ローマ2:17-29 『ローマ7 責任を伴う特権』 2017/08/06 松田健太郎牧師

ローマ人への手紙2:17~29
2:17 もし、あなたが自分をユダヤ人ととなえ、律法を持つことに安んじ、神を誇り、
2:18 みこころを知り、なすべきことが何であるかを律法に教えられてわきまえ、
2:19 20 また、知識と真理の具体的な形として律法を持っているため、盲人の案内人、やみの中にいる者の光、愚かな者の導き手、幼子の教師だと自任しているのなら、
2:21 どうして、人を教えながら、自分自身を教えないのですか。盗むなと説きながら、自分は盗むのですか。
2:22 姦淫するなと言いながら、自分は姦淫するのですか。偶像を忌みきらいながら、自分は神殿の物をかすめるのですか。
2:23 律法を誇りとしているあなたが、どうして律法に違反して、神を侮るのですか。
2:24 これは、「神の名は、あなたがたのゆえに、異邦人の中でけがされている」と書いてあるとおりです。
2:25 もし律法を守るなら、割礼には価値があります。しかし、もしあなたが律法にそむいているなら、あなたの割礼は、無割礼になったのです。
2:26 もし割礼を受けていない人が律法の規定を守るなら、割礼を受けていなくても、割礼を受けている者とみなされないでしょうか。
2:27 また、からだに割礼を受けていないで律法を守る者が、律法の文字と割礼がありながら律法にそむいているあなたを、さばくことにならないでしょうか。
2:28 外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではなく、外見上のからだの割礼が割礼なのではありません。
2:29 かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。

今日で7回目になりますが、これはパウロがローマのクリスチャンに宛てた手紙です。
その目的は、彼らが①福音を理解し、②信仰が強められ、③迫害に備え、④異端を退け、⑤自分たちで福音を伝えられるようになる事にありました。
私達もこの手紙を学ぶことを通して、同じ力を受ける事ができるというわけです。

さて、ローマの教会が抱えていた問題のひとつは、ユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンとの間に生まれ始めていた関係の問題です。
彼らは互いに、自分たちこそが正しいクリスチャンだと主張して、争っていました。
そこでパウロは、2章の前半では異邦人のクリスチャンに対して、弁明のしようがないほどに罪人であることを示しましたね。

今日の個所でパウロが語り掛けているのは、ユダヤ人クリスチャンに対してです。
パウロは、彼らに何を伝えようとしているのでしょうか?
そして、私たちはそこから何を学び取る事ができるのでしょうか?

① 批判の精神
さて、ユダヤ人クリスチャンたちが抱えていた問題は何だったでしょうか?
それは、多くのユダヤ人たちが持っていた、「自分たちは神様から選ばれた民である」という特権意識でした。
彼らは、神様に選ばれた自分たちこそが「盲人の案内人」であり、「やみの中にいるものの光」であり、「愚かな者の導き手」であり、「幼子の教師」だと自任していたのです。

彼らが特に誇りとしていたのは律法であり、ユダヤ人である事を証している割礼でした。
ユダヤ人である彼らにとって、割礼もしていない異邦人たちが、律法を守らず、汚れた食べ物を食べていながら神様を信じているというのは、ありえないことだったのです。

でも、習慣や文化の違いというものもあるじゃないですか。
私たち日本人は、家の中では靴を脱ぐことが当たり前ですが、靴を履いて生活してきた人たちには、新しいルールとして学ばなければならないことです。
ある国ではハグやキスであいさつをする事は当たり前のことですが、私達日本人にとっては抵抗があることだったりします。
自分にとっては当然のことだからと言って、他の人もそう簡単にできるとは限りません。
ましてやここは、ユダではなくローマです。
もともと異邦人の文化で生きてきた彼らが、ローマにいるのにユダヤ人の習慣で生きろと言われても、できることではないのです。

クリスチャンとしての私たちはどうでしょう?
私達は、教会の中の価値観によってクリスチャンじゃない人たちを批判したり、クリスチャンになったばかりの人たちを裁く事がないでしょうか。
私たちはそうやって、クリスチャンになる事のハードルを不必要に上げ、社会からどんどん浮いた存在になっているのかもしれません。

もちろん聖書の価値観は大切ですし、クリスチャンとして成熟する程、罪にまみれた世の中の生き方に耐えられなくなるものです。
しかし、長い時間をかけて内側から変えられてきた私たちの価値観を基準にして、変えられる前の人たちを批判しても仕方がないではありませんか。
そして私達が、そのような表面的な変化ばかりを求めるなら、もっと大切な内側の変化をないがしろにしてしまうことになるのです。

