ルカ3:23-38 『 ルカ1 長い長い神様の計画 』 2014/12/07 松田健太郎牧師

ルカの福音書3:23~38
3:23 教えを始められたとき、イエスはおよそ三十歳で、人々からヨセフの子と思われていた。このヨセフは、ヘリの子、順次さかのぼって、
3:24 マタテの子、レビの子、メルキの子、ヤンナイの子、ヨセフの子、
3:25 マタテヤの子、アモスの子、ナホムの子、エスリの子、ナンガイの子、
3:26 マハテの子、マタテヤの子、シメイの子、ヨセクの子、ヨダの子、
3:27 ヨハナンの子、レサの子、ゾロバベルの子、サラテルの子、ネリの子、
3:28 メルキの子、アデイの子、コサムの子、エルマダムの子、エルの子、
3:29 ヨシュアの子、エリエゼルの子、ヨリムの子、マタテの子、レビの子、
3:30 シメオンの子、ユダの子、ヨセフの子、ヨナムの子、エリヤキムの子、
3:31 メレヤの子、メナの子、マタタの子、ナタンの子、ダビデの子、
3:32 エッサイの子、オペデの子、ボアズの子、サラの子、ナアソンの子、
3:33 アミナダブの子、アデミンの子、アルニの子、エスロンの子、パレスの子、ユダの子、3:34 ヤコブの子、イサクの子、アブラハムの子、テラの子、ナホルの子、
3:35 セルグの子、レウの子、ペレグの子、エベルの子、サラの子、
3:36 カイナンの子、アルパクサデの子、セムの子、ノアの子、ラメクの子、
3:37 メトセラの子、エノクの子、ヤレデの子、マハラレルの子、カイナンの子、
3:38 エノスの子、セツの子、アダムの子、このアダムは神の子である。

今日からルカの福音書のシリーズに入っていきたいのですが、その前に、旧約聖書全体の総復習をしていきたいと思います。
クリスマスを迎えるに当たって、救い主が生まれてくると言う事がどういう事なのかという事を、聖書全体を通して理解していただきたいからです。

ルカの福音書には、イエス様の系図が載せられています。
これはイエス様のお父さん、ヨセフから遡って人類の父アダムまで続く長い系図ですね。
実際には、間に省略されてしまっている人たちがいたりもします。

さて、この系図を見ると、ヨセフの父はヘリと言う人になっていますが、マタイの福音書にある系図では、ヨセフの父はヤコブという事になっています。
実はルカの福音書にあるヘリというのは、ヨセフの妻マリヤの父の名で、この系図はマリヤ経由での系図なのです。
なぜでしょう?
それも念頭に入れた上で、早速ジェットコースターのように一気に、旧約時代の事を復習してみましょう。

① 罪人となった人類
聖書は、神様によるこの世界の創造から始まっています。
神様はこの世界を、とても素晴らしいものとして創造しました。
そして最後には、この世界を管理する者として、また神様が愛し、神様を愛する存在として人間が創造されました。
アダムとエバの誕生です。
人類が生まれたこの世界は本当に素晴らしいものであり、神様はそれを見て満足し、働きを終えたと書かれています。
神様が創造したこの世界は、完璧で素晴らしいものだったのです。

しかし、アダムとエバが神様に背き、裏切り、神のようになろうと反逆した時から、全ては変わってしまいました。
アダムとエバゆえに、この世界は呪われたものとなってしまったのです。
だから私たち人間は、今でも神になろうとし、互いを傷つけ、この世界を破壊し続けているのです。
でも神様は、そんな私たちに救いの道を備えていました。

神様はこのように約束しています。

創世記3:15 わたしは、おまえと女との間に、また、お前の子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、お前の頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」

女の子孫とは、男性によらず、処女から生まれたイエス様を表し、悪魔の頭を踏み砕くと言っているのです。
だからルカは、女の子孫であり、ヨセフの種によらないイエス様の系図を書くために、マリヤの祖先を書き記したのです。

こうして神様は、悪魔によるこの働きを打ち砕くと約束し、獣の皮で作った衣によって、自らの存在を恥じるようになったアダムとエバの体を覆いました。
それは、やがて救い主が自らの存在によって、私たち人類の罪を覆い隠して下さることを表しているのです。

② イスラエルの歴史
何度かお話ししているますが、旧約聖書の大きな目的はこの救い主が誰かを表す事です。
だから聖書にはあちこちに系図が記されています。
救い主がどこから生まれるのかと言う事が明確にされるためです。
神様の選びによって、救い主はアブラハムの子孫として生まれてくると言う約束がされました。
約束はイサクに受け継がれ、ヤコブに受け継がれ、ユダへと受け継がれていきました。

その間にも神様は、イスラエルを祭司の民として選び、モーセを通して律法を与え、十戒を授け、救い主を生み出す民として特別に扱いました。
救い主の血脈が育っていく間、神様はヨシュアを選び、裁き司によってイスラエルの危機を何度も救いました。
それでもイスラエルは、神様を王とせず、自分たちの中から王が出る事を求めました。
神様はサウルを選びましたが、サウルはすぐに神様から離れてしまいました。
ここで救い主の流れと、イスラエルの指導者の流れは交差し、ダビデの元でひとつとなりました。
ダビデはイスラエルの王であり、また救い主を生み出す家系でもあったのです。

