マタイ19:13-15 『神様はきみが好き』 2007/11/11 松田健太郎牧師

マタイ 19:13~15
19:13 そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、子どもたちが連れて来られた。ところが、弟子たちは彼らをしかった。
19:14 しかし、イエスは言われた。「子どもたちを許してやりなさい。邪魔をしないでわたしのところに来させなさい。天の御国はこのような者たちの国なのです。」
19:15 そして、手を彼らの上に置いてから、そこを去って行かれた。

けんたろ先生は、先週の火曜日から金曜日まで富士山の近くにあるホテルで、牧師先生とか宣教師の先生が集まる勉強会に行ってきました。
そこで色んな先生とお話しする事ができたんだけど、その中である先生がこんな話をしてくれました。

その先生が自分の部屋で仕事をしてたらね、4歳になる男の子が部屋の中に入ってきたんだって。
本当は、仕事をしている時だから、その子はお父さんの部屋に入ってはいけなかったんだけど、その男の子はお父さんに抱きついてこう言ったんだ。
「お父さん、大好き!」って。
お父さん大好きって言われたら、お父さんとしては「邪魔だから向こうに行ってなさい。」とは言えないよね。
その先生は、男の子をだっこしてあげました。

みんなは、自分が4歳の頃どんな風だったか覚えてる?
4歳の子は、「これは何?」「どうして?」とかいつでも質問ばっかりするの。
何だかこの世界にある色んなものがどういうものなのかが、すごく気になる時期なんだろうね。
みんなもそんなときがあったのかな?

それでね、その男の子は「お父さん大好き!」って言ったんだけど、自分が言った事がどういう事なのかがわからなくなっちゃったみたい。
それでお父さんに、「好きってどういう意味?」って聞いたんだって。

自分で大好きって言っておいて、好きってどういう意味って聞くのもおもしろい事なんだけど、お父さんはその時ちょっと困ってしまった。
子供がきく質問には必ず答えるようにしてきたんだけど、「“好き”って何?」という質問の答えは、なかなか応える事ができなかったんだ。

みんなはどう思う?
“好き”ってどういう事なんだろう?


みんなは、誰かを好きな時ってどうするかな?
みんなの事を大好きな、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんは、みんなのためにどんな事をしているかな?

けんたろ先生が持っている携帯電話の待ちうけ画面は、奈緒美の写真になっています。
けんたろ先生の家の冷蔵庫には、奈緒美が保育園で描いてきた絵がたくさん貼ってあります。
家の壁には、奈緒美の写真が額縁にいれて飾られています。
おじいちゃんおばあちゃんの家に行ったら、家よりもっといっぱいの写真が飾られていました。

けんたろ先生は、奈緒美の名前を呼ぶとき、嬉しい気持ちになります。
でも、奈緒美がケガして泣いているのを見ると、本当にかわいそうで、悲しくなってきます。
誰かが奈緒美にイジワルをしていると知ると、本当に怒りたい気持ちになってきます。

みんなはどうかな?
みんなのお父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃんはどうだろう?

・・・、あのね・・・。
聖書には、神様があなたのことを愛していると書かれてるんだ。
聖書には、ぼくたちひとりひとりに対して、「あなたは私の子。わたしはあなたを愛する。」って書かれているんだよ。

それはね、神様が携帯電話を持っていたら、神様の携帯の待ち受け画面がきみの写真になっているっていうことだよ。
神様の冷蔵庫には、僕たちが書いた絵や、祈りの言葉が貼られている。
きみの顔が額縁に入れられて、壁じゅうにかけられている。

神様がきみの名前を呼ぶとき、神様は思わず嬉しくなってくる。
きみが傷ついて泣いているとき、誰かに嫌な事をされて悲しい気持ちでいるとき、神様はそれを見てかなしい気持ちになっている。
誰かがきみにイジワルをすると、神様はそれを見て怒り出す。
神様がきみを愛しているというのは、そういう事なんだよ。

それだけじゃない。
聖書には、神様がきみの事をどれだけ愛しているのかという事が、たくさんの言葉を尽くして書かれているんだ。

「きみは宝物だよ。わたしの目には、すごい価値があるのがわかる。大切なきみ。」
「もしきみの心が重いものを背負って疲れ果ててしまったら、わたしのところにおいで。わたしがきみを、休ませてあげるよ。」
「怖がらなくても大丈夫だよ。きみがどんなに大変な所にいっても、わたしがきみを助けるから。」

神様が、きみのために歌を作って、自ら歌って下さる。
神様はきみの髪の毛の数が、何本あるか知っている。
神様はきみの失敗に忍耐し、きみのすべてをいつでも信じ、期待し、耐え忍んでくれる。

全て、この聖書の中に書いてあることなんだ。②
きみは、偶然この世に生まれてきたんじゃない。
なにかのついでで生まれてきたんじゃないよ。
最高の職人がひとつのつぼを造りだすように、天のお父さんがきみを創ったんだ。
流れ作業や、大量生産で創られたのではなく、じっくり計画され、ぴったりの才能を与えられ、愛情を込めて創られた。
きみは神様の最高傑作!
ぼくたちひとりひとりが、他にふたりといない、神様の最高傑作なんだ。

