エレミヤ32:14-17 「主にできないことは何一つない」-苦難は主にあって喜びをもたらすー 2025/14/13 小西孝蔵
目次
1. これまでの振り返りとエレミヤの苦難
・大学時代以来のクリスチャンの親友が長年パーキンソン病を患い、最近は起き上がれない状態で自宅で療養。先週、介護をしてきた彼の奥さんが急にがんで入院手術、抗がん剤治療を受けることになるとの連絡をあった。絶対絶命のピンチに呆然となった状態。この知らせを受けた私自身、祈らせていただきますとしか言えなかった。
・本日でエレミヤ書の8回目。いよいよい大詰めあと一回で終わる予定。毎回のパワポ資料の表紙に載せているのが、レンブラントの「エルサレム滅亡を嘆く預言者エレミヤ」の絵である。エレミヤの生涯は、20代の若いころ、神様から召命を受け、老年に至るまで、神の命令に従い、ユダの民の偶像崇拝の罪を糾弾し、神に立ち返らなければバビロンに滅ぼされると預言し続けたために、何度も殺されそうになり、絶体絶命の窮地に立たされた。
2. バビロンの第一回捕囚とエレミヤの逮捕・勾留(時代背景)
〇エレミヤ書32章1~2節「1ユダの王ゼデキヤの十年、すなわちネブカデレザルの十八年に、主の言葉がエレミヤに臨んだ。 2その時、バビロンの王の軍勢がエルサレムを攻め囲んでいて、預言者エレミヤはユダの王の宮殿にある監視の庭のうちに監禁されていた。
・ゼデキヤ王の10年とは、前598~586年の11年間の治世の最後、第一次バビロン捕囚から10年後、第2次バビロン捕囚でエルサレムが滅亡する1年前のこと。エホヤキム王の時に、バールの偶像を拝むユダの民に対する神の審きを預言し、エレミヤは殺されそうになる。エホヤキム王が死に、エホヤキムの弟のゼデキヤが後を継ぐが、エジプトに頼り、神に反抗する姿勢は変わらず。エレミヤは、逮捕され、この後神殿の井戸に放り込まれて死にそうになる。こうした迫害にもかかわらず、エレミヤは神の言葉を伝え続けた。本日の箇所で、エレミヤが伝えた神の言葉は、次の3つ。
3. 神様の実物教育(神の言葉その1)
〇エレミヤ32章6~14節「6エレミヤは言った、「主の言葉がわたしに臨んで言われる、 7『見よ、あなたのおじシャルムの子ハナメルがあなたの所に来て言う、「アナトテにあるわたしの畑を買いなさい。それは、これを買い取り、あがなう権利があなたにあるから」と』。・・・14『万軍の主、イスラエルの神はこう仰せられる、これらの証書すなわち、この買収証書の封印したものと、封印のない写しとを取り、これらを土の器に入れて、長く保存せよ。 15万軍の主、イスラエルの神がこう言われるからである、「この地で人々はまた家と畑とぶどう畑を買うようになる」と』
・アナトテは、エルサレム近郊のエレミヤの故郷。その土地を買って、捕囚から帰還したときに取り戻せるように、売買証書を壺に入れて保存するように神様はエレミヤに命じられた。エレミヤは、書記官のバルクの手にそれを託した。
・エレミヤへの神様の実物教育は、何回もなされた。召命を受けた若いころは、アメンドウの花は、神の裁きの始まりを、煮えたぎる鍋が北から攻めてくる敵をそれぞれ示していた。イエスの例え話も、福音を理解させるために実物教育の一環。
4. エレミヤの祈り-主にできないことは何一つない(主の言葉その2)
〇エレミヤ32章16~17節「16わたしは買収証書をネリヤの子バルクに渡したあとで主に祈って言った、 17『ああ主なる神よ、あなたは大いなる力と、伸べた腕をもって天と地をお造りになったのです。あなたのできないことは、ひとつもありません。・・・』
・ゼデキヤは、エジプトに頼ってバビロンに徹底抗戦をしてバビロンにエルサレムを包囲され、滅ぼされそうになっている。エレミヤは、神の命に従い、バビロンに降参しろと進言してゼデキヤから迫害を受けている。ユダヤの国もエレミヤ自身も絶体絶命の窮地に追い込まれている。全く望みえない状態で、エレミヤは、全知全能の神にできないことは何もないと信じ通した。
・エレミヤも、若い頃は、迫害や苦難が来るとこらえ切れず、自分の生まれたことを呪って、神様に訴えたこともしばしばであった。しかし、50歳を超えて熟年ないし老年になってからは、神様の御心が分かるようになってきた。信頼と希望の預言に移ってきたように見られる。神様自身も、万軍の主である自分が、バビロンを使ってユダの民を滅ぼすとともに、バビロンを滅ぼして、ユダの民を救い出すと宣言された。
〇エレミヤ32章26~28節「26主の言葉がエレミヤに臨んだ、 27「見よ、わたしは主である、すべて命ある者の神である。わたしにできない事があろうか。」
