出エジプト 13:17-22(13:1-22)出エジプト7 『神さまのGoサイン』2025/03/23 けんたろ

出エジプト 13:17-22(13:1-22)
13:17 さて、ファラオがこの民を去らせたとき、神は彼らを、近道であっても、ペリシテ人の地への道には導かれなかった。神はこう考えられた。「民が戦いを見て心変わりし、エジプトに引き返すといけない。」
13:18 それで神はこの民を、葦の海に向かう荒野の道に回らせた。イスラエルの子らは隊列を組んでエジプトの地から上った。
13:19 モーセはヨセフの遺骸を携えていた。それはヨセフが、「神は必ずあなたがたを顧みてくださる。そのとき、あなたがたは私の遺骸をここから携え上らなければならない」と言って、イスラエルの子らに堅く誓わせていたからである。
13:20 彼らはスコテを旅立ち、荒野の端にあるエタムで宿営した。
13:21 【主】は、昼は、途上の彼らを導くため雲の柱の中に、また夜は、彼らを照らすため火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。
13:22 昼はこの雲の柱が、夜はこの火の柱が、民の前から離れることはなかった。

今日は、ゴスペルエイドの皆さんからバディ支援のことに関してお話しいただきましたので、メッセージは短く簡潔にお話しします。

前回のお話で出エジプトしたイスラエルですが、イスラエルには3つのことが示されていました。
第一に、この出エジプトのことを覚えて代々受け継いでいくということ。
第二に、ペリシテ人がいる道を避けること。
第三に、雲の柱・火の柱を進むための合図とすることです。

第一のことについては、前回も少しお話ししました。
過ぎ越しの祭りとして、今も続けられていますね。
これはイスラエルが解放された記念すべき日と言うだけでなく、救い主の型でもあるので、代々受け継げられていく必要のあることでした。
それを覚えることによって「自分はかつて奴隷だった」ことを覚え傲慢にならないこと、そして「今自由であること自体を喜ぶ」という効果があります。
私たちがわざわざ洗礼を受けて、そのことを覚えることも同じですね。
それ自体で救われるわけではないですが、自分にとって大切なしるしとなるのです。

第二のことについては、意外と忘れられがちです。
神さまの優しさでもありますが、この時点でのイスラエルはペリシテ人と戦ったら勝てないことを神さまは知っていたのです。
それどころか、戦うまでもなく多くの人が逃げてしまうだろうとも思っていました。

ほとんどの民は、神さまがこのように危険から守ってくれていたことを知らなかったのではないでしょうか。
私たちも、知らない間に守られていることがどれほどあるだろうと改めて思います。

第三のことが今日のテーマです。
神さまは、イスラエルを導くために雲の柱・火の柱という分かりやすい方法を使いました。
私たちが文字通り雲の柱・火の柱を合図として目にすることはないかもしれませんが、神さまは案外分かりやすい方法で私たちにGOサインを出してくださいます。

皆さんがするべきこと、神さまがしてほしいと思っていることはないでしょうか?
皆さんはそれを受け取れていますか?
もしかすると、分かりやすいGOサインが出ているにも関わらず、前に踏み出せないでいるということはないでしょうか?
このサインを見逃さないためには、二つの大切な条件があります。
一つ目の条件は、サインを探し求めるということです。
「神さまは私に何をさせたいのか」といつも聞きながら、サインを探していなければ、雲の柱や火の柱が出ていてもぼんやり見過ごしてしまうことがあります。
積極的に求めることが必要なのです。

二つ目の条件は、サインを受け取ったら実行するということです。
Goサインが出ているのに実行しなければ、私たちはサインに対して鈍感になっていきます。
サインが出ていても、見て見ぬふりをしてしまうのです。
そうならないためにも、サインがあったらすぐに実行するということが大切です。

僕にとっては『異教まみれのキリスト教?』という本を出版するということが、神さまの分かりやすい導きでした。
この本を世に出したいと思ったのは10年も前のことですが、そのころ出していたら今のような反響がなかったどころか日本のキリスト教界から抹殺されていたかもしれません。
翻訳して出版しようと思ったきっかけはその前に鬱になり、回復した後できそうなことがこれしかなかったからでしたが、結果的にそれはベストのタイミングとなりました。
コロナ禍がきっかけとなって、教会に疑問を持つ人たちが増えたからです。
今あるものをただ否定するのではなく、それを必要としている人たちを助ける糧となることができたのは、このタイミングで出せたからです。
それは、神さまの導きとしか言いようがありません。

神さまは、皆さんをどのように導いていると思いますか?
サインは求めていますか?
また、Goサインが出ているのに放置してしまってはいませんか?
サインが出たなら、勇気をもって、あるいは神さまを信頼して進みましょう。
神さまはちゃんと私たちを守り、よい方向へと導いてくださいます。
そしてそこから得た喜びを、忘れずに覚えていきましょう。