レビ記6:1-7(6:1-7:36) レビ記2 『いけにえの捧げ方』 2025/09/07 けんたろ
レビ記6:1-7(6:1-7:36)
6:1 【主】はモーセにこう告げられた。
6:2 「人が罪に陥っていて【主】の信頼を裏切るとき、すなわち、預かり物や担保の物やかすめた物について同胞を欺いたり、あるいは同胞を脅迫してゆすり取ったり、
6:3 あるいは落とし物を見つけながらも欺いたりするなどして、人が罪に陥っていて行う事柄の一つについて、偽りの誓いをするようなとき、
6:4 その人が罪に陥り、後になって責めを覚える場合には、そのかすめた品や脅迫してゆすり取った物、自分に託された預かり物、見つけた落とし物、
6:5 あるいは、それについて偽って誓った物をすべて返さなければならない。元の物を償い、また、それに五分の一を加えなければならない。彼は自分が責めを覚えるときに、その元の所有者にそれを返さなければならない。
6:6 その人は羊の群れから、傷のない、代償として評価された雄羊一匹を、【主】への自分のための代償のささげ物として、祭司のところに連れて行く。
6:7 祭司は【主】の前でその人のために宥めを行う。彼は、自分が行って責めを覚えるようになったどのことについても赦される。」
前回に引き続きレビ記からいけにえについての話です。
レビ記というのは、祭司についての話であり、だから私たちにはなじみが薄く、自分のこととして受け取りにくいとお話ししたのを覚えているでしょうか?
しかし一方で、私たちクリスチャンはみんな祭司であり、つまりレビ記は私たち信仰を持ったクリスチャンのための書でもあるのです。
今回は、いけにえのささげ方を通して、信仰生活の注意事項について学んでいきたいと思います。
① 全焼のいけにえ、穀物のささげもの
1~5章に書かれていたそれぞれのいけにえのささげ方について記されているのが6~7章です。
話は全勝のいけにえに戻ります。
全焼のいけにえをささげるための火は、絶やさずに燃やし続ける必要がありました。
レビ 6:13 火は絶えず祭壇の上で燃え続けさせなければならない。消してはならない。
ささげられるいけにえの動物は、前回お話ししたようにエスさまを表していますね。
ここで燃やされている火は、神の裁きの火を表しているのです。
とはいえ、聖書の中に出てくる火は日本の地獄絵図のように、苦しめるための火ではありません。
火は、きよめのためのものなのです。
そこで、ここで燃やし続けられる火は別のものも象徴しています。
それは、聖霊の火です。
第一テサロニケ 5:19 御霊を消してはいけません。
私たちクリスチャンの祭司としてのつとめは、私たちの内に御霊の火を燃やし続けつつ、いけにえをなってくださったイエスさまを喜んで受け入れることなのです。
② いけにえ(食べるものと食べないもの)
さて、続いて他のいけにえにを捧げるときの注意点について記されています。
穀物のささげものや他のささげ物に関して特徴的なのは、ささげものを祭司が食べるということです。
これは、食事を楽しんだり空腹を満たすことが目的ではありません。
いけにえを捧げるときにその一部を食べる、つまり体の中に取り入れるというのは、いけにえとの一体化が表されているのです。
いけにえはイエスさまを表していますから、イエスさまと一体になるわけです。
聖餐のときにパンを食べるのは、まさにこれと同じですね。
一方で、いけにえかに関わらず、食べることをさけなければならないものに関しても記されています。
レビ記 7:23 「イスラエルの子らに告げよ。あなたがたは、牛であれ、羊であれ、やぎであれ、そのどの脂肪も食べてはならない。
7:24 動物の死骸にある脂肪や、野獣にかみ裂かれた動物の脂肪は、何に使っても差し支えない。しかし、決してそれを食べてはならない。
7:25 食物のささげ物として【主】に献げられた、動物の脂肪を食べる者はみな、自分の民から断ち切られるからである。
7:26 また、あなたがたは、どこに住んでいても、鳥でも動物でもその血をいっさい食べてはならない。
7:27 いかなる血でも、これを食べる者はみな、自分の民から断ち切られる。」
脂肪は肉のおいしい部分であり、豊かさや喜びを表すものです。
そこで、人々が高ぶらず謙遜でい続けるために、脂肪は食べてはならないとしました。
命の源として認識されていた血も食べてはならないものとされました。
血と脂肪は、すべて神さまに捧げるべきものであり、イスラエルが避けるべきものとされました。
このルールが私たちに適用されていなくて良かったですね。
おいしいステーキなんて食べられなくなってしまいます。
でも、私たちが気を付けるべきこともあります。
それは、傲慢にならず謙遜であること。
全ての救いと贖いは神様から来たものであることを知る必要があるのです。
③ 私たちが受け取る分
それでは私たちは、いかなる楽しみも喜びも味わってはならないということでしょうか?
そうではありません。
レビ記 7:32 あなたがたは、自分たちの交わりのいけにえのうちから右のもも肉を、奉納物として祭司に与えなければならない。
7:33 アロンの子らのうち、交わりのいけにえの血と脂肪を献げる者が、その右のもも肉を自分の受ける分とする。
ここだけ見ていると、祭司たちに報酬が与えられるというだけの話のように見えますが、神さまのための働きをすればそこには分け前もあるという話です。
神さまは、私たちのための楽しみや喜びも与えてくださる方なのです。
第一ペテロ 1:4 また、朽ちることも、汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これらは、あなたがたのために天に蓄えられています。
私たちに与えられる受ける分は、私たちが思っているものとは違いかもしれません。
しかし、今は天に蓄えられて、やがて当たられるであろう私たちが考えるものよりも何倍も素晴らしいものなのです。
心から主を待ち望んでいこうではありませんか。