ルカ2:39-52 『少年イエス』 2009/01/04 松田健太郎牧師
ルカ2:39~52
2:39 さて、彼らは主の律法による定めをすべて果たしたので、ガリラヤの自分たちの町ナザレに帰った。
2:40 幼子は成長し、強くなり、知恵に満ちて行った。神の恵みがその上にあった。
2:41 さて、イエスの両親は、過越の祭りには毎年エルサレムに行った。
2:42 イエスが十二歳になられたときも、両親は祭りの慣習に従って都へ上り、
2:43 祭りの期間を過ごしてから、帰路についたが、少年イエスはエルサレムにとどまっておられた。両親はそれに気づかなかった。
2:44 イエスが一行の中にいるものと思って、一日の道のりを行った。それから、親族や知人の中を捜し回ったが、
2:45 見つからなかったので、イエスを捜しながら、エルサレムまで引き返した。
2:46 そしてようやく三日の後に、イエスが宮で教師たちの真中にすわって、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。
2:47 聞いていた人々はみな、イエスの知恵と答えに驚いていた。
2:48 両親は彼を見て驚き、母は言った。「まあ、あなたはなぜ私たちにこんなことをしたのです。見なさい。父上も私も、心配してあなたを捜し回っていたのです。」
2:49 するとイエスは両親に言われた。「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」
2:50 しかし両親には、イエスの話されたことばの意味がわからなかった。
2:51 それからイエスは、いっしょに下って行かれ、ナザレに帰って、両親に仕えられた。母はこれらのことをみな、心に留めておいた。
2:52 イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。
皆さんは、子供のころ、どんな子供だったでしょうか?
僕の子供時代は、体が弱く風邪ひいてばかりいて、気も弱く、泣いてばかりいました。
勉強もダメ、運動もダメ、絵も楽器も全くダメで、とにかく何の取り得もない、箸にも棒にもかからないような子供で、いじめられなかったのが不思議なくらいですね。
これは別に謙遜でも自己卑下しているのでもなく、実際にそうだったんです。
でも、このような子供時代を過ごしたからこそ、僕はできない、わからないという人の気持ちがわかるんです。
今の自分は子供時代とはだいぶ違うなと思いますが、子供時代の経験が今の自分自身に大きく影響を与えている事は確かな事です。
偉人伝や、歴史小説を読んでいると、その登場人物の子供時代から始まる事が少なくありません。
それは、子供時代を知る事によってその人の性格をかつかむ事ができるからですね。
今日は、イエス様の子供時代のお話です。
子供時代のイエス様を知る事は、イエス様がどのような方なのかを知る手がかりになるはずです。
ところが、イエス様の子供時代について書かれているのは、聖書の中で今日のこの箇所しかありません。
赤ん坊として産まれてから、次に書かれている記事がこの12歳ころの話。
そして、その後30歳でキリストとしての人生を歩み始められるまでは、イエス様のことに関しては一切書かれていないのです。
それは、イエス様がほとんどの事において特筆するような事のない、平凡な生活を送られたという事を意味しているのではないでしょうか。
ヨハネの福音書に書かれてあるように、イエス様の最初の奇跡はカナで開かれた結婚式で水をワインに変えたという事が最初です。
それまでの30年間を、イエス様は平凡な大工の長男として生きられたのです。
普通の人として生きた事がなかったとしたら、イエス様がわざわざ赤ん坊から人生を始められた意味がありません。
これまで何度もお話ししてきたように、神様が私たちの視点に立つという事が、イエス様が地上に来られた事の大きな意味のひとつだからです。
さて、そんなイエス様の、子供時代の貴重な話です。
この話を手がかりに、皆さんがイエス様の事をもう少し知る事ができたら幸いです。
① 幼子の成長
クリスマスの物語で語られるように、イエス様はベツレヘムで産まれましたが、生涯のほとんどを過ごしたのは、ガリラヤのナザレという町でした。
このナザレという町は、旧約聖書のどこを見ても出てこない、全く無名の小さな村でした。
日本でもっとも知られていない県のワースト一位は島根県だそうですが、ナザレというのは日本で言えば、(失礼な言い方ですが)島根県の吉田村というくらいのものです。
誰にも知られていない、言ってみればノーマークの村だったんですね。
地方のノド自慢大会でどれだけ優勝を重ねても、そう簡単にプロのミュージシャンにはなれません。
