出エジプト28:1-5(28:1-30:38) 出エジプト15 『祭司の役目』 2025/07/06 けんたろ
出エジプト28:1-5(28:1-30:38)
28:1 あなたは、イスラエルの子らの中から、あなたの兄弟アロンと、彼とともにいる彼の息子たちのナダブとアビフ、エルアザルとイタマルをあなたの近くに来させ、祭司としてわたしに仕えさせよ。
28:2 また、あなたの兄弟アロンのために、栄光と美を表す聖なる装束を作れ。
28:3 あなたは、わたしが知恵の霊を満たした、心に知恵ある者たちに告げて、彼らにアロンの装束を作らせなさい。 彼を聖別し、祭司としてわたしに仕えさせるためである。
28:4 彼らが作る装束は次のとおりである。胸当て、エポデ、青服、市松模様の長服、かぶり物、飾り帯。彼らは、あなたの兄弟アロンとその子らが、祭司としてわたしに仕えるために、 聖なる装束を作る。
28:5 彼らは、金色、青、紫、緋色の撚り糸、それに亜麻布を受け取る。
前回は契約の箱と幕屋に関してお話をしました。
今回は、大雑把に言うと祭司についての話です。
契約の箱の話でも分かったのではないかと思いますが、祭司もまたその働きや役割そのものが大切というよりは、その働きが象徴しているものが大切です。
つまり、本体となるものが先にあって、祭司はそれが現れるまでの型であり象徴です。
神さまは最初からその目的を持って祭司という役割を作っていますので、それを理解することが大切ですね。
① アロンとその子たち
祭司という役割は、アロンとその子たちに与えられました。
そして彼らが属する家系はレビ族となりますが、このレビ部族にイスラエル中で祭司としての働きをする役割が与えられました。
祭司というのは基本的に、神さまと人とを結ぶ役割を果たす人たちのことを指します。
大きな意味で言うなら、イスラエルという民族そのものに祭司としての役割が与えられていますから、レビ人に与えられているのはその中の祭儀的な働きをする人たちですね。
この時代の中東の文化では、宗教的な働きが一番理解しやすい形だったことを神さまは知っていたのです。
具体的な働きとしては、幕屋や契約の箱を運び、生贄を捧げることが彼らの役割でした。
場合によっては聖所に入ることもあり、大祭司に任命された人は年に一度至聖所に入ることもありました。
② 大祭司の衣装(エポデ、ウリム、トンミム)
大祭司は祭司とは違う衣装を持っていました。
彼らは祭司たちの代表であり、神さまの実前に出るという特別な役割も担っていました。
まず、大祭司はエポデという祭服を着なければならないということが記されています。
エポデは図の通り前掛けのような形になっていて、幕屋と同じ材質が使われています。
胸当てには12個の宝石が取り付けられていて、これは12部族を表しています。
他にも、大祭司が持つ代表的な道具としてウリムとトンミムがありました。
ウリムは「光」という意味、トンミムは「完全」という意味の言葉で、実際にどのようにして使うのかは書かれていませんが、神さまの御心を求めるときにこれを使ったそうです。
さて、彼らは何のためにこれを身につけるよう命じられたのでしょう?
このように書かれています。
出エジプト 28:43 アロンとその子らは、会見の天幕に入るとき、あるいは聖所で務めを行うために祭壇に近づくとき、これを着る。彼らが咎を負って死ぬことのないようにするためである。これは彼と彼の後の子孫のための永遠の掟である。
つまり、神さまの前に出るためには、この衣装を着る必要があったということです。
これを着ないで神さまの前に出ると、人は死んでしまうのです。
そう考えてみると、このエポデが何を表しているか少しわかってきます
そう、イエスさまを表しているのです。
ガラテヤ 3:27 キリストにつくバプテスマを受けたあなたがたはみな、キリストを着たのです。
また、ウリムとトンミムはその役割的に聖霊を表しているように思います。
大祭司が身につけていた道具や衣装は、私たち現代のクリスチャンが信仰によって与えられている霊的な糧を表しています。
私たちもまた、レビ族と同じように、またイスラエルと同じように祭司として選ばれた人々なのです。
私たちはエポデではなくキリストを着て神さまの前に出て、聖霊によって神さまの御心を知り、神さまと、神さまを知らない人々の間に立って、紹介するという役割を果たしていくわけですね。
③ 祭司・大祭司とは誰か?
祭司・大祭司に関しては他にもいろいろあるのですが、その周りに出てくるすべての物が、実はイエスさまを表していたことが分かります。
それでは、祭司や大祭司とは何を意味しているのでしょう?
これは、私たちクリスチャンを表していることが分かります。
未信者の間は神様に触れることも近づくこともできませんが、私たちはキリストを着て神さまの御前に出て、聖霊を通して御心を知ることができるようになるのです。
クリスチャンの中で神父さんや牧師さんのように一部の人が祭司となるのではありません。
役員や賛美リーダーのような立場の人たちだけでもありません。
信仰を持つ人はすべて祭司なのだということを忘れないでいただきたいのです。
そのような視点で聖書を読んでいくと、出エジプトやレビ記、民数記、申命記なども、私たちがすべてのクリスチャンが祭司として果たすべきことが示されていることが分かってきます。
旧約聖書の時代には宗教的で、専門的な役割として機能していましたが、新約の時代はそうではありません。
普段の生活の中で、誰もが果たすことができる普遍的な働きなのです。
どうか、その働きを他の誰かに任せるのではなく、自ら祭司としての役割があることを自覚してください。
私たちのような普通の人間にそんな役割が与えられているのは驚きですね。
でも、それはレビ人たちも同じです。
彼らもまた、そのような役割が与えられていたというだけで普通の人たちでした。
この時代では間接的に、場所や道具を通して表されていた神さまの働きが、今は直接私たちの内に働き、神さまがサポートしてくださっているのです。
大祭司のように特別な服を着たりしなくても、ウリムやトンミムを使ったりしなくても、契約の箱や幕屋がなくても、特別な儀式を行わなくても、その全てをイエスさまが十字架の上での死によって完成してくださったのです。
宗教としてのキリスト教は、宗教的な古い価値観をまだ引きずっている傾向があります。
私たちはそこから解放されているのですから、自由に、大胆に神さまの御前に出ていこうではありませんか。
そして、まだ神さまを知らない人たちに私たちの創造主を紹介するのです。