エレミヤ39:15-18(エレミヤ38、39、52章、哀歌3章)「万軍の主を待ち望む」-私が必ずあなたを救い出す 2025/6/15 小西孝蔵
目次
1. エレミヤを通じて預言された新しい契約と惠みの約束(前々回、前回)
・本日がエレミヤ書の第9回、最終回。前々回と前回で学んだ31章と32章は、旧約と新約との橋渡しで、エレミヤのハイライトと見える箇所なので振り返りたい。エレミヤは、偶像崇拝に走り、神に離反し続けたユダの民に対し、悔い改めて神に立ち返ることを半世紀近く繰り返し預言した。エホヤキム王は、エレミヤの預言に逆らい、神に反抗したため、バビロンに攻められ、多くの民がバビロンに連行された(第1回バビロン捕囚、前598年)。
・十戒をはじめとするモーセの律法は、本来、神様がイスラエルの民を救い、守るために民に授けられた教えであるはずが、民が神から離れ、悔い改めることなく反抗し続けたため、厳しく罰せられた。にもかかわらず、ユダヤの民のみならず人類全体を救いたいという神様の愛は、変わらない(エレミヤ31章2~3節)。
〇エレミヤ31章31~33節「31主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る。・・・33 私は、私の律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心に書き記す。
・神様は、愛する独り子をこの世に遣わし、一方的な恵みにより、新しい契約を与えると約束された。それは、キリストの血による新しい契約である。(ルカ22章20節)神ご自身が、エレミヤに示されたのは、「キリストの贖い」と「聖霊の働き」により、民の心に「神の律法」を記すという約束であった。聖霊の働きによって私たちの自己中心の心が変えられる。
〇エレミヤ31章34節「34人はもはや、おのおのその隣とその兄弟に教えて、『あなたは主を知りなさい』とは言わない。それは、彼らが小より大に至るまで皆、わたしを知るようになるからであると主は言われる。わたしは彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない」。
・このエレミヤの預言の通り、私たちは、神の恵みにより、キリストの贖いによって対価なくして、神の義とされた。そこに「神の愛」と「神の義」が同時に実現した。エレミヤの預言は、モーセを通じて与えられた律法による旧約とキリストにより実現した新しい契約とを橋渡しをする預言である。本日は、エレミヤとユダの民の最後の試練と神様の救いの計画を取り上げる。
2. 試練の中に遣わされる主の助け手-私は必ずあなたを救い出す
・エホヤキム王のあとを受けついだ弟のゼデキヤ王も、エジプトに頼ってバビロンに反旗を翻したので、再びネブカドネザル王に攻められ、エルサレムが包囲された。こうした中、エレミヤは、優柔不断のゼデキヤ王やその側近に逮捕され、度重なる迫害を受け続けたため、「嘆きの預言者」、「悲哀の預言者」と呼ばれている(レンブラントの絵参照)。しかし、エレミヤは、神様への信頼と救いの希望を持ち続けた。
〇エレミヤ38章5~6節「「5ゼデキヤ王は言った、「見よ、彼はあなたがたの手にある。王はあなたがたに逆らって何事をもなし得ない」。 6そこで彼らはエレミヤを捕え、監視の庭にある王子マルキヤの穴に投げ入れた。すなわち、綱をもってエレミヤをつり降ろしたが、その穴には水がなく、泥だけであったので、エレミヤは泥の中に沈んだ。」
・エレミヤは、地下牢に放り込まれた後、水溜めの泥の中に投げ込まれた。死に瀕したエレミヤをゼデキヤ王に進言して救い出したのが、エチオピア人のエベデ・メレクであった。余談だが、エチオピアは、聖書と縁の深い国でもある(使徒行伝のピリポから受洗した宦官カンダケ、ソロモンを訪ねたシバの女王?)。
〇エレミヤ38章12~13節「12そしてエチオピヤびとエベデメレクは、「この布切れや着物を、あなたのわきの下にはさんで、綱に当てなさい」とエレミヤに言った。エレミヤはそのようにした。 13すると彼らは綱をもってエレミヤを穴から引き上げた。そしてエレミヤは監視の庭にとどまった。」
・エレミヤを通じて神からエベデ・メレクに送られたのが次のみ言葉。
〇エレミヤ39章17~18節「17主は言われる、その日わたしはあなたを救う。あなたは自分の恐れている人々の手に渡されることはない。 18わたしが必ずあなたを救い、つるぎに倒れることのないようにするからである。あなたの命はあなたのぶんどり物となる。あなたがわたしに寄り頼んだからであると主は言われる』」。
・この言葉は、主は、信頼して救いを求める者には、どんな窮地に会っても、必要な助け手を与えて救い出して下さるという励ましの言葉でもある。
3. エルサレムの滅亡と神による救いの計画
〇エレミヤ39章「1ユダの王ゼデキヤの九年十月、バビロンの王ネブカデレザルはその全軍を率い、エルサレムに来てこれを攻め囲んだが、 2ゼデキヤの十一年四月九日になって町の一角が破れた。」
