。
箱舟というのは、文字通り「箱」型、あるいは箱状になった「舟・船」です。
箱舟は英語ではNoah’s Arkといいますが、このArkというのは箱を意味しています。
洪水の時は、天地をひっくり返したような雨が40日間降り止まなかったので、屋根もないと雨が溜まって沈んでしまうんですね。
底まで四角の箱型だとひっくり返ってしまうので、下半分はある程度丸みがあったでしょう。
とは言え、巨大な船を素人が数人だけで作るのですから、それほど凝った作りにはできなかったでしょう。
6:14 あなたは自分のために、ゴフェルの木で箱舟を造りなさい。箱舟に部屋を作り、内と外にタールを塗りなさい。
材質は、ゴフェルという木が使われていました。
では、ゴフェルの木とは何かというと、実はよくわかりません。
聖書ではここでしか出てこず、実際にもゴフェルと呼ばれる木はありません。
その内側と外側はタールで固められました。
大きさに関してはこのように記されています。
6:15 それを次のようにして造りなさい。箱舟の長さは三百キュビト。幅は五十キュビト。高さは三十キュビト。
つまり長さ137m、幅が23m、高さが14mです。
かなり細長い作りだったということがわかりますね。
船としては非常識なサイズであり比率ですが、これは数十年前になってこの比率が最も安定してたくさんの載積量を運ぶことができる比率だということがわかりました。
この比率を参考として石油タンカーが発明されたというから驚きです。
② 箱舟とは救いの型
次に、箱舟が表わす意味について考えていきましょう。
洪水と箱舟の話しは、神の裁きと救いを表わしています。
イエスさまは、世界の終わりの時はノアの時代の洪水のように来ると話しています。
マタイ 24:38 洪水前の日々にはノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていました。
24:39 洪水が来て、すべての人をさらってしまうまで、彼らには分かりませんでした。人の子の到来もそのように実現するのです。
箱舟は、その中の救いの象徴なのです。
神さまの前に正しい人だったノアには、箱舟を作る方法が教えられました。
でも、救われたのはノアだけではありません。
彼らが作った箱舟に乗った人たちが救われたのです。
これは、正しい人が救われるのではなく、神さまが与えた救いの道に従う人だけが救われることを意味しています。
救いの箱舟に乗るなら、誰でも救われます。
結局、箱舟に乗ったのはノアと家族だけでしたが、洪水が来ることを信じて乗る人たちが他にもいれば、その人たちも救われたでしょう。
私たちにとって、この箱舟はイエス・キリストの十字架での死と復活です。
この世界が全て裁かれるとき、イエスさまという箱舟に乗る人は救われというのが、箱舟を通して表されている約束なのです。
③ 箱舟とは洗礼の型
箱舟が表わしていることがもう一つあります。
それは、洗礼です。
第一ペテロ 3:20 かつてノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに従わなかった霊たちにです。その箱舟に入ったわずかの人たち、すなわち八人は、水を通って救われました。
3:21 この水はまた、今あなたがたをイエス・キリストの復活を通して救うバプテスマの型なのです。バプテスマは肉の汚れを取り除くものではありません。それはむしろ、健全な良心が神に対して行う誓約です。
洪水によって、罪に毒されてしまった世界は滅ぼされ、全てがリセットして始められました。
これは、私たちが水をくぐって古い自分に死に、新しい自分として生きること型だというのです。
とは言え、洗礼自体が私たちを新しくするのではありません。
洪水によって世界から罪が無くならなかったのと同じです。
洗礼は、私たちが救われ、新しい自分として神さまとともに生きていくことを自覚するためのものなのです。
救いとは、「信じます」と手を上げることによって手に入るものなのではなく、生き方そのものの中にあることがわかります。
生き方と言うのはたしい人間として生きましょうということではありません。
三位一体の神さまとともに生きるということですね。
信仰というのは、神さまとの関係そのものを表わすものだからです。
「箱舟に乗ります」と手だけ挙げて、途中で洪水の中に飛び込んで泳ごうとしたのでは意味がないのです。
私たちは、箱舟に乗っているでしょうか?
箱舟は、私たちに大切なことを教えてくれているのです。