創世記 10:1-11:9 創世記14 『名を上げるため集まった人々』 2024/06/09 けんたろ

創世記 10:1-11:9
10:6 ハムの子らはクシュ、ミツライム、プテ、カナン。
10:7 クシュの子らはセバ、ハビラ、サブタ、ラアマ、サブテカ。ラアマの子らはシェバ、デダン。
10:8 クシュはニムロデを生んだ。ニムロデは地上で最初の勇士となった。
10:9 彼は【主】の前に力ある狩人であった。それゆえ、「【主】の前に力ある狩人ニムロデのように」と言われるようになった。
10:10 彼の王国の始まりは、バベル、ウルク、アッカド、カルネで、シンアルの地にあった。

11:1 さて、全地は一つの話しことば、一つの共通のことばであった。
11:2 人々が東の方へ移動したとき、彼らはシンアルの地に平地を見つけて、そこに住んだ。
11:3 彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作って、よく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを、漆喰の代わりに瀝青を用いた。
11:4 彼らは言った。「さあ、われわれは自分たちのために、町と、頂が天に届く塔を建てて、名をあげよう。われわれが地の全面に散らされるといけないから。」

前回は、ノアの洪水が終わり、ハムとその子孫がノアによって呪われたという話でした。
今回は、そのハムの子孫から早速大きな問題が生まれます。

① ニムロデ

皆さんはニムロデという人のことを聞いたことがあるでしょうか?
実は、クリスチャンの間よりも都市伝説とかオカルトが好きな人たちの方が良く知っている聖書の登場人物が、ニムロデです。

10:8 クシュはニムロデを生んだ。ニムロデは地上で最初の勇士となった。
10:9 彼は【主】の前に力ある狩人であった。それゆえ、「【主】の前に力ある狩人ニムロデのように」と言われるようになった。

ニムロデはハムの子孫であり、新改訳2017版では「地上で最初の勇士となった」と書かれています。
こう言うと素晴らしい人のようですが、そういうわけではありません。
ニムロデという名前は、「反逆する」という意味を持つ言葉だからです。
誰に反逆するのでしょう?
神さまに対しての反逆です。
そんなニムロデが、メソポタミアのシンアルという土地で国を興しました。

10:10 彼の王国の始まりは、バベル、ウルク、アッカド、カルネで、シンアルの地にあった。

歴史の記録に残っている最古の帝国は、サルゴンI世によるアッカド帝国です。
もしかすると、ニムロデとはサルゴン王のことなのかもしれませんね。
いずれにしてもニムロデは権力を得て、人々を統一し一大帝国を築き上げ、世界を支配したのです。

② 頂が天に届く塔

さて、ニムロデはシンアルの地で塔を立てました。
それは、天に届くために建てられたと言われています。

11:4 彼らは言った。「さあ、われわれは自分たちのために、町と、頂が天に届く塔を建てて、名をあげよう。われわれが地の全面に散らされるといけないから。」

これがバベルの塔と言われる塔ですが、頂が天に届く塔というと、とても高い建造物を想像しますね。
しかし、実際のバベルの塔はピラミッド型のジッグラトと呼ばれるもので、私たちがイメージする塔とは少し違うものでした。
これは物理的に空に届くというよりは、宗教的な意味で天に届く塔でした。
ニムロデは巨大なジッグラトを経てて、名を上げようとしていました。
それは、彼らがその力散らされてしまわないためだったと聖書には記されています。

散らされないように集まって、巨大な建造物を建てて名を上げようとすることは、昔から人類が繰り返しやって来たことでした。
ピラミッドを始め、数々の建造物を人類は作ってきましたね。
それは現代の高層ビルも同じです。
しかし皮肉なことに、どれだけ頑張って作ったものも、それによって神さまに届くことはありませんでした。

11:5 そのとき【主】は、人間が建てた町と塔を見るために降りて来られた。

神さまの側から降りてこなければならなかったのです。
そして、人々がこのような意図をもち、名を上げるために集まっていることを、神さまは喜びませんでした。
なぜなら、それは神さまが人々に求めていたことと全く違ったからです。

③ 地に散らされた人々

それでは、神さまは人々に何を望んでいたのでしょうか?
どうすれば反逆ではなく、神さまを喜ばせることとなったのでしょう?

まず、洪水が終わった後の神さまの言葉を思い出してみましょう。
そこに、神さまの思いがあります。

創世記 9:1 神はノアとその息子たちを祝福して、彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。

神さまが求めていたのは、人々が増えて世界中に広がっていくことでした。
それによって、神さまの体が世界中を満たしていくためです。
それなのに彼らは、一つのところに集まり、散らされないように塔を作ったのです。

だから神さまは、それまで統一されていた言葉を乱し、互いにコミュニケーションを取ることができなくしてしまいました。
それによって人々は、世界中に散らばっていくことになりました。

創世記 11:8 【主】が彼らをそこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。
11:9 それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。そこで【主】が全地の話しことばを混乱させ、そこから【主】が人々を地の全面に散らされたからである。

私たちは、バベルの塔を作った人たちと何が違うでしょう?
私たちは神さまを愛し、ニムロデのような反逆者ではないかもしれません。
しかし、神に届くため、散らされないために建て、大きいものを作って名を上げようとするという意味では、教会堂とか、教会組織もバベルの塔と同じです。
私たちは神さまのためと思ってやっていることでも、ちょっとしたボタンの掛け違いによって、いつの間にか自分の王国を建て上げて名を上げようとする反逆者になってしまうのです。

私たちはもちろん集まることもあります。
でもそれは、そこに私たちの王国を築き上げるためではなく、神の国をさらに広げていくためです。
互いに励まし合い、互いに学び合い、互いに助け合って、神を中心とした神の国に留まり、その後は散らばって、神の国を世界中に広げていくことが求められているのではないでしょうか。

皆さんの働きは、教会堂の中に留まる必要なんてありません。
それぞれに遣わされている場所、職場や、家庭や、学校、様々な場所に散らばり、そこに神さまの愛を広げていくことが大切なのです。

皆さんを通して、神の国が世界中に広がっていきますように。