創世記 16:1-6 (16-17章)『人が神を疑うとき』 2024/09/08 けんたろ

創世記 16:1-6 (16-17章)
16:1 アブラムの妻サライは、アブラムに子を産んでいなかった。彼女にはエジプト人の女奴隷がいて、その名をハガルといった。
16:2 サライはアブラムに言った。「ご覧ください。【主】は私が子を産めないようにしておられます。どうぞ、私の女奴隷のところにお入りください。おそらく、彼女によって、私は子を得られるでしょう。」アブラムはサライの言うことを聞き入れた。
16:3 アブラムの妻サライは、アブラムがカナンの地に住んでから十年後に、彼女の女奴隷であるエジプト人ハガルを連れて来て、夫アブラムに妻として与えた。
16:4 彼はハガルのところに入り、彼女は身ごもった。彼女は、自分が身ごもったのを知って、自分の女主人を軽く見るようになった。
16:5 サライはアブラムに言った。「私に対するこの横暴なふるまいは、あなたの上に降りかかればよいのです。この私が自分の女奴隷をあなたの懐に与えたのに、彼女は自分が身ごもったのを知って、私を軽く見るようになりました。【主】が、私とあなたの間をおさばきになりますように。」
16:6 アブラムはサライに言った。「見なさい。あなたの女奴隷は、あなたの手の中にある。あなたの好きなようにしなさい。」それで、サライが彼女を苦しめたので、彼女はサライのもとから逃げ去った。

 

アブラハム(現時点ではまだアブラム)から3回目のメッセージです。
これまでに神さまは、アブラムに3度約束をしてきました。
最初はアブラムが神さまと出会った時、この地を離れて示す地に行くなら、あなたは大いなる国民とされるという約束。
2回目は約束の地に入った時、見えるところはすべてアブラムの子孫に与えられるという約束。
3回目は戦いの後、メルキデゼクと食事をともにし、ソドムの王を退けた後に、アブラムと一方的な契約を結んでこの約束が確かなものであることを示しました。

今日はそのつづきです。

① サライの問題

神さまと契約を結び、神さまを信頼することができたアブラムでしたが、妻のサライはそうではありませんでした。
いつまで経っても子どもが授からないことで諦めのようなものもあったのかもしれません。
サライはエジプト人のしもべハガルを夫の元に送り、そこに子孫を授かる道を選んだのです。

サライには3つの問題がありました。
第一に、「自分には子どもが授からない」と決めつけてしまったこと。
ある意味で、彼女はそれを自分のアイデンティティだと思い込んでしまったのです。
第二に、神さまを信じず、自分の行動によって目的を果たそうとしたこと。
サライは、神さまとの約束を信頼することができず、神さまの導きを待てなかったのです。
第三に、神さまの秩序から外れてしまったことです。
この時代の文化では、奴隷に子供を産ませて自分の子どもとして育てることは普通のことでしたし、一夫多妻も当たり前のことでした。
後に定められた律法で禁じられているわけでもありません。
しかし神さまの秩序は、二人が一つとなることが結婚です。
それを破ることによって救いを失うということは確かにありませんが、そこには罪に対する結果というものが伴うのです。

とは言え、この時の責任はサライにあるのではなく、サライの提案を受け入れてしまったアブラムの側にあります。
神さまとの契約の場にいたのはサライではなく、アブラムでした。
そこまでの約束をされていても、アブラムは神さまではなくサライの提案に従ったのです。

② イシュマエル

サライとアブラムの罪の結果、ハガルとアブラムの間にはイシュマエルが生まれ、しもべだったハガルは子どもを産めなかったサライを見下すようになりました。
これによってハガルとイシュマエルはアブラムの元を追われることになってしまうのですが、この出来事はずっとずっと後に至るまで、わだかまりを残すこととなります。

どれくらい後までかというと、現代に至るまでです。
イシュマエルは世代を超えてアラブ人となり、アブラムとサライの間に授かるイサクは後のユダヤ人となります。
現在イスラエルで起こっている戦いも、元をたどればここから始まっているわけです。
それほど長く影響を及ぼす可能性があるのだと考えると、とても恐ろしいことですね。

③ アブラムからアブラハムに

この出来事があってからさらに13年後、神さまは再びアブラムの元に訪れ、4回目の約束をします。

創世記 17:1 さて、アブラムが九十九歳のとき、【主】はアブラムに現れ、こう言われた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。
17:2 わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に立てる。わたしは、あなたを大いに増やす。」
17:3 アブラムはひれ伏した。神は彼にこう告げられた。
17:4 「これが、あなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民の父となる。
17:5 あなたの名は、もはや、アブラムとは呼ばれない。あなたの名はアブラハムとなる。わたしがあなたを多くの国民の父とするからである。
17:6 わたしは、あなたをますます子孫に富ませ、あなたをいくつもの国民とする。王たちが、あなたから出てくるだろう。
17:7 わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、またあなたの後の子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしは、あなたの神、あなたの後の子孫の神となる。
17:8 わたしは、あなたの寄留の地、カナンの全土を、あなたとあなたの後の子孫に永遠の所有として与える。わたしは彼らの神となる。」
17:9 また神はアブラハムに仰せられた。「あなたは、わたしの契約を守らなければならない。あなたも、あなたの後の子孫も、代々にわたって。

こうして神さまは、何度もアブラムの元に現れることによって、長い間果たされないために不安になったり信じられなくなるアブラムを助けました。
そしてこの時、神さまはアブラムに新しい名まえを授けます。
聖書の中で名前は、その人自身を表わす重要なものです。
これまで、「偉大な父」という意味を持っていたアブラムの名まえは、この時アブラハムに変えられ、「多くの人々の偉大な父」という意味となりました。
それは、アブラハムが砂の数、星の数ほどの多くの人々の父となり、やがては異邦人である私たちの信仰の父ともなるからです。

アブラハムも、私たちと同じようになかなか神さまの約束を信じ切ることができませんでした。
しかし、長い年月で成長していき、ついに信仰の父と呼ばれるようになるのです。
私たちも、まだ途上ではありますが、日々成長していることが嬉しいですね。
その間には失敗や挫折もついて回るかもしれませんが、励まし合いながら進行の道を共に進んでいこうではありませんか。