第一ヨハネ1:9『自分ではなく神の真実さにかける』2024/11/03 山本昇平

序論
 新しいラケット
  自分のプライドで古いラケットに固執
  (人と同じが嫌い、外見が大事)
  上手くなるためにあらゆることをしたが上手くならない
  ラケットを変えただけで変わった

結論
 悔い改めが鍵
  自分を変えようといろいろしても御霊は働かない
  シンプルな悔い改めに御霊が働く
  御霊が働けば人はまったく新しい人になる

事例
 悔い改めの証
  救われたが立派なパリサイ人になった
  過去の経験からくるこびりつく被害者意識
  自分が被害者=他人は加害者
  被害者意識=自分は正しい

結論2
 悔い改めとはなにか?誤解はないか?
  罪を後悔してもやめる気がなければ悔い改めではない
  悔い改め=自己義をやめ神の義(神お一人を正しいとすること) 
   自己義=自分が神
   正しいと思わせるのは、経験、ステータス、財産、能力
   (ヒゼキヤは王服を裂き荒布を着てひざまづいた 裸の自分)
   罪を告白→自分を正しくないとしている
神の真実と正しさにかけて
   罪がゆるされ、すべての悪からきよめられている
   自分の真実や正しさではない
   不信者でも罪はゆるされてるが、きよめられいない
  自己義のもたらすもの
   聖書理解が困難
   神のすることに常に疑いと不平
  神の義で神と平和がある人
   御霊と調和していて聖書のちょっとした表現でも感動
   霊的感度が増している (「わたしの」主)
   罪で悩みすぎない(悩むのはまだ自分で解決しようとしてる、神の義を信じていない、キリストが身代わりに罰を受けている)
   罪が増したところの恵みが増し、その恵みの愛によって心が一新される