・神に反抗し続けてきたユダの王国は、ついにバビロンに完全に滅ぼされた。ゼデキヤの子供やすべての貴族たちは殺され、ゼデキヤ王は、目をつぶされ、残された民とともにバビロンに連れていかれた。王宮と民家は、火で焼かれ、エルサレムの城壁は破壊された。残っている民、合計1万5千人にのぼる民がバビロンに捕え移した。神様からの援軍のない籠城ほどみじめなことはない。孤立無援のまま籠城を続けて秀吉に敗れた北条氏の小田原城を訪ねて、そのことを思い起こした。
・エレミヤは、神の命により、バビロンに従ったために、捕らわれることなく、釈放されるが、反バビロン、親エジプト派の将軍たちにエジプトに連行された。エレミヤのその後の消息は書かれていないが、エジプトで殺されたのではないかともいわれている。
・エレミヤの一生は、結局、嘆きと徒労に終わったのか? 決してそうではない。救い主の出現を神に祈り求めたエレミヤの祈りと希望は、万軍の主のみ手によって、かなえられた。50年後には、ペルシャのクロス王により、ユダの民は捕囚から解放されてエルサレムの帰還が実現した。さらに5百余年後には、ダビデの血筋からキリストが誕生する。歴史を動かす万軍の主の御業である。
〇エレミヤ52章31~32節「31ユダの王エホヤキンが捕え移されて後三十七年の十二月二十五日に、バビロンの王エビルメロダクはその即位の年に、ユダの王エホヤキンを獄屋から出し、そのこうべを挙げさせ、 32親切に彼を慰め、その位を、バビロンで共にいる王たちの位よりも高くした。
・ゼデキヤ王の死後、ダビデ王の子孫は絶たれたかと思われた。しかし、神は、その子孫を守り通された。エホヤキム王の息子エホヤキン(エコンヤ)は、第1回捕囚の時にバビロンに移され、ネブカドネザル王の死後、その後継者の王によって手厚い待遇を受けた。バビロン捕囚から解放され、民を率いてエルサレムに帰還したのは、エホヤキンの孫のゼルバベルであった。その子孫から神の子イエス・キリストが生まれた(マタイの系図参照)。神様の遠大なる人類救済計画の道のりといえる。
・エレミヤと彼の預言を書き留めていた書記のバルクもエジプトで亡くなったと思われる。しかし、エレミヤの預言は、バルクやバビロンに移された彼のお兄さん、ないし、その仲間の手で、奇跡的に後世にエレミヤ書として残されたものと思われる。
4. 万軍の主を待ち望むー主の慈しみは永久に
・エレミヤ書の最後にあえて付け加える聖書箇所として、先ず、エレミヤの作とされる哀歌から次の言葉を紹介したい。
〇哀歌3章22~24節「21・・・それゆえ、わたしは望みをいだく。22主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。23これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい。・・・わたしは彼を待ち望む」と。25主はおのれを待ち望む者と、おのれを尋ね求める者にむかって恵みふかい。
・ユダの民の歴史は、自分自身の一生を象徴しているように思われる。私自身、常に神様から離れようとして逆らってきた。にもかかわらず、神様は、辛抱強く、見守り、御子イエスキイリストを遣わし、私を愛し続けてくださった。だから、どんな時でも、あきらめず、万軍の主を待ち望むこと、そして、主の慈しみは永久に絶えることはないと感謝し続けたい。
・最後に、エレミヤ書に最も大きな影響を受けたとみられる。へブル人への手紙から次の聖句2か所を共に読んで終わります。
〇へブル人への手紙12章(5)~(6)「5また子たちに対するように、あなたがたに語られたこの勧めの言葉を忘れている、わたしの子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。主に責められるとき、弱り果ててはならない。6主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである」。
・試練を与えられるのは、神の子として愛されている証拠。
〇へブル人への手紙13章14~16節「14この地上には、永遠の都はない。きたらんとする都こそ、わたしたちの求めているものである。 15だから、わたしたちはイエスによって、さんびのいけにえ、すなわち、彼の御名をたたえるくちびるの実を、たえず神にささげようではないか。 16そして、善を行うことと施しをすることとを、忘れてはいけない。神は、このようないけにえを喜ばれる。」
・御国を目指し、上を見上げて、主を賛美しようではありませんか。
・終わりに、本日の聖書箇所とエレミヤ書全体の要点を三つにまとめる。
① 神様の愛により、キリストの十字架と復活を通じて新しい契約(新約)が実現
② 試練の中で、神様は援軍を遣わし、必ず、私たちを救い出して下さる。
③ 絶望の隣には希望があることを信じ、日々の務めを果たしつつ、万軍の主を待ち望むこと。 (祈り)