創世記 46:1-4(46-50章)創世記28『低いところに流れる祝福』 2025/01/12 けんたろ
創世記 46:1-4(46-50章)
46:1 イスラエルは、彼に属するものすべてと一緒に旅立った。そしてベエル・シェバに来たとき、父イサクの神にいけにえを献げた。
46:2 神は、夜の幻の中でイスラエルに「ヤコブよ、ヤコブよ」と語りかけられた。彼は答えた。「はい、ここにおります。」
46:3 すると神は仰せられた。「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下ることを恐れるな。わたしはそこで、あなたを大いなる国民とする。
46:4 このわたしが、あなたとともにエジプトに下り、また、このわたしが必ずあなたを再び連れ上る。そしてヨセフが、その手であなたの目を閉じてくれるだろう。」
前回、久しぶりに創世記に戻ってきたという話をしたばかりですが、創世記は今回で終わりです。
聖書は長いですから、どんどん先に進んでいきたいと思います。
① ヤコブとヨセフの再開
今日の箇所では、神さまがヤコブに語り掛け、エジプトに下るようにと命じました。
ヤコブはそこで一生を終え、その子孫はそこで一つの民族となるのだと神さまは言うのです。
そして、二人はそこで涙の再開を果たしします。
創世記 46:30 イスラエルはヨセフに言った。「もう今、私は死んでもよい。おまえがまだ生きていて、そのおまえの顔を見たのだから。」
そしてヤコブと子どもたちは、「エジプト人は羊飼いを嫌うから」という理由で、辺境のゴシェンという地へ移り、そこで生活することになります。
こうして、ヤコブと子どもたちは、エジプトの文化に大きく影響を受けることなく、生涯を送ることができたのです。
それもまた、神さまの護りでした。
② 交差する祝福
しかし、そんなヤコブにもやがてその生涯を終えるときが近づきます。
それを知ったヨセフは、二人の子供たちを連れてヤコブのもとを訪れました。
ヤコブは力を振り絞って彼らの前で座り、このように告げたのです。
創世記 48:3 ヤコブはヨセフに言った。「全能の神はカナンの地ルズで私に現れ、私を祝福して、
48:4 仰せられた。『見よ、わたしはあなたに多くの子を与える。あなたを増やし、あなたを多くの民の群れとし、この地をあなたの後の子孫に永遠の所有地として与える。』
48:5 私がエジプトのおまえのところにやって来る前に、エジプトの地でおまえに生まれた、おまえの二人の子は、今、私の子とする。エフライムとマナセは、ルベンやシメオンと同じように私の子となる。
ヤコブがヨセフに告げたのは、アブラハムに約束され、その後イサク、ヤコブへと受け継がれてきた神さまの約束でした。
それは、彼らの子孫がカナンの地で国となるという約束です。
ヤコブの最愛の子だったヨセフは、ヤコブにとっては死んだものとなり、エジプトに仕える身となってしまいました。
そんなヨセフの代わりに、息子たちがヤコブの子として祝福を与えられたのです。
そのために、ヤコブはヨセフの子どもたちの頭に手を置いて祝福を祈るのですが、ヤコブはなぜか奇妙なことをしたのです。
創世記 48:14 ところがイスラエルは、右手を伸ばして弟であるエフライムの頭に置き、左手をマナセの頭に置いた。マナセが長子なのに、彼は手を交差させたのである。
へブル人の文化では、右は左よりも格上とされていたので、本来右手は兄の頭、左手が弟の頭に置かれるはずでした。
ところがヤコブは、わざわざ手を交差させて、弟のエフライムの頭に右手を置きました。
つまり、弟であるエフライムを兄として、兄であるマナセを弟として祝福したのです。
ヤコブは年老いて目が見えないのだろうと思い、ヨセフは慌てて訂正しようとしますが、ヤコブはこれでいいのだと言います。
創世記 48:19 しかし、父は拒んで言った。「分かっている。わが子よ。私には分かっている。彼もまた、一つの民となり、また大いなる者となるであろう。しかし、弟は彼よりも大きくなり、その子孫は国々に満ちるほどになるであろう。」
ヤコブ自身の時も、その時はヤコブが企んで父イサクを騙した結果起こったことではありましたが、兄のエサウを差し置いて、弟のヤコブが長子としての祝福を受けました。
さらに遡れば、イサクもまた兄であるイシュマエルを差し置いて、弟であるイサクが長子としての祝福を受けました。
元を正せば最初の兄弟、カインとアベルの時代から、「兄ではなく弟が」ということが記されています。
この現象は創世記だけに限りません。
ダビデの時代にも、エッサイの子どもたちから一番下の弟だったダビデが。
ダビデの子どもたちから一番若いソロモンが神さまの選びを受けています。
神さまの選び、そして祝福は、水のように下へ下へと流れていくのです。
③ 先のものが後になる
ここから受け取れることは二つあります。
一つは、自分自身が低い立ち位置にいることに悩んでいる方たちのため。
神さまは、皆さんを選んでおられるということです。
第一コリント 1:28 有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。
これは私たちにとって大きな希望ですね。
しかし、低い人だけが選ばれるなんて不公平ではないのですか?
では、選ばれなかった方はどうすればいいのでしょう?
旧約聖書ではみんな失敗してしまい、あまりいいことがないような気がしますが、兄たち、高い位置にいる人たち、力のある人たちにももちろんするべきことがあります。
それは、もとから高い位置にいるのですから、低い人たちよりも力があるのですから、それを使って仕えるということです。
マルコ 10:42 そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者と認められている者たちは、人々に対して横柄にふるまい、偉い人たちは人々の上に権力をふるっています。
10:43 しかし、あなたがたの間では、そうであってはなりません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。
と、イエスさまが言う通りです。
ヨセフの兄弟たちも、最後にはそのような働きをしましたね。
使徒たちや、イエスさまの弟子たちはまさにそのような存在となっていきました。
そうして、低くされていた人たちに仕えながら、彼らの力となるのです。
誰よりも、イエスさまが私たちに仕える方となってくださったのですから、その役割を担うのは光栄なことです。
皆さんはどちらの立場に立っておられるでしょう?
どちらの立場でも大きな喜びがあります。
その喜びを心いっぱいに味わっていき