レビ記25:1-7(レビ記25:1-55) レビ記12 『ヨベルの年の祝福』2025/11/22 けんたろ
レビ記25:1-7(レビ記25:1-55)
25:1 【主】はシナイ山でモーセにこう告げられた。
25:2 「イスラエルの子らに告げよ。わたしが与えようとしている地にあなたがたが入ったとき、その地は【主】の安息を守らなければならない。
25:3 六年間はあなたの畑に種を蒔き、六年間ぶどう畑の刈り込みをして収穫をする。
25:4 七年目は地の全き休みのための安息、【主】の安息となる。あなたの畑に種を蒔いたり、ぶどう畑の刈り込みをしたりしてはならない。
25:5 あなたの落ち穂から生えたものを刈り入れてはならない。あなたが手入れをしなかったぶどうの木のぶどうも集めてはならない。これは地のための全き休みの年である。
25:6 地の安息はあなたがたに食物をもたらす。すなわち、あなたと、あなたの男奴隷と女奴隷、あなたの雇い人と、あなたのところに在住している居留者のため、
25:7 また、あなたの家畜と、あなたの地にいる獣のために、その地の収穫はすべて食物となる。
レビ記も後半に入ってきました。
今日はヨベルの年に関しての規定です。
モーセがこのことについて話したのは荒野をさ迷っていた時代ですが、この規定はカナンの地に入った後に適用されるものです。
ヨベルの年とはどのようなもので、私たちにはどのような意味を持っているのかということを共に学んでいきましょう。
① 50年に一度
聖書では7という数字が絶対数と呼ばれて特別な意味を持っていることは、これまでも何度かお話ししてきました。
イスラエルの人々は、7日に一度安息日があり、この日は一切の労働をせずに安息する日として定められています。
同じように、イスラエルは7年に一度、安息年を持ち、その年は土地を休ませることが定められています。
7日一度体を休ませることによって体力が回復するように、7年に一度土地を休ませることによって土地は回復し、たくさんの収穫を実らせました。
7年ごとの安息年の7倍である49年は、イスラエルにとって特別な安息の年でした。
神さまはその翌年、つまり50年目をヨベルの年と定め、その年は土地を休ませ、奴隷を解放し、全ての負債を帳消しにする年と定めました。
また、その期間中に売買された土地も、元の持ち主に返還されました。
② ヨベルの年が意味すること
ヨベルの年は何のために行われ、私たちにはどのような意味を持っているのでしょうか?
第一に、ヨベルの年は回復を表しています。
全てが元に戻ること、この最終的なゴールは神様の元へと帰ること。
つまり、エデンの園への回帰だと思います。
罪人となり、神さまの創造が破壊されてしまった私たちが回復され、エデンの園の時代の私たちへと回復することを象徴することが、ヨベルの年の意味の一つなのです。
第二に、ヨベルの年は罪の赦しを表しています。
奴隷が解放され、すべての借金が免除される。
それは、罪の奴隷となり、たくさんの罪を重ねてきた私たちの罪がすべて赦されることを表しています。
ヨベルの年を経験するのは、ほとんどの人にとって生涯に一度です。
この特別な日を通して、イスラエルの人々はイエスさまの十字架によって罪が贖われ、解放されることを疑似体験することができたのです。
第三に、ヨベルの年は神の国にある安息を表しています。
50年に一度のヨベルの年は、イスラエルの人々がすべての重荷から解放されて安らぐことができる年でした。
その始まりには角笛が吹かれ、その合図とともに人々はあらゆる重荷を降ろして自由を味わうのです。
労働をしないその期間中、彼らの生活を支えてくださるのは神様です。
人々は神様にすべてをゆだねて、この安息の年を味わったのです。
③ 七十回目のヨベル
ある聖書学者たちによれば、今年2025年はイスラエルがカナンの地に入ってから七十回目のヨベルの年だと言われています。
7年の7回に一度あるヨベルの年の70回目という特別な年であることもあり、この年は特別な年だと考える人もいます。
中には、それを狙ってパレスチナはイスラエルを攻撃したという人もいますし、イエスさまの再臨は2025年あるという人もいます。
そもそも、イスラエルがカナンに入った年の計算が合っているかどうかも分かりませんし、そのような計算に意味があるのかどうかも微妙なところです。
私たちはそれがいつなのかではなく、イエスさまの再臨がやがて来るということ、そして目を覚まして待ち続けるということが大切なことなのだと思います。
そして、ヨベルの年という教えの中に、私たちが待ち望んでいる希望がどのようなものなのかという型を見ることができます。
つまり、解放と赦しと自由が神さまと共にあるということです。
私たちはイエスさまの再臨の時まで、完全な解放と赦しと自由は得られないかもしれませんが、イエスさまと歩む中でその一部を味わうことができます。
皆さんは、解放と赦しと自由の中に生きているでしょうか?
不安や心配、罪悪感や束縛感、閉塞感を感じながら生きているのであれば、どうかイエスさまとともに歩み始めてください。
それは、宗教組織に所属して、お互いを見張りながら戒律の中で生きるという生き方とは全く違うものです。
ヨベルの祝福に隠された喜びを、一人でも多くの皆さんが受け取ることができますように。
