出エジプト35:30-35(35:30-38:31) 出エジプト19 『奉仕に裏方はない』 2025/08/10 けんたろ

出エジプト35:30-35(35:30-38:31)
35:30 モーセはイスラエルの子らに言った。「見よ。【主】は、ユダ部族の、フルの子ウリの子ベツァルエルを名指して召し、
35:31 彼に、知恵と英知と知識とあらゆる仕事において、神の霊を満たされた。
35:32 それは、彼が金や銀や青銅の細工に意匠を凝らし、
35:33 はめ込みの宝石を彫刻し、木を彫刻し、意匠を凝らす仕事をするためである。
35:34 また、彼の心に人を教える力をお与えになった。彼と、ダン部族のアヒサマクの子オホリアブに、そのようにされた。
35:35 主は彼らをすぐれた知恵で満たされた。それは彼らが、あらゆる仕事と巧みな設計をなす者として、彫刻する者、設計する者、青、紫、緋色の撚り糸と亜麻布で刺繡する者、また機織りをする者の仕事を成し遂げるためである。

いよいよ出エジプト記も終盤、次回で最終回ですね。
ここにきて、出エジプト記では新しい人物が登場します。
ベツァルエルとオホリアブですね。
この二人は職人や芸術家の代表として知られている人で、幕屋や契約の箱の装飾を造りました。
彼らは手先が器用で、最高の物を作り、その技術を他の人たちに伝えたのです。
35章から38章にかけては、彼らによる装飾物についての描写が続きます。

① 命じられたとおり

意外と多くの人たちが勘違いしているのは、ベツァルエルとオホリアブの芸術性がどこから来ているかということです。

出エジプト 36:1 ベツァルエルとオホリアブ、および、聖所の奉仕のあらゆる仕事をする知恵と英知を【主】に授けられた、心に知恵ある者はみな、すべて【主】が命じられたとおりに仕事をしなければならない。」

重要なのは、彼らは「主が命じられた通りに仕事をした」ということです。
彼らの芸術性や美のセンスのようなものはあまり関係がありません。
彼らは、命じられたことを形にする器用さを持ってはいましたが、オリジナリティのようなものは求められていなかったということです。

ここで大切なのは、「神さまに命じられた通りに従うこと」であって、「能力や才能があるかどうかではない」ということです。
もちろん私たちは、神さまが命じていないことをやる必要はありません。
でも、「上手だからやる」、「下手だからやらない」ということでもないのです。
それはまた、「やりたいからやる」「やりたくないからやらない」ということとも違います。
この辺りを混同してしまいがちなので難しいですね。
見分ける方法はその時その時で違うので、簡単に伝えることはできませんが、神さまは自分がやりたくないことや下手だと思っていることをやらせることもあるということは忘れないでいてください。
必要な知恵と英知は、私たちが従う時に神さまが与えられるものだからです。

② 大切な働き

第二に大切なことは、教会の中の働きにこだわらないということです。
これは結構大切なことだと思うのですが、このように言ってくれる教会や牧師は少ないです。
私たち牧師は教会の中のことしか知らないからです。
牧師がビジネスマンたちに向かってセミナーなどをして、「あなたたちの仕事は教会のために稼ぐことです。たくさん稼いでたくさん捧げなさい」なんていうことを平気で言います。
悪気がないかもしれませんが、仕事というものを甘く見過ぎですよね。
私たちはこの世界の中で人々に仕えることを通して、神さまの働きをすることができるのです。

ベツァルエルとオホリアブの働きが始まったとき、多くの人々が聖所を作る奉仕の仕事のために材料を捧げ、仕事を手伝おうとしました。
十分に集まったとき、その働きをしていた人たちはこのように言ったのです。

出エジプト36:5 モーセに告げて言った。「民は何度も持って来ます。【主】がせよと命じられた仕事のためには、あり余るほどのことです。」
36:6 それでモーセは命じて、宿営中に告げ知らせた。「男も女も、聖所の奉納物のためにこれ以上の仕事を行わないように。」こうして民は持って来るのをやめた。

彼らには日常の働きがありましたし、生活もありました。
それを置いてまで聖所のために捧げようとすることは尊い信仰ではありましたが、モーセはそれを留めたのです。

神さまのための働きは、必ずしも教会のための働きとは限りません。
今自分が仕えるべき部分はどこか、神さまとよく相談してみてください。
それは職場でお客さんや家族と共に過ごすことが命じられていることだと感じたら、遠慮なくそこに専念してください。
もちろん、それによって神さまから離れてしまったら元も子もありませんから、それを神さまの導きに従って、神さまと共に行ってください。
そのとき、私たちにできるサポートがあったら遠慮なく相談してください。

③ 自信を持って主の働きをする

ベツァルエルとオホリアブのような働きは、補助的で裏方の仕事だという評価がされがちです。
ここでの主題である幕屋や契約の箱の完成についてだけ見れば、確かに表立った確かに表立った働きではないかもしれませんが、与えられた使命を果たしたということに関しては他の働きと同じです。
二人が普段生きている生活こそが、本来表の働きだと言えるでしょう。
それぞれの信仰者として、神に忠実だったかどうかを視点として見るなら、彼らはモーセやアロンたちと変わらない、素晴らしい働き人だと言えます。

皆さんに与えられている働きの主体はどこでしょう?
仕事場や、家族の間での働きが使命として与えられている方たちが大半のはずです。
日曜日に何もしていないからと言って自分を小さく見積もる必要はありません。
普段の生活の中で日曜日以外の働きの中で、忠実に、輝けばいいのです。
それこそ、神さまが喜ぶ働きというものなのです。