マタイに4:1-11「荒野の試み」-サタンと死に打ち勝つキリスト、神の愛 2026/2/15 小西孝蔵

・じゅんさんが、天に召されたお知らせを受け、なぜ、こんなに早くに、ご本人も無念な気持ちもあったかと思います。でも、痛みや苦しみから解放されて主の御許に引き寄せられたと信じます。そして、主に在ってご家族の慰めと平安をお祈りします。じゅんさんの闘病生活を拝見する中で、サタンの試みに合ったヨブのこと、人間の罪と弱さのために、身代わりとなって十字架に掛かり、死に打ち勝って下さったキリストの愛を思わざるを得ません。そのことを思いつつ、本日の箇所を読んでみたい。

・前々回より、旧約から新約に移りマタイを取り上げ、山上の垂訓の前に、キリストのヨハネからの洗礼に続いて、今日は、荒野でのサタンの誘惑を取り上げる。

1.なぜ、神の子がサタンの誘惑に会わなければならないか?

〇マタイ4章1~11節「1さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。2そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。」

・荒野で40日40夜断食をされたキリストは、40年間荒野をさまよったイスラエルの民を私たちに思い出させる。その背景には、人類は、創世記の時代からサタンの誘惑と攻撃が受け続いてきたことがある。サタンは、エデンの園で蛇の形をとって、善悪を知る木の実を食べさせようとエバを誘惑した。人は、与えられた自由意志の故に、神に従う自由とサタンの誘惑に身をさらす自由を与えられた。

・旧約時代からアラム語でもギリシャ語でも「サタン」と表現されている。旧約聖書を代表する義人ヨブも、神の許しの元に受けたサタンの試みにあったが、荒野でイスラエルの民が受けた誘惑とは違って、もっと巧妙なサタンの試みであった。

〇ヨブ記1章8~9節「8主はサタンに言われた、「あなたはわたしのしもべヨブのように全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかる者の世にないことを気づいたか」。 9サタンは主に答えて言った、「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。」

・「いたずらに、故なくして神を恐れましょうか? ヨブは、自分の利益のために信じるのではないかとしてヨブを神から離れさせるのがサタンの戦略。不幸に見舞われると人間は神から離れるとするのがサタンの目論見。ヨブは、財産や家族を失っても全身にできものができても神に従おうとした。そのヨブでさえ、妻に裏切られ、見舞に訪れた友人たちからも攻め立てられた結果、神様の御心が分からなくなり自暴自棄に陥った。

・キリストは、こうした人間の弱さをすべて体験されて、人に寄り添い、救うために、人と同じ肉体という形を取り、神の許しの下でサタンの試みに合われた。
〇ピリピ書3章「6キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、 7かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。

・次に出てくるサタンの誘惑の3パターンは、およそ、われわれが経験するすべての誘惑を代表するものと言える。

2.荒野でイエスがサタンから受けた三つの誘惑

1)肉の欲 ⇒ 神の言葉によって生きる

〇マタイ4章2~4節「3すると試みる者がきて言った、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。 4イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。

・肉の糧より大事なものが霊の糧、神の言葉、永遠のいのちである。食欲を含め、肉の欲は、人間の生存に必要なものではあるが、それが自己目的になることが問題。肉の欲の追求だけでは、心が見たらされない。人間の心は、神の言葉、神の霊によって満たされない限り、むなしい、空の空。心の空洞は、サタンのつけ入る隙。心の不安や束縛から、精神的に追い込まれ、ついには、自殺や犯罪に走ってしまうことも。

・私も仕事上の先輩や友人で自殺された方々が多くいた、いずれもまさかあの人が・・。決して他人ごとではない、自分が同じ状況に追い込まれたとすればどうなっていたのか。魔が差すとはよく言ったもの。神様の守り、聖霊の導きなくしては、簡単にサタンの攻撃に負かされてしまうこと実感。

2)自分を神とする ⇒ 主を試みるな

〇マタイ4章5~7節「5それから悪魔は、イエスを聖なる都に連れて行き、宮の頂上に立たせて 6言った、「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために御使たちにお命じになると、あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』・・・ 7イエスは彼に言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある」。

・エバが善悪を知る木の実を食べてから、人間は、自分を神とする原罪を背負うことになった。自分の判断が正しい、正義は我にありとするのが人の常。容易に人を裁いてしまう。友人、親子、夫婦の間でも意見や価値観の違いから裁いたり、けんかになったりする。憎しみが憎しみを生む、悪の連鎖が止まらなくなる。

