創世記 28:1-5(28-30章)創世記22 『罪の刈り取り』2024/10/26 けんたろ
創世記 28:1-5(28-30章)
28:1 イサクはヤコブを呼び寄せ、彼を祝福し、そして彼に命じた。「カナンの娘たちの中から妻を迎えてはならない。
28:2 さあ立って、パダン・アラムの、おまえの母の父ベトエルの家に行き、そこで母の兄ラバンの娘たちの中から妻を迎えなさい。
28:3 全能の神がおまえを祝福し、多くの子を与え、おまえを増やしてくださるように。そして、おまえが多くの民の群れとなるように。
28:4 神はアブラハムの祝福をおまえに、すなわち、おまえと、おまえとともにいるおまえの子孫に与え、神がアブラハムに下さった地、おまえが今寄留しているこの地を継がせてくださるように。」
28:5 こうしてイサクはヤコブを送り出した。彼はパダン・アラムの、ラバンのところに行った。ヤコブとエサウの母リベカの兄、アラム人ベトエルの子ラバンのところである。
前回からヤコブの話に入りました。
イサクにはエサウとヤコブという双子の子供が与えられましたが、アブラハムの時から約束されていた特別な祝福、子孫からメシヤが生まれる選ばれた民になるという名誉は、兄のエサウではなく弟のヤコブに与えられました。
それは、最初から定められていた神さまの御心でしたが、ヤコブは兄を出し抜き、父に嘘をついてまでその祝福を得ようとしたのです。
一方で兄のエサウの方は、そのような目に見えない栄光や祝福よりも目に見えて今腹を満たすことができるスープを選ぶような人でした。
だから、長子の権利を受けることができなかったとしても問題はないはずでしたが、いざそれが手に入らないとわかると怒り出し、ヤコブを殺してやろうと思うようになりました。
その結果、ヤコブは長子としての権利を与えられたにもかかわらず、家を出ていかなければなりませんでした。
父と兄をだまして長子の権利を奪ったりしなくても、必要な祝福は既に与えられていたのに、こんなことを企んだばかりにリベカは愛するヤコブと生涯会うことはなくなり、内向的だったヤコブは大好きな家を失い、急いで旅立たなければならなくなったのです。
① 狡猾なラバン
ヤコブがしばらく身を寄せたのは、ハランに住むラバンのもとでした。
ラバンは、ヤコブの母リベカの兄、つまりヤコブの叔父です。
そのラバンには、二人の娘がいました。
創世記 29:16 ラバンには二人の娘がいた。姉の名はレア、妹の名はラケルであった。
29:17 レアは目が弱々しかったが、ラケルは姿も美しく、顔だちも美しかった。
この、妹ラケルの方にヤコブはべたぼれになってしまうのです。
ヤコブはラケルと結婚するために、ラバンのもとで7年間仕事をすることになりました。
月日が経ち、ついに結婚の日になると、ラバンは娘とヤコブのために祝宴を開きました。
そして夜になると、ふたりは初めての夜を共に過ごすわけです。
さて、次の朝目を覚ますと、ヤコブは仰天して飛び起きる事になります。
横に寝ているはずのラケルがいない。
いや、いるはずのラケルがいないだけではなく、いないはずの女性がそこにいたのです。
それはラケルの姉、レアでした。
昨日ヤコブが結婚式をあげ、初めての夜を共にしたのは彼が愛するラケルではなく、なんと姉のレアだったのです。
話が違うと抗議するヤコブに、ラバンはこのように言います。
創世記29:26 ラバンは答えた。「われわれのところでは、上の娘より先に下の娘を嫁がせるようなことはしないのだ。
29:27 この婚礼の一週間を終えなさい。そうすれば、あの娘もあなたにあげよう。その代わり、あなたはもう七年間、私に仕えなければならない。」
この様にして、ヤコブはさらに7年をラバンの下で過ごすことのなったのです。
ここには、ラバンの狡猾なたくらみがありました。
ラバンはできる限りヤコブを自分の下に留めて置きたかったのです。
なぜなら、ヤコブは便利な労働力であり、神さまの祝福を受けていたため、そのおこぼれにあずかることもできたからです。
② レアとラケルの噓
とは言え、自分の愛する女性がお姉さんと入れ替わっていたら、普通気がつきそうなものではありませんか?
確かに彼らの結婚式の習慣として、顔を隠しますし、夜になれば真っ暗ですから誰が誰だかわりません。
とは言っても、声だとか仕草だとかでわかりそうなものです。
実は、だましていたのはラバンだけではなく、レアとラケルもヤコブを騙していたのです。
声色を変え、同じ香水を身につけ、仕草を真似て、これはレアだけの力でできる事ではありません。
このことには、ラケルも協力していたのではないでしょうか。
まぁ、ベタ惚れだったのは、ヤコブの方であって、ラケルの方はそこまでではなかったのではないかと思います。
ですからヤコブは、叔父のラバンから騙されたというだけではなく、レアからも、そして愛しているラケルからも裏切られたということなのです。
ヤコブはエサウの食欲を利用したように、ラバンたちはヤコブの性欲を利用して祝福を得ようとしました。
ヤコブが、年老いて目の見えないイサクを騙したように、姉妹たちは暗くて見えないヤコブを騙しました。
ヤコブは“弟”なのに“兄”ですと嘘をついて騙しましたが、自分は“姉”なのに“妹”ですと嘘をつかれて騙されました。
このようにして、ヤコブは自分の罪を刈り取ることになったのです。
③ 罪の種
ヤコブはその後も、今度は自分たちの財産を手にするために6年の期間をラバンのもとで過ごします。
合計で、20年を故郷から離れて過ごすことになったのです。
その間に、ヤコブを溺愛していた母リベカも亡くなってしまいました。
これもまた、彼らが撒いた罪の種を刈り取った結果でした。
聖書にはこのように書かれています。
ガラテヤ 6:7 思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります。
ヤコブは、求めていた長子の権利は手にすることができました。
しかし、そのときにやってしまった罪の刈り取りはしなければなりませんでした。
とは言え、それによって長子の権利を失ったりもしませんでした。
私たちは、イエス様と出会い救いを受け取ったとき、罪の赦しを得ます。
でもそれは、罪の刈り取りをすることはありますね。
しかし、それは単に罰として与えられるようなものではないのです。
この出来事を通して、ヤコブはいろいろなことを感じたことでしょう。
そして、成長したのではないかと思います。
神さまがいないなら、試練や罪の刈り取りは単なる苦しい時間でしかありません。
でも、神さまとともに歩むとき、それは単なる苦しみではなく、整えられるときとなるのです。
心の土が耕され、いらない枝が切り取られ、不純物が取り除かれていくときです。
それはつらい時間であることに変わりありませんが、無意味な痛みではないことは何よりの希望なのです。