出エジプト17:8-16(17:8-18:27)出エジプト10 『主の旗のもとに』2025/05/03 けんたろ

出エジプト17:8-16(17:8-18:27)
17:8 さて、アマレクが来て、レフィディムでイスラエルと戦った。
17:9 モーセはヨシュアに言った。「男たちを選び、出て行ってアマレクと戦いなさい。私は明日、神の杖を手に持って、丘の頂に立ちます。」
17:10 ヨシュアはモーセが言ったとおりにして、アマレクと戦った。モーセとアロンとフルは丘の頂に登った。
17:11 モーセが手を高く上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を下ろすとアマレクが優勢になった。
17:12 モーセの手が重くなると、彼らは石を取り、それをモーセの足もとに置いた。モーセはその上に腰掛け、アロンとフルは、一人はこちらから、一人はあちらから、モーセの手を支えた。それで彼の両手は日が沈むまで、しっかり上げられていた。
17:13 ヨシュアは、アマレクとその民を剣の刃で討ち破った。
17:14 【主】はモーセに言われた。「このことを記録として文書に書き記し、ヨシュアに読んで聞かせよ。わたしはアマレクの記憶を天の下から完全に消し去る。」
17:15 モーセは祭壇を築き、それをアドナイ・ニシと呼び、
17:16 そして言った。「【主】の御座の上にある手。【主】は代々にわたりアマレクと戦われる。

エジプトを脱出したイスラエルは、クリスチャンになった私たちとの共通点がたくさんあります。
だから、私たちが学べる部分もたくさんあるということです。

さて、彼らはまず、水や食べ物など生存するために必要なものが備えられなければなりませんでした。
私たちは、必要を満たしてくださる方だということを信じ、信頼し、その信仰を基準にすると、平安の中で冷静に神さまの導きも受け取ることができるようになります。
それが、前回のお話でしたね。

今回は、大人数をどうやってまとめていくかという話なので、今すぐどうこうするという話ではないかもしれません。
しかし、大切な話ではありますから、この聖書箇所から私たちに関わるテーマを抽出し、味わっていきましょう。

① 主の旗のもとに

エジプトを脱出したイスラエルの人々が直面したのは、たくさんの戦いでした。
今まで住んでいた場所を出て大人数で移動するわけですから、そこにたくさんの問題が発生するのも当然のことです。
自由になるということは、今まで自分を保護していたエジプトからの脱出でもあるわけですから、自ら戦わなければならないときも来ます。
彼らの前に立ちはだかったのは、アマレク人と呼ばれる人々でした。
イスラエルは戦いましたが、戦力が拮抗するような手ごわい相手です。
その中でモーセが杖を持った手を上げた時にはイスラエルが優勢になり、卸すと劣勢になりました。
そこでイスラエルはモーセの手を支え、下がらないようにしたことによって、アマレク人から勝利したという話です。

さて、皆さんはこの手を上げる行為は何を表していると思いますか?
実は、18年前に同じ個所からメッセージしたことがあるのですが、その時は「祈り」であると解説していました。
当時は他の人の解説を読んだりしていたので、そこから学んだのでしょうね。
でも、今回はそれとは違う理解を受けましたので、それを分かち合いたいと思います。
とは言っても、そんな大げさなことではありません。
答えは最初から書いてあったからです。

15節を見ると、「アドナイ・ニシ」という言葉が出てきます。
これは、「主はわが旗」という意味のことばです。
つまり、モーセは戦いの旗を掲げていたのです。
主の御名が掲げられ、そこに民の心が一つになるとき、イスラエルは強くなりアマレク人に勝利するということなのです。

私たちは、いろんな旗を持っていて、その旗を振ってしまうことがあるかもしれません。
神学や、派閥や、政治的思想や、教派教団の旗を掲げてしまいがちです。
でも、私たちクリスチャンが本当に力を発揮するためには、主という旗のもとに一つになる必要があります。
でもそれは、私たちが掲げるべき旗ではありません。
私たちは、主の名のもとに旗が掲げられ、まとまるときにこそ、本当の強さを手にすることができるのです。

② リーダーシップに関しての知恵

18章にも、全体を通して、人々をまとめるために必要なヒントがかかれています。
あるとき、モーセのしゅうとであるイテロがモーセのもとを訪れます。
イテロは、モーセが一人で全イスラエルをまとめているのを見て、「それではいけない」と注意します。

出エジプト 18:17 すると、モーセのしゅうとは言った。「あなたがしていることは良くありません。
18:18 あなたも、あなたとともにいるこの民も、きっと疲れ果ててしまいます。このことは、あなたにとって荷が重すぎるからです。あなたはそれを一人ではできません。
18:19 さあ、私の言うことを聞きなさい。あなたに助言しましょう。どうか神があなたとともにいてくださるように。あなたは神の前で民の代わりとなり、様々な事件をあなたが神のところに持って行くようにしなさい。
18:20 あなたは掟とおしえをもって彼らに警告し、彼らの歩むべき道と、なすべきわざを知らせなさい。
18:21 あなたはまた、民全体の中から、神を恐れる、力のある人たち、不正の利を憎む誠実な人たちを見つけ、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長として民の上に立てなさい。
18:22 いつもは彼らが民をさばくのです。大きな事件のときは、すべてあなたのところに持って来させ、小さな事件はみな、彼らにさばかせて、あなたの重荷を軽くしなさい。こうして彼らはあなたとともに重荷を負うのです。
18:23 もし、あなたがこのことを行い、神があなたにそのように命じるなら、あなたも立ち続けることができ、この民もみな、平安のうちに自分のところに帰ることができるでしょう。」

これは、現代の組織論やリーダーシップ論にもつながる部分で、現代人にも分かりやすい教えですね。
大きな集まりになってくると、取りまとめていくために、このような組織的な構造が必要になってくるわけです。
ただ、ひとつ注意しておくべきことは、この話は神様から教えられ、命じられたやり方というわけではなく、あくまでもミディアン人であるイテロから教えられた知恵だということです。
大きな群れを取りまとめていく良い知恵ではあるけれど、全てにおいて優先させなければならない神さまの命令とは分けて考えるべきでしょう。

私たちが何よりも優先すべきことは、17章にあったように神の名を掲げたもとに心を一つにして集まるということです。
一人一人が神を思い、神を主として集まり、神からの知恵を頼りに助け合う中でこそ、このような知恵が活かされていきます。
私たちがそのことを忘れ、組織の運営のことばかりに目を奪わされていくと、イテロに紹介された方法論は、人を縛り、支配する構造にしかなりません。
気を付けていないと、私たちは、あっという間に道を踏み外してしまうのです。