マタイ5:1~12「山上の八福―御心を求め、主と共に、御心を行うー」 2026/04/12 小西孝蔵

(初めに)朝ドラ「風、薫る」をご覧になってますか?このドラマは、明治初期の黒羽藩の武士の娘で植村正久牧師により洗礼を受けた「大関和」と、同じ看護学校で学んだ「鈴木雅」の二人が盟友として神の愛、隣人愛に燃え、看護の道を歩んだ実話に基づく。武士の世から価値観が変わり、貧困と感染症に苦しむ人々を助けようとする二人の看護師が呼び起こす「優しい風薫る」ドラマ。本日の「山上の福音」にふさわしい題材ではないかと期待している。以前教会に来ておられた看護師さんの肖子さんを思い出しました。今回は、マタイ福音書の第3回目。

1.山上の垂訓の意味-今まで、厳しい道徳訓というイメージ

① キリストによる恵みの福音の宣言

ユダヤの民が捕囚の苦しみにあえぐ中神様からの慰めと解放の預言が知らされる。イエスの時代も、捕囚時代と同様、ローマの圧政下におかれ、多くの民は、貧困と精神的身体的な病に苦しんでいたが、イエスはガリラヤ地方を巡回し、人々に福音を伝え、病を癒やしておられた(マタイ4章23~25節)。

〇イザヤ書9章1節「1しかし、苦しみにあった地にも、やみがなくなる。・・・後には海に至る道、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤに光栄を与えられる。2暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た。暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った。」

モーセ十戒(律法)は、裁きを伴なう厳しいものであったのに対して、山上の垂訓は、救いが約束される福音そのもの。モーセの舞台は、荒野だったが、イエスの選ばれた舞台は、ガリラヤ湖畔の鳥が鳴き、風薫る小高い丘(表紙の絵参照)。幸いなるかなという「八福」は、商売繁盛、五穀豊穣を祈願する七福神とは違う。神の国の幸せかこの世の幸せかの違いがある。

 ② 八福(前半と後半に区分)は、御心を求め、主と共に、御心を行うこと

前半4節は神との関係を取り上げている。イエスは,御心を求め、主に信頼し、l神の愛を受け取ることの幸いを語る。後半4節は、人との関係を現わす。復活の主と共に歩みこの世に於いて神の御心を行うことが幸いと語られる。神の御心求めることと、主と共に御心を行うことは表裏一体。山上の垂訓に於いて、旧約の律法は、廃棄されたのではなく、成就された。「17わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。」(マタイ5章17節)

.八福の前半(マタイ5章1~6節)

  • 「心の貧しい人は幸いである。」(3節)「心の貧しきもの」とは、ギリシャ語で「プトーコス」。英語で〝Poor in spirit“。 普通の貧乏ではなく、餓死するような差し迫った窮乏を意味する。神以外に依り頼むものはないこと、神の前に心が砕かれていることでもある。「すべて重荷を負うものよ、私の元に来なさい、休ませてあげるから。」(マタイ11章(28)(29))
  • 「悲しんでいるものは幸いである、その人たちは、慰められる」(4節)。「悲しんでいるもの」とは。ギリシャ語で「ペンセイン」、英語で普通の悲しみではなく、死者や死に直面する人たちに対するような悲しみの極致を現わす。自分の罪に対する深い悲しみも意味する。イザヤの預言が。キリストに於いて成就する。

〇イザヤ40章(1)「1あなたがたの神は言われる、「慰めよ、わが民を慰めよ、2ねんごろにエルサレムに語り、これに呼ばわれ、その服役の期は終り、そのとがはすでにゆるされた。」この箇所は、ヘンデルのメサイアの重要なパートで知られる。

・現代も様々な病、特に、がんと抗ガン治療で苦しんでおられる方々が多い。私のクリスチャンの友人が、数十年パーキンソン病で寝たきり、介護されている奥様もがんで入院手術。なぜ、神様はこんな試練に合わせられるのだろうと思う。しかし、この言葉は、そうした大きな試練に立たされている人々への慰め、励ましのメッセージ。

  •  「柔和なものは幸いである、その人たちは、地を受け継ぐ」(5節)。「柔和なもの」は、ギリシャ語で「プラウス」。神の間で謙遜であることを意味する。この言葉は、ロバに乗ってエルサレムに入られる柔和なイエスの姿を表現した預言(マタイ21章(5))にも体現されている。

・私自身、なかなかにこのような柔和な人にはなれない。自分の計画、自分の知恵や努力に頼ろうとして思い煩う、疲れやすい。日ごろから、神に委ねて楽天的になれる「楽天家」の家内を尊敬。神様を信頼し、先ず主に委ねる自分でありたい

