ヨブ記 1~2章 ヨブ1 『ヨブが受けた試練』 2024/06/22 けんたろ

ヨブ記 1~2章(1:1-12)
1:1 ウツの地に、その名をヨブという人がいた。この人は誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっていた。
1:2 彼に七人の息子と三人の娘が生まれた。
1:3 彼は羊七千匹、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭、それに非常に多くのしもべを所有していた。この人は東の人々の中で一番の有力者であった。
1:4 彼の息子たちは互いに行き来し、それぞれ自分の順番の日に、家で宴会を開き、人を遣わして彼らの三人の姉妹も招き、よく一緒に食べたり飲んだりしていた。
1:5 宴会の日が一巡すると、ヨブは彼らを呼び寄せて聖別した。朝早く起きて、彼ら一人ひとりのために、それぞれの全焼のささげ物を献げたのである。ヨブは、「もしかすると、息子たちが罪に陥って、心の中で神を呪ったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつもこのようにしていた。
1:6 ある日、神の子らがやって来て、【主】の前に立った。サタンもやって来て、彼らの中にいた。
1:7 【主】はサタンに言われた。「おまえはどこから来たのか。」サタンは【主】に答えた。「地を行き巡り、そこを歩き回って来ました。」
1:8 【主】はサタンに言われた。「おまえは、わたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように、誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっている者は、地上には一人もいない。」
1:9 サタンは【主】に答えた。「ヨブは理由もなく神を恐れているのでしょうか。
1:10 あなたが、彼の周り、彼の家の周り、そしてすべての財産の周りに、垣を巡らされたのではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地に増え広がっているのです。
1:11 しかし、手を伸ばして、彼のすべての財産を打ってみてください。彼はきっと、面と向かってあなたを呪うに違いありません。」
1:12 【主】はサタンに言われた。「では、彼の財産をすべておまえの手に任せる。ただし、彼自身には手を伸ばしてはならない。」そこで、サタンは【主】の前から出て行った。

今回から、しばらくの間ヨブ記をやることになりました。
ヨブ記と言えばわりと昨年小西さんがメッセージをしてくださいましたが、僕もここからお話するように導かれていると感じたのです。
一つおことわりしておきたいのですが、ヨブ記にかかわらず、小西さんと同じ個所からメッセージをするとき、解説として互いに矛盾する部分があると思います。
それは、それでいいのです。
聖書の解釈にはいろいろな立場があり、その情報源によってもかなり変わってきます。
お互いに矛盾することが一つの教会の中で話されるということも、それはむしろ健全なしるしだと思います。
そして、どの立場からも学ぶべき部分があると僕は考えています。

① なぜこのタイミングでヨブ記?

さて、今回なぜヨブ記から話すことにしたかというと、聖書の物語を時系列で捉えて欲しいと思ったからです。
小西さんも話してくださいましたが、ヨブ記は、書かれた年代もその背景もはっきりとわかっていなくて色んな説があります。
その中で、小西さんが受け取ったのは捕囚時代ではないかという説。
僕は、最終的にまとめられたのは捕囚時代かもしれないけれど、創世記と同時代かそれ以前にはヨブ記の形はあっただろうと考えています。
根拠は、ヨブ記の中に律法が出てこないことです。

ヨブ記を読んだことのある方は分かると思いますが、ヨブは正しい人として描かれていて、この物語の中でヨブは友人たちとその正しさについて議論を交わしています。
しかし、その中に一切律法の話が出てこないのは、ユダヤ教的な考え方としてかなり不自然です。
ヨブ記が、モーセ以前に書かれていたと考えると、つじつまが合うと考えています。

ヨブ記の中に出てくる描写としても、悪魔と神さまの会話が出てきたり、かなり神話的な表現がされています。
聖書の中で神話的な表現がされているのはどこだったでしょう?
創世記の11章までのところですよね。
これが、ヨブ記が創世記の時代に書かれたと考える理由です。

② 正しい人ヨブがなぜ試練?

ヨブ記の冒頭にはこのように書かれています。

1:1 ウツの地に、その名をヨブという人がいた。この人は誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっていた。

このウツの地がどこにあったのかということに関しても、小西さんがお話してくださいました。
エドムか、アラビア半島の方か、いずれにしてもイスラエルの中ではないというのが一般的に言われていることです。
ヨシュア記以降ということになればヨブは異邦人ということになるわけですが、アブラハム以前の話しだと考えてみれば、ヨブがイスラエル人ではなかったのに神さまを知っていたこともうなずけますね。
そもそもイスラエル人などいない時代の話なのです。
場合によってはバベルの塔の時代、ニムロデの支配から逃れて移り住んだ人だったのかもしれません。

さて、ヨブは「誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっていた」と書かれています。
つまり、神さまを求めていた人だったのです。
その上、あるいはそれゆえでしょうか、ヨブはたくさんの祝福を受け、豊かで、子宝にも恵まれ、幸せな生活を送っていたのです。
しかし、そんなヨブが悲劇に見舞われるところから、ヨブ記は始まります。

ヨブ記の著者は、その出来事の背後にあった神さまと悪魔の会話を記しています。
ある時悪魔が神さまの元に来て、ヨブに試練を与える許可を得たというのです。
それによってヨブは、全ての財産を失い、所有物を失い、子どもたちを失いました。
しかし、それでもヨブはこのように言います。

ヨブ 1:21 そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう。【主】は与え、【主】は取られる。【主】の御名はほむべきかな。」

これでは神さまから離れないヨブに、悪魔はたたみかけるように試練を与えます。
今度はヨブ自身の体が悪性の腫物に覆われ、生きていくことすら苦しい状態となるのです。

悪魔からの試練はここまででしたが、ヨブにはさらに悲劇が続きます。
ヨブは妻からも、友人たちからも見捨てられ、責められるのです。
全てを手にしているところから、何もないところまで。
これは、最初から何も持っていないよりも苦しいかもしれません。

③ ヨブ記のテーマとは?

ヨブが、このまま神さまから離れないでいられるのかどうか、この後どのようなことが起こっていくのかということは、次回以降お話していきます。
今回は、ヨブを見舞った災難がテーマです。

実はヨブ記にはたくさんのテーマがあると思うのですが、その中でも一番明確となっているのがこの部分です。
つまり、「苦難は誰の身にも起こる」ということです。

ノアのように、正しい人だったから救われる人もいます。
一方で、ヨブのように、正しかったけれど、あるいは正しかったからこそ苦難に遭う人もいます。
それはまるで、正反対の出来事のように見えるかもしれませんが、そうではありません。
「救われる」ということと、「苦難が起こらない」ということとは全く別の話しなのです。

そしてもう一つ、ヨブ記を通して皆さんに考えてみていただきたいことがあります。
それは、「正しさとは何なのか?」ということです。
ヨブ記の大半は、ヨブと友人たちとの議論で成り立っていますが、その議論の中心にあるのは正しさとは何かという話です。
ぜひ、そこに注目しながらヨブ記を読み進めてみてください。
一度や二度読んだだけでは誰もが混乱してしまうヨブ記を通して、神さまが求める正しさの秘密を見つけていこうではありませんか。