創世記 12:1-4 (12-13章) 創世記15 『人が神と出会うとき』 2024/08/24 けんたろ

創世記 12:1-4 (12-13章)
12:1 【主】はアブラムに言われた。「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。
12:2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。
12:3 わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」
12:4 アブラムは、【主】が告げられたとおりに出て行った。ロトも彼と一緒であった。ハランを出たとき、アブラムは七十五歳であった。

今日から創世記のシリーズに戻ります。
また、ここまでは創世記をじっくり読んでいく感じになってしまっていましたが、ここからはヨブ記と同じように少しペースを上げていきます。

アブラハムの話しも大切なところがたくさんあるのですが、大切なところは押さえつつ、あまり深入りしないで進んでいこうと思います。
細かいところで気になることがあったら、遠慮せず個人的に聞いてください。

① アブラム

さて、12章はアブラムという人が神と出会ったところから始まります。
アブラムは「多くの人の父」という意味で、彼はカルデヤのウルという地の出身でした。
メソポタミヤにはウルという大きな町があったことが知られています。
そこを「カルデヤのウル」という呼び方をするかどうかは疑問の部分もありますが、恐らくはそこを差しているのだろうと言われています。
ちなみに、カルデヤ人というのは後に新バビロニアを作る人々です。
やがてこの民族がアブラムの子孫たちを倒し、捕囚することになるというのは、少しドキッとさせられるような気がします。

神さまはアブラムにこのように告げます。

12:1 【主】はアブラムに言われた。「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。
12:2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。
12:3 わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」

アブラムが住んでいたのは多神教の国ですが、彼はそこで突然唯一真の神と出会いました。
多神教の国に住んでいる私たちがイエスさまと出会ったのと、何だか似ていますね。
神さまは、私たちを神の国(天国ではありません)約束の地に導こうとしています。
興味深いのは、神さまは最終的なゴールがどこかを示していないということです。
その時その時に、神さまに従いながら進んでいくことによって、最終的にたどり着くのが約束の地なのです。

② 失敗することもある

さて、神さまが示した地に向かう間に、アブラムは様々な失敗をしたことも聖書は記しています。
一つは、飢饉が起こったので自分の判断によってエジプトに行ったこと。
アブラムがエジプトに行ったのは、神さまの導きではありませんでした。
勝手な判断でエジプトに行ったため、このような試練に合うことになったのです。

そしてもう一つは、妻のサラを「妹」だと偽ったため、そこでファラオが妻のサラを気に入って召し上げられてしまったことです。
神さまはアブラムの子孫からメシヤをもたらそうとしていましたから、あわやその計画がなくなってしまう所でした。
少なくとも、そのままではイスラエルという民族は生まれてこなかったでしょう。
しかし、神さまがそこに介在し、守った下さったため、サラは無事にアブラムの元に変えることができたのです。

私たちも、歩みの中で様々な失敗をします。
それは良いことではありません。
でも、だからと言って神さまの選びを失うことはありません。
アブラムが悔い改め、神さまに立ち返り続ける限り、神さまの約束と選びを揺らぐことがないのです。

③ アブラムへの約束

さて、カナンの地に到着し、甥のロトと別れた後、神さまは再びアブラムに約束をします。

創世記 13:14 ロトがアブラムから別れて行った後、【主】はアブラムに言われた。「さあ、目を上げて、あなたがいるその場所から北、南、東、西を見渡しなさい。
13:15 わたしは、あなたが見渡しているこの地をすべて、あなたに、そしてあなたの子孫に永久に与えるからだ。
13:16 わたしは、あなたの子孫を地のちりのように増やす。もし人が、地のちりを数えることができるなら、あなたの子孫も数えることができる。
13:17 立って、この地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに与えるのだから。」

このときアブラムに約束されたのは、この地がアブラムの子孫たちに与えられるということでした。
そして、子孫は地のちりのように、数えきれないほどの数に増えるというのです。
子孫繁栄は、この当時の人々にとって最も大きな願いであり、幸せでした。
しかし、そこには問題がありました、アブラムにはこの時点で一人も子どもがいなかったということです。
そして、アブラムはすでに75歳を過ぎていたのです。
この状況から、子孫がちりの数のように増えるとはなかなか想像しづらい。

私たちも、実現不可能だと思えるようなことがたくさんあります。
現実的に考えて諦めた方がいいこともたくさんあるでしょう。
しかし、それが神さまのご計画なのであれば、それは必ず起こるということを、私たちは信じていたいものです。

このときアブラムは、それを信じて神さまを礼拝しました。
私たちはどうでしょう?
信じるというのは、何かを自分に言い聞かせたり、盲目的になるということではありません。
神さまを信じるとは、神さまに信頼するということなのです。
なかなか信じることができない私たちがいることも確かですが、神さまはきっと私たちに良いものをもたらしてくださるという信頼は忘れないでいたいですね。