東京に出てこなければ有名にはならないのと同じように、少年イエスの存在はナザレにいる限り決して世に知れ渡る事はありませんでした。
エルサレムのような都会であれば、その才能をたちまち見出され、神童のように扱われてしまったかもしれませんが、田舎のナザレではその力を発揮する機会も大してありません。
「ヨセフさんトコのせがれは、ちょっと変わり者らしい。」と噂をされるくらいのものだったのです。
それは、時が満ちるまで、世からは隠れて過ごそうとされていたその目的にぴったりの場所でもありました。
さて、そんな少年イエスが、エルサレムに上ってくる機会がありました。
律法によれば、成人男子は年に3回は神殿に来て礼拝を捧げましたから、ヨセフたちはそれにならって、礼拝を捧げるためにエルサレムまで上京してきたのです。
この時、イエス様は12歳。
ユダヤでは13歳が成人で、来年には自分自身で礼拝を捧げなければならないという時です。
これまでは家で留守番をしていましたが、今度の祭りには過ぎ越しの祭りという大切な祭りでもありますし、お父さんやお母さんと共に祭りについてくる事になったのです。
来年、ちゃんと自分で礼拝を捧げる事ができるための予行演習でもあったでしょう。
その時の様子が、この様に書かれています。
2:41 さて、イエスの両親は、過越の祭りには毎年エルサレムに行った。
2:42 イエスが十二歳になられたときも、両親は祭りの慣習に従って都へ上り、
2:43 祭りの期間を過ごしてから、帰路についたが、少年イエスはエルサレムにとどまっておられた。両親はそれに気づかなかった。
さて、ここで問題が起こりました。
祭りが終わって、それぞれが帰路に着いたのですが、イエス様はエルサレムに置き去りにされたまま両親は帰ってしまったのです。
しかも両親は、丸一日もの間、愛する息子がいない事に気づかなかったのです。
子供がいない事に丸一日気づかないなんて、そんな事が起こりうるのでしょうか?
説明が必要でしょう。
この当時の旅は、盗賊などに襲われるのを避けるため、大きなキャラバンを組んで旅するのが普通でした。
キャラバンの編成は男性と女性が別れて進みます。
まだ成人していない子供たちは、そんな両親の元を行ったり来たりしていたのでした。
この時ヨセフは、イエスはマリアと共にいると思い込んでいました。
マリアはと言えば、イエスはヨセフと共にいると思っていたのです。
その結果、マリアとヨセフはイエスがいない事に気づかないまま丸一日も経ってしまったというわけなのです。
さて、子供がいないとわかった時の彼らの不安はどれ程のものだったでしょうか?
僕自身、店で奈緒美が見えなくなって、呼んでも返事しなければそれだけで心配になってしまいますが、12歳とはいえ丸一日も離れ離れになってしまうなんて思いもよりませんから、彼らは血眼になってイエスくんを探し回った事と思います。
祭りから帰ってくる人たちの群れを掻き分けながら、その中にイエスはいないかと探し。
とうとうエルサレムに戻ってきてからも、混雑した街中を隅から隅まで探し回りました。
それでも中々見つからない。
人さらいにさらわれてしまったか、どこかで心細さにおびえて泣いているんではないかと気が気ではありません。
そしてとうとう3日目になって、ようやくイエスを見つけたのです。
それは、まさか子供がいるとは思いもよらない場所でした。
ラビたちが集まって講義をする集会の場に、大人たちに混ざって座っていたのです。
② 宮でのできごと
ヨセフとマリアは、イエスのその姿に驚きました。
熱心な若者がその様な講義に参加する事もないことではありませんでしたが、ラビたちの講義に聞き入っていたわけではなく、高名なラビたちに混じって堂々と座り、対等以上の問答で渡り合っていたのです。
少年イエスがラビたちにする質問は、彼らの中に生じている矛盾を突くようなものでした。
そこには、深くて鋭い聖書についての洞察の中に、神様そのものと言えるような人知を超えた知恵があったのです。
驚いたのは両親だけではありません。
そこにいてその様子を聞いていた人々は、ただただ驚嘆するしかありませんでした。
やがてイエス様がキリストとしての人生を歩み始められた時、人々はイエス様の教えに驚きました。
マルコの福音書にこの様に書かれています。
マルコ 1:22 人々は、その教えに驚いた。それはイエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。
ユダヤ教のラビや律法学者たちの教えは、昔の偉い学者がどのように言ったかという事を中心にして教えていました。
しかしイエス様は、聖書から直接、神様の言葉としてそれを語ったのです。
それは、これまでのどの高名な学者とも違い、人々の心に深く響いたのでした。
12歳のイエス様は、会堂で教えられたわけではありません。