・その行き着くところが戦争。ナチのヒットラーや戦前の日本の軍部の独裁者についても、背後に、自分を神として殺人を正当化させるサタン働きがあったに違いない(南原繁の「国家と宗教」ではデモーニッシュな精神と表現)。現在も世界各地で拡大している戦争も同様だと思われる。

3)偶像崇拝 ⇒ あなたの神を拝し、神にのみ仕えよ

〇マタイ4章8~10節「8次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて 9言った、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。 10するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。11そこで、悪魔はイエスを離れ去り、御使たちがみもとにきて仕えた。

・富や名誉は、人間だれしも手に入れたいもの。目の前に見せられるとつい手を出したくなるのが私達。それが自己目的になって、拝むようになると偶像になる。神と富に兼ね仕えることはできない。

・お金が欲しいのは、だれしも。貧しい時代にはお金を求める、豊かになってくるともっと欲しくなる、際限がない。いい大学に入りたい、稼ぎのいい会社に就職したいという気持ち。昔は、鉄鋼や銀行、今はITやAI関連会社が人気。それが自己目的、偶像となることが問題。企業の不祥事が絶えないのも、利益優先、会社組織自体が自己目的になるから。神と富とに兼ね仕えることはできない。

・一旦サタンはキリストを離れるが、そのあと、キリストはサタンとどのようにして対峙され、サタンに打ち勝ったのか、関連聖書箇所から辿ってみたい・

3.キリストは、どう戦われたのか?

①サタンに対するキリストの勝利宣言

〇ヨハネ12章27~33節「27今わたしは心が騒いでいる。わたしはなんと言おうか。父よ、この時からわたしをお救い下さい。・・・ 28父よ、み名があがめられますように」。すると天から声があった、「わたしはすでに栄光をあらわした。・・・31今はこの世がさばかれる時である。今こそこの世の君は追い出される。」

・十字架の受難を前に、イエス様の心は騒いでいた。しかし、天からの神の声により、この世の君は追放されることを確信された。それは、サタンに対するイエスの勝利宣言であった。弟子たちや群衆に対する受難と復活の予告でもあった。

② 十字架によりサタンに打ち勝つ

〇マタイ27章46節「46そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。(詩編22篇1節)

・キリストが、私たちに代わって、十字架上で死に直面する苦しみを経験された。詩編22篇は、ダビデが獅子のように吠えたける敵、サタンに攻撃されたときに読んだ詩である。キリストの十字架を預言したこの詩をイエスは、思い出されていた。

〇詩編22篇「21わたしをししの口から、苦しむわが魂を野牛の角から救い出してください。・・・27地のはての者はみな思い出して、主に帰り、もろもろの国のやからはみな、み前に伏し拝むでしょう。28国は主のものであって、主はもろもろの国民を統べ治められます。

・神様のみ旨に従い、十字架の死と復活を遂げることにより、死に打ち勝ってサタンに勝利することができた。キリストがこの世の王となられた。ただし、サタンが完全に滅ぼされるのは、世の終わり、キリストの再臨の時(黙示録20章)。

4.私たちは、サタンにどう立ち向かう?

私たちは、サタンにどのように立ち向かえばいいのか?自分の力で戦っても負けるのは必然。第一に、獅子のように吠えまわっているサタンに対し、目を覚まし、神の武具を身につけることが最大の防御。

〇エペソ6章「11悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。 12わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。」

・神の武具とは、真理の帯、正義の胸当て、平和の福音、信仰の大盾、救いの兜、御霊の剣すなわち神の言葉。聖霊の働きに身を委ねること。霊に魂を占領されないために、常に目を覚まし、聖霊によって空虚な心を満たしていただくことが大切。
第二に、神の愛に感謝し賛美を欠かさないこと。パウロは、同じエペソ書と第2コリントで、十字架と復活によって死に勝利されたキリストとそこに示された神の愛を証ししている。

〇エペソ2章「 6キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。 7それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、きたるべき世々に示すためであった。

〇1コリント15章 「55死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。・・・ 57しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。」

・サタンの攻撃に恐れることなく、主が固く守って下さることを信じ、神様の無償の愛、神様の恵みの絶大な富に感謝することが最も重要。苦しみの叫びから始まり、ついに感謝と賛美に変えられた詩編22篇のダビデのように、主をほめたたえようではありませんか。

〇詩編22篇「22わたしはあなたのみ名を兄弟たちに告げ、会衆の中であなたをほめたたえるでしょう。23主を恐れる者よ、主をほめたたえよ。」

・ミカエルさんにお願いしたリクエスト曲は、「主イエス、神の愛」を賛美して終わりたいと思います。                      
以上