  • 「義に飢え渇くものは幸いである。その人たちは癒される(6節)」。「義に餓え渇いているもの」は、ギリシャ語で「ディカイオスウネ」。「義」とは、人間の正義ではなく、神様との正しい関係を意味する

〇マタイ6章(33)(34)節「33まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。 34だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。」

・神の義は、キリストの十字架の贖いによって、恵みとして与えられる(ローマ書3章22~24節)。神の義に飢え渇くものは、復活のキリストとともに、永遠のいのちでが与えられる。即ち、いのちの水」(living water),「いのちのパン」(the life of bread)で満たされる。6節は、前半3~5節(①~③)を総括した言葉。

.八福の後半(マタイ5章7~12節)

後半の4節は、人との関係を示したもの。キリストの愛に動かされ、聖霊の助けを得て、この世に於いて神のみ心を行うことにある。

⑤「憐み深い人は、幸いである、その人たちは、憐みを受ける。」(7節)「憐み深いもの」(7節)は、ギリシャ語で「エイコス」。神が人を憐れまれるように、神のような憐みの心をもって困窮者を愛する心を意味する。

・病める子を憐れむ母の心のようなものでもある。看護の心も、本来神様から愛されているからこそ助けを必要としている人に寄り添うことができる。私もささやかな入院手術の体験を通じて、初めて看護師さんの優しさとその苦労の一端が分かった気がする。家内の優しさは、別物ではありますが・・・。

⑥「心の清い人は幸いである。その人たちは神を見る。」(8節)。「心に清いもの」(8節)は、ギリシャ語で、「カサロス」。英語で〝Pure in heart“。混じりけのない、純粋な心、不正を喜ばないことを意味する。但し、神様との関係で心が清いのではない。〝Pure in spirit”ではない。神の前には、[義人一人もなし]とあるように、神に対して完全なものはいない。

・クリスチャンは、不正を喜ばない。会社や役所に於いて、しばしば、不祥事の事件でクリスチャンンが責任者に抜擢されるケースが多い。日本社会では、クリスチャンは正直だという一般的評価があることは、有難いことだが、その分責任も重い

⑦「平和をつくり出す人は幸いである。その人たちは、神の子と呼ばれる」(9節)「平和を作り出すもの」(9節)とは、ギリシャ語で、「エイレーネー」(ヘブライ語で、「シャーローム」)という。

・戦争は、力による支配、正義と正義のぶつかり合い。ウクライナ、イラン戦争の拡大を見ると、力が正義なのかと疑問が沸く? 個人同士でも、国家同士でも、究極的に憎しみによる連鎖を断ち切るためには、神の義と神の愛による平和の福音以外には道がないと信じる。

〇マタイ5(44)(45)「44しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。 45こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。」

〇エペソ2(14)「14キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、 15数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。・・」

⑧「義のために迫害される人は幸いである。天の国はその人たちのものである」(10節)。「義」は、人間の正義でなく、十字架による神の愛に裏打ちされた「神の義」。。神の義を行うものは、サタンとの戦いに晒され、迫害も受ける。しかし、キリストの十字架と復活により、悪(サタン)の支配に対して最終的勝利を収めることができる。神の子として神の国に入ることができる。だから幸い。

・クリスチャンとして発言、行動すると戦前では迫害を受けた。いまの世の中は、戦前ほどではないが、クリスチャンということで、仲間外れになったり、白い目で見られた利することもある。でも、それは、むしろ喜ぶべきこと。

4.主と共に生き、主のみ心を行う喜び

〇「私のためにののしられ、迫害され、身に覚えがないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなた方は幸いである。喜びなさい、大いに喜びなさい」(11、12節)。

ペテロは、3度イエスを裏切って絶望に陥ったが、復活のキリストに出会い、生まれ変わって、キリストと共に、喜んで苦難を担うことができるようになった。

〇1ペテロ4章「13むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど、喜ぶがよい。それは、キリストの栄光が現れる際に、よろこびにあふれるためである。 14キリストの名のためにそしられるなら、あなたがたはさいわいである。その時には、栄光の霊、神の霊が、あなたがたに宿るからである。

山上の垂訓は、道徳としては守れないくらいハードルが高い。しかし、キリストの愛に触れ、復活のキリストと共に歩むとき、喜んで主のみ心を行うことができる。キリストにある神の愛に感謝しつつ、聖霊の働きによって、キリストの平和が私たちの心を支配していただけるように、祈り求めていこうではありませんか。

〇コロサイ3章14「14これらいっさいのものの上に、愛を加えなさい。愛は、すべてを完全に結ぶ帯である。 15キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。あなたがたが召されて一体となったのは、このためでもある。いつも感謝していなさい。」

                             以上