・エレミヤと同じように、私たちも一生の間に、深刻な病い、経済的困窮、仕事の重圧、人間関係のストレスなど、どうしようもない試練に度々見舞われる。エレミヤや冒頭の友人ご夫妻の苦難の大きさには及ぶべくもないが、私もこれまで何度も絶体絶命のピンチに直面したことがあった。40代の頃、林野庁の担当課長として、3兆円にも上る巨額の借金で破綻寸前の状況は、どうあがいてみても返済の道はない絶望的な状況に立たされた。自分の能力をはるかに超える責任の重さに押しつぶされそうになり、不眠不休の毎日でヘルペスにもかかった。毎朝、職場に入るとき、主よ、助けてくださいと叫び、ただ祈るのみ。そのころ、日曜日、この教会でパイク先生のメッセージから、次の聖句を通じて、弱さの中で神様の力が現わされることを示された。
〇第2コリント12章「9ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。
・自分が無力なときに神様の力が完全に表れる。結果として、大規模なリストラの痛みを余儀なくされたが、神様は、不思議な助け手を与えて下さり、2年半後その窮地を脱することができた。奇跡以外の何物でもない。
5. 永遠の契約と恵みの約束(主の言葉その3)
・エレミヤは、前回の31章で、ユダの民と新しい契約を結び、その心に記すといわれた。エレミヤ31章34節「31主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る。」これは、旧約と新約の接点ともいえるハイライトの箇所。エレミヤ31章の新しい契約は、32章40節の永遠の契約、惠みの約束でもある。
〇エレミヤ32章「40わたしは彼らと永遠の契約を立てて、彼らを見捨てずに恵みを施すことを誓い、またわたしを恐れる恐れを彼らの心に置いて、わたしを離れることのないようにしよう。 41わたしは彼らに恵みを施すことを喜びとし、心をつくし、精神をつくし、真実をもって彼らをこの地に植える。」。
・70年間の捕囚の後、ペルシャのキュロス王によって、ユダの民はバビロンの捕囚から解放され、惠みの約束が実現する。それは、ユダの民の罪の赦しの実現でもある。
〇エレミヤ33章「 8わたしは彼らがわたしに向かって犯した罪のすべてのとがを清め、彼らがわたしに向かって犯した罪と反逆のすべてのとがをゆるす。・・・11・・・『万軍の主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみは、いつまでも絶えることがない』といって、感謝の供え物を主の宮に携えてくる者の声が聞える。・・・14主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家に約束したことをなし遂げる日が来る。 15その日、その時になるならば、わたしはダビデのために一つの正しい枝を生じさせよう。彼は公平と正義を地に行う。」
・神に反逆し続けたユダとイスラエルの民の罪が赦される日が来る。ダビデの子孫、メシア、キリストの誕生と十字架と復活の生涯を通じて、その希望が実現する。
・今週は、受難週にあたる。キリストは、十字架上で「父よ、彼らの罪をお赦し下さい。彼らは何をしているのか分からないからです。」(ルカ23章34節)と言われた。神様に対して負った、罪という借金(debt)は、罪なき神の独り子イエスの身代わりの死によって帳消しになる。キリストは、罪の奴隷であった私たちを身代金(ransom)を支払って解放して下さった。
・私が背負った3兆円の借金は、私たちの神様に対する罪の借金を象徴しているようにも思われる。その巨額の債務を罪のない神の子イエスの命と引き換えに帳消しにしていただき、復活の命に預からせていただいた。このことを神様から実物教育として示さたとき、神様の愛に何と感謝していいかわからない気持ちで一杯になる。
・Ⅰ週間ほど前、私の関係している江東区の老人ホームで、7年ぶりに来日されたレーナマリアさんのコンサートに参加して改めて感動した。レーナマリアさんは、スウェーデン人、生まれつき両手がなく、左足が右足の半分しかない身障者だが、両親ともクリスチャンで、そのハンディーを通じて神様の栄光を現わしている。
・キリストの復活と聖霊の働きによって、レーナさんの賛美のように、どんな時でも喜ぶことができる。「患難は忍耐を、 忍耐は錬達を、錬達は希望を生み出す、なぜなら、聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。」(ローマ書5章4~5節)最後に、キリストの苦しみにあずかることを通じて、神の栄光が現れ、喜びがもたらされる」というペテロの言葉を読んで終わります。
〇第1ペテロの手紙4章「12愛する者たちよ。あなたがたを試みるために降りかかって来る火のような試錬を、何か思いがけないことが起ったかのように驚きあやしむことなく、 13むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど、喜ぶがよい。それは、キリストの栄光が現れる際に、よろこびにあふれるためである。」
(祈り)