だから神様は、「寛容になりなさい。」と私たちに教えています。
私たちは寛容な心を持ちながら、相手の成長を待ってあげる必要があるのです。

② 知識ではなく行動が必要
ユダヤ人のクリスチャンたちの問題は、それだけではありませんでした。
二つ目の問題は何でしょう?
それは、何が正しいかを知っているということに彼らが満足してしまって、神様の律法に従う生き方はしていなかったということです。

“正しい生き方を知っている”という事は、“正しく生きている”という事と同じではありません。
例え正しい事を知っていても、それに従った生き方をしていなければ意味がないのです。
例えば、車の運転をする時、「今日はアメリカンな気分なので、車線の右側を走ろう。大丈夫、車の免許は持ってるから。」というのはおかしな話ですよね。(笑)
あるいは歯医者さんに行ったら、「なんか面倒くさいし、この歯抜いちゃいましょうか。大丈夫。私は東京医科歯科大学を首席で卒業していますから。」とか言われても困るでしょう?(笑)

免許を持っていようと、首席で卒業していようと、それはどんな行動も許されるということにはなりません。
資格や知識を持っていても、自分の気分や価値観で行動するなら何の意味もないのです。

もちろん、ユダヤ人が異邦人と比べてもっと悪かったという訳ではないでしょう。
しかしそれでは、律法を知らない異邦人たちと何も変わりません。
異邦人たちは律法を破っていると言って批判しながら、自分は律法を守っていないなら、彼らに異邦人を裁く権利は何もないではありませんか。

だからパウロは、彼らにこのように言っています。

2:21 どうして、人を教えながら、自分自身を教えないのですか。盗むなと説きながら、自分は盗むのですか。
2:22 姦淫するなと言いながら、自分は姦淫するのですか。偶像を忌みきらいながら、自分は神殿の物をかすめるのですか。

律法を知らないために、神様に従わないでこの世の原理に生きようとする異邦人たちは確かに罪人でしょう。
しかし、例え神様を知り、正しいことが何かを知っていたとしても、それに従って生きていないなら、やはりその人たちは罪人なのです。
それでは、私たちは律法に従って生きる事ができるのでしょうか?
いいえ、これについては、この後の章で学んでいくことですが、律法を守る事はそもそも誰にもできないことなのです。

異邦人は罪人、ユダヤ人も罪人。
どちらもその行いや価値観によっては決して救われることがない、絶望的な罪人であることを、聖書は私たちに教えているのです。

③ 特権には責任が伴う
異邦人であっても、ユダヤ人であってもダメなら、ローマの教会は全否定されてお終いなのでしょうか?
彼らは、そして私たちはどうすればよいというのでしょうか?
それについては、これからこの手紙の中で学んでいくことですが、今日の個所からだけでもひとつの答えを見出すことができます。
それは、特権が与えられているなら、そこには責任も伴うということです。

ユダヤ人たちには選ばれた民としての特権が与えられていて、それに伴う律法が与えられていました。
そして彼らには、律法に表されている真理や正しさと向き合う責任が与えられています。
では、私達クリスチャンに与えられている特権とは何でしょう?
それは、神様との関係を修復し、救いを手にすることができるという特権です。
それはつまり、神様の価値観を知り、御心を知ることができる特権でもあります。
そしてそこには、神様の価値観と御心に生きる責任も与えられているのです。

神様の価値観と御心に生きるとは、どういうことでしょうか?
ある人たちは、道徳を守りながら、表面的に正しい人として生きることだと思っているようです。
ある人たちは、伝道して多くの人たちを救いに導くことだと考えています。
確かにそれも大切なことだと思います。
しかし、神様との関係を築く事ができるという特権が与えられている私たちにとって一番大切な責任は、神様との関係を築き続け、さらに深めていくという事ではないでしょうか?
そのために神様と対話し、関係を深め、神様の愛と慈しみの中で生きるということではないでしょうか?
そしてそれによって私達は、内側から変えられた人間として真実に生きていくのです。

皆さんは、せっかく与えられている特権を、余すことなく受け止め、味わっているでしょうか?
もしそうでないなら、それはあまりにもったいないことです。
神様との関係を、もっともっと深め、体験してください。
祈り、御言葉に触れ、神様の導きに従ってください。
それによって私たちは、クリスチャンとして成熟し、強くて影響力のあるクリスチャンへと成長していくのですから。

 

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