しかし次のソロモンの時代には、やはり神様から離れ、国としてのイスラエルは北と南に分裂してしまいました。
北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂したイスラエルは、その後も神様に背き、離れ、偶像を崇めつづけました。
神様は預言者を通して人々に語りつづけましたが、人々は預言者たちを殺し、背きの道を歩み続けたのでした。

神様から離れた人は、歩むべき道を歩むことができません。
神様の祝福からみるみる離れていった北イスラエル王国は、ついにアッシリア帝国に飲み込まれ、滅んでしまいました。
救い主を生み出す家系として続いていたユダ王国も、それからほどなくしてバビロン帝国によって滅ぼされ、捕囚されてしまったのです。

ついに人類の希望が断たれてしまったかのように見えましたが、神様はまだ見捨てていませんでした。
ユダの人々がバビロニアに連れて行かれてから70年後、次に起こったアケメネス朝ペルシャ帝国がバビロニアを倒し、ペルシャの王クロスによって、ユダの人々は解放されたのです。

アブラハムの祝福を受け継いだゼルバベルに導かれ、ユダの人々はエルサレムに帰還しました。
そして彼らは、破壊されていた神殿を再建して、神様に再び礼拝を始めたのです。
このままイスラエルは回復していくかに見えました。
でも、人間とは本当に罪深い存在です。
彼らは安全な場所に戻るとすぐに神様を忘れ、神様との関係を失ってしまったのです。

さて、ここまでが旧約聖書に記されている歴史です。
この後400年の間、聖書はまるで神様は口を閉ざしてしまったかのように空白の時間が過ぎていきます。
でもこの400年は、もしかしたらイスラエルの側が神様の声に耳を傾けなかった期間なのかもしれません。
今日は、この空白の400年に関しても、少しお話ししていきたいと思います。

③ 空白の400年
さて、この後イスラエルには何が起こったのでしょうか?
ユダ王国の平和は、やはり長くは続きませんでした。
紀元前331年、マケドニアの王アレクサンドロスがペルシャ帝国を倒すと、ユダ王国もまた巨大なマケドニア王国に飲み込まれてしまいました。
そこから8年後、アレクサンドロスが病気によってあっさり死んでしまいましたが、今度は後継者(ディアドコイ)を争う戦いに、ユダ王国も巻き込まれてしまいます。

アレクサンドロスの死後、プトレマイオス朝エジプトの支配下となったユダ王国でしたが、やがてセレウコス朝シリアが力を付けてくると、ユダはセレウコス朝の支配に下りました。
セレウコス朝支配下のユダ王国は、虐げられ、厳しい状況に置かれました。
BC175年、アンティオコス4世エピファネスが即位すると、ユダの人々は聖書の神様を礼拝することを禁じられ、エルサレムの神殿では汚れた家畜とされる豚が生贄として捧げられるように強要されたのです。
アンティオコス・エピファネスは、聖書の中では反キリストの型として登場していますね。

こんな状況の中で、セレウコス朝の圧政に立ち上がったのが、祭司マッティアスの息子ユダ・マカバイです。
ユダ・マカバイは強大なセレウコス朝に対してゲリラ戦を展開し、紀元前165年12月25日、ついにユダ王国を独立に導きます。
ユダ王国はその後ユダ・マカバイの子供たちによって始まったハスモン王朝の元で、紀元前37年まで続きますが、その独立はローマ帝国の属州として、何とか自治を認められているという危うい状態でした。

そしてついに紀元前40年、ローマ帝国のマルクス・アントニウスの力に頼ったエドマヤ人(エドム人の末裔)ヘロデが、ハスモン朝を倒してヘロデ王朝によるユダ支配が始まります。

ユダ王国は、神様に選ばれた国として特別な祝福を受けていました。
ギリギリの状況でも、決して滅ぼし尽くされることなく、何とか続いていました。
でもそこには、危機の時に現れる裁き司もなく、様々な奇跡を起こし、神の言葉を伝えてくれる預言者もなく、ユダヤ教は堕落して単なる宗教となり果て、ついにエドム人を王として迎えるような事態に陥ってしまったのです。

人々の内には、神様に助けを求める声が、少しずつ大きくなっていきました。
その時、静寂を破るかのように、ひとりの預言者が産み落とされようとしていたのです。
その預言者こそ、イザヤ書で予言されていた”荒野で叫ぶ者”。
マラキ書に記されていた、道を整える使者です。

旧約聖書の一番最後、マラキ書の最後の一文は、このようにして閉じられています。

マラキ4:5 見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。
4:6 彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」

神様はどこに行ってしまったのかと思うほど、状況がどんどん悪くなっていくときがあります。
長い長い間、神様の御声が聞こえなくなる時もあります。
でもそんな時でも、神様は確かにいて、その計画は密かに進んでいるのです。

神様の計画は必ずなります。
この後、神様の計画がどのようなカタチで実現していったのか、来週を楽しみにお待ちください。

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