しかしイエス様は、ラビたちが律法について教えるのを聴きながら、質問を繰り返すだけでラビや学者たちの考え方の矛盾点が明らかになっていったのです。
さて、イエスの姿を見つけたマリアとヨセフは、今までの心配が一度に安堵感へと変わると共に、自分たちの思いのたけを言わないではいられませんでした。
2:48 両親は彼を見て驚き、母は言った。「まあ、あなたはなぜ私たちにこんなことをしたのです。見なさい。父上も私も、心配してあなたを捜し回っていたのです。」
「もう、心配かけてっ! どれだけ探したと思ってるの!?」と言うわけです。
しかしそれに対して、少年イエスは不思議そうな顔で言いました。
2:49 するとイエスは両親に言われた。「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」
2:50 しかし両親には、イエスの話されたことばの意味がわからなかった。
イエスくんは両親に逆らって神殿に残ったというわけではないでしょう。
人ごみの中で両親とはぐれ、迷子になってしまったのです。
そして両親が探しに来るまでの間、自分から歩き回ってさらに迷子になってしまうのではなく、神殿にやってきたのでした。
イエス様にとっては、両親からはぐれてしまった時に天のお父様の所に来るのは当たり前の事だったのです。
私達もまた、マリヤとヨセフのような間違いをしてしまいがちです。
私達は、何か問題が起こった時、自分の力で、色々な手を尽くして答えを探そうとするのではないでしょうか。
そして、どうしようもなくなってから、最後の手段として神様の元に来るのではありませんか?
でも、答えは天のお父様の元にあるのです。
私達は、答えを探して回る必要など全くないのです。
③ 神のみこころ、母マリヤの思い
さて、イエス様の言葉にはもうひとつの意味がありました。
それはまさに文字通り、イエス様が神の子であるという事の宣言です。
いつの頃からかはわかりませんが、12歳のイエス様にはすでに、自分がメシヤであり、どのような運命を背負っているかという認識がありました。
だからイエス様は、「わたしが天のお父様の家にいるのは当たり前ではありませんか。」と言っているのです。
しかしこの時の両親には、その事の意味がわかりませんでした。
でも、彼らは「親に口答えするとは何事ですか!」と言って叱り飛ばすような事はしなかったんです。
2:51b 母はこれらのことをみな、心に留めておいた。
と書かれています。
マリアは、今わからない事に断定を下す事をやめたのでした。
そして、今わからないことはわからないこととして、そのまま心に留めておいたのです。
私達は神様がなさる事に関してわからない事がたくさんありますが、今は明らかにされていないのでどうやってもわからない事もたくさんあります。
そこで私達が、自分の考えだけでその状況を判断しようとすると、神様の御心を見失ってしまう事になるのではないでしょうか。
わからない事は、今はわからないままにして心に留めておくという事も、時には大切な事なのです。
やがてマリアは、この時のイエスの言葉が意味していた本当の意味を、身を持って知る事になります。
それまでの間、少年イエスは自分はマリヤとヨセフの子供ではないからといって勝手に行動するような事はなく、両親に仕えたと書かれています。
ラビたちも舌を巻く知恵をもっていたイエス様は、両親に頼ったり、教育を受ける事なくても生きていくことができたかもしれません。
ましてや、本当の父は神様だという意識をすでに持っていたのですから、人の知恵でしかない両親の言葉など浅はかに思えることもあったかもしれません。
それでもイエス様は、両親に仕え、従いました。
それは、両親を敬い、従う事が私達にとって大切な事だからです。
エペソ人への手紙にこの様に書かれています。
エペソ 6:1 子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。
6:2 「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、
6:3 「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。」
という約束です。
イエス様は身を持って、私達に正しい生き方を示されたのでした。
少なくとも、自分はメシヤであるという認識を持っていたことがわかったこの時から、さらに18年もの間、イエス様はナザレの片田舎で普通の大工のせがれとして生活しました。
それは最初にも言ったように、イエス様が私達と同じ目線となるためだったのです。
へブル 2:17 そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。
私たちのすべての罪とがを背負われたイエス様に感謝しましょう。