みんなが、友達に、お父さんやお母さん、お兄ちゃんやお姉ちゃん、弟や妹にプレゼントを買うとき、プレゼント見てその人がどんなに喜ぶか、どんな顔をするかが楽しみじゃない?
神様も、きみたちにたくさんのプレゼント贈ってくれてるんだ。

神様がこの世界を創るとき、機械のように正確な、でも味気のない世界として創る事ができたはずだよ。
でも神様は、空と海を透き通るような青に創り、夕陽にはふたつと同じ色がない、複雑な色のハーモニーを創りだした。

鳥や虫たちはどうして歌を歌うの?
花はどうして、いい香りがするの?
食べ物にはどうして、いろんな味があるの?
動物図鑑を見れば、どれだけユニークで、楽しい動物が世界にいるのかを見る事ができる。
植物図鑑を見れば、とても同じ種類とは思えないほどに、色や形があふれている。
それはすべて、僕たちが喜び、楽しみ、感動するために、神様が与えてくれた僕たちへのプレゼントなんだ。

けんたろ先生が一緒に話した牧師の先生は、「好きってどういうこと?」と4歳の男の子に聞かれたとき、しばらく考えてからこう応えた。
「好きっていうのはね、お前といつでも一緒にいたいっていう事だよ。」
だからね、その先生は仕事中に息子が部屋に入ってきても、「向こうに行っていなさい」って言えなくなってしまったんだって。
でもね、それってイエス様が言った事と同じ事なんだ。

イエス様がみんなとお話ししてるとき、子供たちがイエス様の元によってきて、まとわりついてきた。
邪魔になるだろうと思って、弟子たちがそれを怒ったとき、イエス様はそのままでいいよって言ったんだよ。

19:14 しかし、イエスは言われた。「子どもたちを許してやりなさい。邪魔をしないでわたしのところに来させなさい。天の御国はこのような者たちの国なのです。

子供たちがイエス様を大好きだったのと同じように、イエス様も子供たちが大好きだったんだね。


いつでも一緒にいたいっていう事が、大好きだっていう事。
だから、神様はいつでもきみと共にいる。

でもね、僕たちはどうだろうか?
僕たちの心は、いつも神様に向いているかな?
僕たちは、いつでも神様と一緒の時間をすごしていたいと思っているかな?
僕たちは、本当に神様が大好きなんだろうか?

神様は、きみなしでこの世界がある事に、がまんができない。
きみがどれだけ失敗をしても、きみがどれだけ人から嫌われるような事をしてしまっても、何かのせいで、神様がきみを愛さなくなってしまう事は、絶対にない。

その愛は、僕たちが神様を忘れていても、「神様なんていない」って思い込んで目をつぶっていても、みんなから離れてしまう事はないよ。
でもね、僕達が神様と一緒にいようとしないなら、僕たちの世界は神様がいないのと同じ事なんじゃないかな?

神様がいつでも僕たちと共にいてくれるのに、僕たちは神様がいないように生きてしまう。
神様がこんなに僕たちの事を愛してくれていても、押し付けがましいといって受け取ろうとしない。
自分が受け取ろうとしないだけなのに、誰にも愛されていない事を悲しんでいたりする。
神様がどれだけ話しても、僕たちは耳を傾けようとしない。
神様がどんなに素晴らしいプレゼントを用意しても、それを受けとならない。
それどころか、僕たちは自分勝手な思いで神様を作り出し、それを神様と信じてすがり付いてきたんだ。

神様が与えようとしてくれている素晴らしいものを受け取らないなんて、なんて悲しい事なんだろう。
でも、そのことを一番悲しんでいるのは、僕たちを大好きでいてくれている神様なんだよ。

神様には、僕たちが受け取るようにムリやり押し付ける事はできない。
だから神様は、僕たちが受け取ってくれるまで待っているんだ。
でもね、神様はただ待っているだけじゃない。
僕たちの、もっともっと近くまで、神様が来てくれたんだよ。

神様が、僕たちの言葉で話し、僕たちと同じように痛みを感じ、僕たちのいるこの地上で眠り、呼吸をしてくれた。
そして、神様がどれだけ愛してくれているのかを、僕たちにわかりやすい言葉で伝えてくれたんだ。
僕たちには想像もつかないくらいに遠い道のりを、神様は僕たちのために来てくれた。
それが、イエス様なんだよ。
そして、神様の愛がどれだけ大きく深いのか、イエス様は身を持って、十字架の上で見せてくれたんだ。

神様は、いつでもきみの横で、きみが気づいてくれるのを待っている。
神様の元へと戻る道を、僕たちが歩み始めるのを待ち望んでいる。

僕たちはただ、神様のもとへ行ってこう言えばいいんだ。
「お父さん、ごめんね。」って。

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