イザヤ7:14キリストが生まれた理由(2024クリスマス)2024/12/22 けんたろ
イザヤ7:14
7:14 それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。
クリスマスはキリストの誕生を祝う日です。
でも、別にイエスさまの誕生日というわけではなく、この日を祝う日にしようと教会が決めて始まったものです。
だからクリスマスは、私たちの誕生日とは違い、意図的に作られた日なのです。
では、そこにはどういう意図や思いがあって、キリストの誕生を祝うことになったのでしょう?
それは、キリストがこの地上に来たということがとても大切なことだったからです。
神さまが人としてこの地上に来てくださったこと、それが私たち人類にとって、BCとAD、紀元前と紀元後という暦を変えるほど大きな出来事だったのです。
① 神さまの約束
それが大切なことだった理由の一つは、それが神さまの約束だったからです。
旧約聖書には、神さまが人類のための救い主を送るという約束が繰り返し出てきます。
旧約聖書は2000年くらいの間に様々な人たちによって記されましたが、そのいたるところに救い主のことが預言されています。
イエスさまが地上に来られたことは、その約束の実現だからこそ、重要なこととして覚え、祝われているのです。
最初の約束は、人が神さまに背いて罪人となったその直後にされていました。
そこから数えるなら数千年では済まない、数万年の時を超えて、この約束が実現したことになります。
これほど長く、継続的に約束されて、そして果たされた約束は他にあるでしょうか?
この約束が果たされたからこそ、私たちは神様に信頼することができるし、まだ果たされていない「イエスさまの再臨」という約束も待つことができるのです。
② 罪の赦しのために来られた
イエスさまが地上に来たことが大切だった第二の理由は、イエスさまが私たちの罪をあがなわれたということです。
ただ、この「罪のあがない」という言葉がキリスト教を難しくしてしまっています。
そもそもあがないという言葉は普段使わないし、罪というと道徳的な話を連想してしまいますね。
「あがなう」というのは「買い取る」という意味の言葉です。
つまり「罪のあがない」とは、私たちの罪をイエスさまが肩代わりしてくださったということです。
では、聖書が言う「罪」とは何なのかというと、「嘘をついたとか、誰かを傷つけた」みたいな話というよりは、私たちの罪の源、「神さまに背いた」という部分に関しての罪です。
元をたどればアダムとエバにまで行きつくのですが、私たちはそんなご先祖様のことを持ち出すまでもなく、生きる中で神さまを無視し、背くような人生を歩んできたのではないでしょうか。
イエスさまは、そんな私たちの罪を肩代わりするためにこの地上に来て、十字架にかかり、私たちの代わりに罪の結果を支払ってくださったのです。
こうして、罪の裁きを受けるはずだった私たちを、イエスさまは命をかけて救ってくださいました。
そのことを喜んで、私たちはイエスさまが地上に来てくださった日を喜び、称えるのです。
③ 神さまと永遠の時を生きる
さて、とても残念であり、危険だと思っている問題は、多くのクリスチャンにとって救いの理解がここで終わってしまっているということです。
「あなたは救われました。だから死んだら天国に行けます。良かったですね」という話で終わってしまうのです。
救われることがゴールだと思っているので、洗礼を受けたら後は消化試合になってしまいます。
今日はこの後洗礼式もありますから、これから洗礼を受けるみなさんのためにもはっきりと話しておく必要があります。
はっきりと言いますが、救われるということ、クリスチャンとして生きるということは、罪が赦されて天国への切符を手に入れることではありません。
救いというのは、これまでなくなってしまっていた創造主である神さまとの関係が繋がり、神さまとともに生きる人生を送れるようになったことです。
神さまとの関係は永遠に続くものなので、私たちが死んだ後もそれがなくなることはない。
天の御国は今から始まり、終わることのない神さまとの関係のものなのです。
神さまとともに生きることは、私たちの生き方に直に影響し、大きく変えていきます。
これまで自分が中心になっていた私たちの人生に、神さまが関わってくださる。
私たちはすぐに罪を犯さなくなるわけでもないかもしれないし、不幸なことや困難なことが何も起こらなくなるわけでもありません。
でも、そんな時にも私たちは一人ではない。
神さまがともにいてくださり、神さまが導きを与え、肩を貸してくださる。
イエスさまは、私たちがそのように生きることができるようになるために地上に来て、命を懸けて私たちと神さまとの間にあった罪の隔たりを取り除いてくださったのです。
イエスさまが人としてこの地上に来たこと、私たちに救いを与えてくださったのはそのためだということを忘れてはなりません。
皆さんは、そんな神さまとの歩みを始めているでしょうか?
もしまだなら、このクリスマス、その歩みを始めてみませんか?
どうすればいいか、何をすればいいのかわからない、という場合には気軽にご相談ください。
私たちがともに、神さまと生きる道を歩んでいく家族、それが教会です。
私たちが力になりますし、お手伝いします。