民数記13:1-3, 17-20(民数記13:1-14:45) 民数記10 『巨人か、乳と蜜か』2026/03/07 けんたろ
民数記13:1-3, 17-20(民数記13:1-14:45)
13:1 【主】はモーセに告げられた。
13:2 「人々を遣わして、わたしがイスラエルの子らに与えようとしているカナンの地を偵察させよ。父祖の部族ごとに一人ずつ、族長を遣わさなければならない。」
13:3 モーセは、【主】の命により、パランの荒野から彼らを遣わした。彼らはみな、イスラエルの子らのかしらであった。
13:17 モーセは、カナンの地の偵察のために彼らを遣わして言った。「向こうに上って行ってネゲブに入り、山地に行き、
13:18 その地がどんなであるか、調べてきなさい。そこに住んでいる民が強いか弱いか、少ないか多いか、
13:19 また彼らが住んでいる土地はどうか、それが良いか悪いか、彼らが住んでいる町々はどうか、それらは宿営か、それとも城壁の町か、
13:20 土地はどうか、それは肥えているか痩せているか、そこには木があるかないか。勇気を出して、その地の果物を取って来なさい。」その季節は初ぶどうの熟すころであった。
イスラエルの民は、ついに約束の地カナンの目前まで来ました。
そこでモーセは、各部族から1人ずつ、12人の斥候を選び、その地を偵察させます。
そこは、アブラハムの時代から与えられると約束されていたカナンの地です。
しかし、12人の斥侯たちの答えは二つに分かれます。
斥侯たちは何を見たのでしょう?
そして、それは私たちにとってどのような意味を持つのでしょうか?
① 二つの現実
さて、戻ってきた人々は、モーセにこのように報告をしました。
民数記 13:27 彼らはモーセに語った。「私たちは、あなたがお遣わしになった地に行きました。そこには確かに乳と蜜が流れています。そして、これがそこの果物です。
13:28 ただ、その地に住む民は力が強く、その町々は城壁があって非常に大きく、そのうえ、そこでアナクの子孫を見ました。
13:29 アマレク人がネゲブの地方に住んでいて、ヒッタイト人、エブス人、アモリ人が山地に、カナン人が海岸とヨルダンの川岸に住んでいます。」
ここで言われている「乳と蜜が流れる」とは、文字通りの意味ではなく、とても豊かな地のことです。
また、ここに出てくるアナク人は、創世記の時代に出てきたネフェリムと呼ばれる巨人たちの末裔と呼ばれる、体が大きくて強い民族として知られていました。
報告をすると、12人の斥侯の内のふたり、ヨシュアとカレブは、すぐにカナンの地に行って約束の地を手にしようと提案しました。
しかし、残りの10人は、大きな城壁があり、アナク人たちが住んでいるその場所は手に入れることなんてできるはずがないと言って嘆き叫びました。
彼らの意見が真っ二つに分かれたのはなぜなのでしょう?
乳と蜜が流れる川も、巨人たちがそこにいることも、どちらかが嘘だったわけではありません。
どちらも現実でした。
しかし一方は巨人たちを恐れ、もう一方は乳と蜜が流れる地に胸を高鳴らせたのです。
② 人の現実と神の現実
彼らは、同じものを見ながらどの現実に目を留めるかという部分が違っていました。
10人の斥侯たちは、目に映るものだけが現実だと思い、城壁が高い町と、強く巨人のようなアナク人たちを思って恐れを抱きました。
もう一方のヨシュアとカレブは、城壁や巨人たちを見ていなかったのではありません。
しかし彼らは、それ以上に、約束の地という神さまが見ていた現実に目を留めたのです。
そこにある乳と蜜が流れる地こそ、神さまが約束していた場所であり、それもまた紛れもない現実だったのです。
多くの場合、私たちは厳しい状況だけを指さして、「これが現実だ! もっと現実を見ろ!」というのではないでしょうか?
確かに、そこには大変な困難があり、私たちの力ではどうにもなりそうもない大きな壁があるかもしれません。
しかし、それが神さまの約束やご計画であるならば、そこに不可能はないのです。
それこそが神さまが見ている現実です。
私たちは目に見える現実を無視することはできませんが、神さまの目に見えている現実をこそ大切にしていくべきなのではないでしょうか。
③ 私たちが直面する現実
さて、私たちもまた、様々な現実に直面します。
経済的な不安、使命の重さ、人間関係の課題、自分の弱さ、罪の問題…。
それはもちろん、私たちが無視できるようなものではありません。
それぞれが大変な課題であり、自分一人の力では到底乗り越えることができないように見えます。
でも、私たちは神様がともにいてくださることを忘れてはなりません。
そして神さまは、乳と蜜が流れる地という約束の地を示してくださっています。
それこそ、神の国です。
神の国とは、死んでから行く天国のことではありません。
私たちが生きて地上にいるときから味わえる、神さまの支配の中で生きる生き方です。
そこにあるのは、私たちが自分の願望を叶えて満足するような意味での幸せとは違います。
神さまが私たちを導き、それに従って生きていく中で、私たちには今まで見えなかった神さまの視点でこの世界を見ることができ、特別な祝福を受けることができます。
それは、私たちにとって乳と蜜の川が流れる約束の地なのです。
今日の箇所は、私たちが神の国に生きるための秘訣を示していると言っても過言ではありません。
皆さんは、どちらの視点で見ますか?
自分の目に見える巨人を脅威として見るでしょうか?
それとも、神さまが見せてくださる「乳と蜜の流れる地」を見て、祝福として受け取っていくでしょうか?
大切なのは、恐れを持って人の視点で見るのではなく、神さまに信頼して神さまの視点で考えることです。
そこにはたくさんの困難が、巨人のように立ちはだかります。
しかし、神さまは巨人よりもさらに大きく、強い方なのです。
信仰とはただ神さまが存在することを信じることではなく、神さまを信頼することです。
私たちに求められている信仰とは、恐れよりも神さまを大きく見ることに他なりません。
目に見える現実よりも神さまの目に映る現実に立とうとするとき、恐れは信仰へと変わります。
そして、そこにある乳と蜜の流れる神の国に期待して、主と共にその道を進もうではありませんか。
