民数記1:1-4(民数記1:1-54) 民数記1『名が記された民』 2025/12/13 けんたろ
民数記1:1-4(民数記1:1-54)
1:1 エジプトの地を出て二年目の第二の月の一日に、【主】は、シナイの荒野の会見の天幕でモーセに告げられた。
1:2 「イスラエルの全会衆を、氏族ごと、一族ごとに調べ、すべての男子を一人ひとり名を数えて、その頭数を調べよ。
1:3 あなたとアロンは、イスラエルにおいて、二十歳以上で戦に出ることができる者をすべて、その軍団ごとに登録しなければならない。
1:4 また部族ごとに一人ずつ、一族のかしらである者が、あなたがたとともにいなければならない。
今日から民数記に入っていきます。
民数記は、レビ記と同じように苦手とする人が多い書の一つですが、意外と大切なことがたくさん書かれている書でもあります。
民数記のテーマは荒野です。
出エジプト記で奴隷状態から解放されたイスラエルは、40年間荒野をさ迷うことになります。
それについて記されているのが民数記ですね。
この期間はイスラエルにとって試練の時ではありましたが、イスラエルが訓練され、整えられる時期でもありました。
私たちはそのようなイスラエルの姿からたくさんのことを学ぶことができます。
これからしばらくの間、民数記を通してたくさんのことを学んでいきましょう。
① イスラエルの人口調査
さて、民数記の冒頭は、イスラエルの人口調査から始まります。
それは、神さまがイスラエルのそれぞれの部族に求めたことでした。
この書のタイトルとなっている「民数記」は、民を数えると書きますが、まさにここから来ているわけです。
それぞれの部族の内訳は以下の通りでした。
ルベン族:46,500人
シメオン族:59,300人
ガド族:45,650人
ユダ族:74,600人
イッサカル族:54,400人
ゼブルン族:57,400人
エフライム族:40,500人
マナセ族:32,200人
ベニヤミン族:35,400人
ダン族:62,700人
アシェル族:41,500人
ナフタリ族:53,400人
合計:603,550人
この数は成人男性の数だけですから、女子供も数えれば数百万人以上になったことでしょう。
イスラエルがエジプトに行った時から考えれば、ものすごい増え方です。
エジプト人が脅威に感じるのも当然ですよね。
創世記の時代に、アブラハムに「子孫が空の星の数、海の砂の数のようになる」と言われた神さまの言葉を思い出します。
② 家族表に記される
このときイスラエルは、ただ数を数えただけではありませんでした。
部族ごとにそれぞれの名を記されたのです。
民数記 1:18 第二の月の一日に全会衆を召集した。そこで氏族ごと、一族ごとに、二十歳以上の者の名を一人ひとり数えて、その家族表で本人を確認した。
1:19 【主】がモーセに命じられたように、モーセはシナイの荒野で彼らを登録した。
ここにある家族表というのは、日本人に分かりやすく言うと戸籍のようなものです。
自分がどの部族に属する誰なのかが記録され、残されたということです。
これは彼らにとって、自分たちがアブラハムの子孫であり、その祝福を受け継ぐ者であるということを確認できるしるしでもあります。
③ 天に名が記されていること
これまでお話ししてきたように、この人口調査はただ人数が数えられただけでなく、それぞれの名が記され残されました。
このことを通して思い出したイエスさまの言葉があります。
ルカ 10:20 しかし、霊どもがあなたがたに服従することを喜ぶのではなく、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」
この言葉は、70人の弟子たちがイエスさまによって送り出されたとき、イエスさまの名によって悪霊を追い出すことができたことを喜ぶ彼らに向けてイエスさまが言った言葉でした。
天に名が記されているということは、どんなすごい御業が起こるよりも大切なことです。
それは、その人が永遠の命を持ち、神さまと共に生きることができるということであり、そこにあるあらゆる祝福を手にしていることのしるしだからです。
黙示録にはこのようにも記されています。
黙示録 21:27 しかし、すべての汚れたもの、また忌まわしいことや偽りを行う者は、決して都に入れない。入ることができるのは、子羊のいのちの書に記されている者たちだけである。
皆さんの名は、天に記されていますか?
そのことを、確信を持って言うことはできるでしょうか?
そうであれば、皆さんが救われるのは行いによるのではなく、名が天に記されているという事実によるのだということを忘れないでください。
私たちは人生のステージの中で、自分の力のなさや、無力さ、何もできないことによって起こる不安や心配を感じることがありますが、そんな中でも点に名が記されているという事実によって平安を得ることができます。
もしその確信を持てていなくても、どうか安心してください。
今すぐにそれを手にすることができます。
あるいは、そのことを確認することができます。
天に名が記されるために必要なのは、ただその事実を自分のこととして受け取るということだけです。
そのための道は、イエスさまが開いてくださったからです。
