創世記 40:1-8(40-42章)創世記26『神の声を聞き成長する』2024/12/15 けんたろ
創世記 40:1-8(40-42章)
40:1 これらのことの後、エジプト王の献酌官と料理官が、その主君、エジプト王に対して過ちを犯した。
40:2 ファラオは、この献酌官長と料理官長の二人の廷臣に対して怒り、
40:3 彼らを侍従長の家に拘留した。それは、ヨセフが監禁されているのと同じ監獄であった。
40:4 侍従長がヨセフを彼らの付き人にしたので、ヨセフは彼らの世話をした。彼らは、しばらく拘留されていた。
40:5 さて、監獄に監禁されていた、エジプト王の献酌官と料理官は、二人とも同じ夜にそれぞれ夢を見た。その夢にはそれぞれ意味があった。
40:6 朝、ヨセフが彼らのところに来て、見ると、彼らは顔色がすぐれなかった。
40:7 それで彼は、自分の主人の家に一緒に拘留されている、このファラオの廷臣たちに「なぜ、今日、お二人は顔色がさえないのですか」と尋ねた。
40:8 二人は答えた。「私たちは夢を見たが、それを解き明かす人がいない。」ヨセフは言った。「解き明かしは、神のなさることではありませんか。さあ、私に話してください。」
ヨセフの物語には、3回にわたって6つの夢が登場します。
夢には特別な意味があるのかなぁと思いがちな部分ですが、あまりそこには捕らわれない方がいいと僕は思います。
これはあくまでも、この時神さまがヨセフに語り掛けた方法が夢だったというだけのことです。
しかも自分の夢だけでなく、他人の夢を通しても神さまは語り掛けています。
神さまが私たちに語り掛ける方法はいろいろあるのです。
肝心なのは、「夢を通して」という部分ではなく、「神さまは語り掛ける」という部分です。
神さまは今も、聖霊を通して、いろいろな方法で私たちに語り掛けています。
私たちがそれに気づいて受け取るなら、誰でも神さまの声を聞くことができるのです。
今日は、ヨセフの夢を通して、神さまの語り掛けについて改めて考えてみたいと思います。
① 6つの夢
まずは、ざっくりですがヨセフの見た夢を紹介しておきたいと思います。
最初の二つは、前回のお話でも紹介しましたね。
一つ目の夢は、家族で畑仕事をしていると、兄弟たちが作った束が、ヨセフの束に向かって伏し拝んだという夢でした。
二つ目は、太陽と月と十一の星が、ヨセフを伏し拝んでいたという夢。
どちらも、ヨセフの未来について預言している内容でしたね。
三つ目の夢は、今日の箇所の後に記されていることですが、一緒に投獄されていた献酌官長の夢です。
一本のぶどうの木に三本のつるがあり、そこからぶどうの実が成った。そのぶどうをしぼったジュースをファラオに捧げたという夢でした。
それを聞いたヨセフは、献酌官長が三日のうちに釈放されるという解き明かしをします。
四つ目の夢は、同じく投獄されていた料理長官の夢。
頭の上に枝編みのかごが三つあり、料理官が作った食べ物が入っていたが、鳥が来てそれを食べてしまったという夢でした。
これは、三日後に料理長官は処刑されるという意味だとヨセフは解き明かしました。
似たような夢でも、意味が全く違うことがあるのですね。
五つ目と六つ目は、どちらもファラオが見た夢でした。
最初の夢は、やせた七頭の雌牛が、肥えた七頭を食べつくしてしまうという夢。
次の夢では、一本の茎に七つの穂が出てきます。
しなびた七つの穂が、よく実った七つの穂を飲み込んでしまうという夢でした。
これらの夢は、これから訪れる七年の豊作と、七年の飢饉を預言していました。
② 成長とともに変わる神さまからの使命
ここからは、聖書の解き明かしというよりも、僕自身が神さまから受け取った内容なので、あまり真に受けず参考にするくらいにしてくださいね。
3回に分けて登場するこれらの夢ですが、それぞれヨセフの成長のステージとともに夢が表すものが変わっているなぁと感じたのです。
最初の二つは、ヨセフが父親にひいきされ、ひたすら甘やかされていた時代の夢です。
ヨセフが見たのは、自分の未来のできごとを自分の視点で見た夢でした。
その夢は未来を表していたものの、配慮のない伝え方をしたヨセフはその後奴隷となり、人に仕えるという鍛錬の機関を経験します。
そうして成長したときに出会ったのが、一緒に投獄されていた人たちの夢です。
この時ヨセフは、人に仕え、人の役に立つために夢を解き明かしました。
自分が中心なのではなく、他の人たちのための働きとなったのです。
しかし、それが報われることなく、ヨセフは牢獄という不条理な状況の中で底辺の人々に仕えていく体験をします。
そうして成長したヨセフが経験したのは、国の人々のために仕え、国を救うことにつながる夢だったのです。
ヨセフがステージを上がっていくごとに、ヨセフはより多くの人たちに仕えていくことになりました。
これは、ヨセフのステージに合わせて、神さまがヨセフに示すものと仕える対象が変わっていったのではないかと思います。
最初は自分自身が中心ですが、ヨセフは実際に自己中心的でした。
人に仕えることを覚えたヨセフは、献酌官長や料理官に仕えるための導きが与えられました。
その後底辺を経験して鍛錬されたヨセフは、王に仕え、世界に影響を与えていくための導きが与えられたのです。
③ 自分から世界へ
私たちも、最初は自分のことしか見ることができないかもしれません。
自分のために祈り、自分が幸せになることを願います。
やがて、身近な人たちのためにも祈り、影響を与えることができるようになります。
そして最終的には、より多くの人たちに仕え、世界に影響を与えるようになっていくわけです。
皆さんは今、どのステージにいるでしょうか?
自分自身のことを考えるのが精いっぱいでしょうか?
周りの人たちのことを考える余裕はできてきているでしょうか?
それとも、自分が関われる範囲を通して、世界に影響を与えていく視点を持てているでしょうか?
例えば仕事をするとき、考えるのは自分の立場や給与のことでしょうか?
よりよい会社にするために働こうとしているでしょうか?
それとも、自分が勤める会社が世界に与える影響を考えているでしょうか?
自分が儲かるためのビジネスでしょうか?
お客さんを幸せにするためのビジネスでしょうか?
それとも、世界を変えていくためのビジネスでしょうか?
私たち自身が、ヨセフのような立場に立って働きをする機会は少ないかもしれません。
でも、私たちが神さまの視点に近づいていくためには、より大きな視野で物事を見ていく必要があると思います。
そしてより大きな視点で見ていくとき、私たちはその中で何をどのようにすればよいのか、より深く理解することができるようになるのだと思います。
今よりも一歩先の視点で見てみませんか?
神さまは、皆さんに何をさせようとしているのでしょう?