ヨハネ1:35-51 『最初の弟子たち』 2009/01/25 松田健太郎牧師

ヨハネ1:35~51
1:35 その翌日、またヨハネは、ふたりの弟子とともに立っていたが、
1:36 イエスが歩いて行かれるのを見て、「見よ、神の小羊。」と言った。
1:37 ふたりの弟子は、彼がそう言うのを聞いて、イエスについて行った。
1:38 イエスは振り向いて、彼らがついて来るのを見て、言われた。「あなたがたは何を求めているのですか。」彼らは言った。「ラビ(訳して言えば、先生)。今どこにお泊まりですか。」
1:39 イエスは彼らに言われた。「来なさい。そうすればわかります。」そこで、彼らはついて行って、イエスの泊まっておられる所を知った。そして、その日彼らはイエスといっしょにいた。時は十時ごろであった。
1:40 ヨハネから聞いて、イエスについて行ったふたりのうちのひとりは、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。
1:41 彼はまず自分の兄弟シモンを見つけて、「私たちはメシヤ(訳して言えば、キリスト)に会った。」と言った。
1:42 彼はシモンをイエスのもとに連れて来た。イエスはシモンに目を留めて言われた。「あなたはヨハネの子シモンです。あなたをケパ(訳すとペテロ)と呼ぶことにします。」
1:43 その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされた。そして、ピリポを見つけて「わたしに従って来なさい。」と言われた。
1:44 ピリポは、ベツサイダの人で、アンデレやペテロと同じ町の出身であった。
1:45 彼はナタナエルを見つけて言った。「私たちは、モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方に会いました。ナザレの人で、ヨセフの子イエスです。」
1:46 ナタナエルは彼に言った。「ナザレから何の良いものが出るだろう。」ピリポは言った。「来て、そして、見なさい。」
1:47 イエスはナタナエルが自分のほうに来るのを見て、彼について言われた。「これこそ、ほんとうのイスラエル人だ。彼のうちには偽りがない。」
1:48 ナタナエルはイエスに言った。「どうして私をご存じなのですか。」イエスは言われた。「わたしは、ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見たのです。」
1:49 ナタナエルは答えた。「先生。あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」
1:50 イエスは答えて言われた。「あなたがいちじくの木の下にいるのを見た、とわたしが言ったので、あなたは信じるのですか。あなたは、それよりもさらに大きなことを見ることになります。」
1:51 そして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ます。」

世の中、不景気だと言われています。
今は100年に一度の世界恐慌に入ったばかりなわけですから、これからもっと大変な状況になっていく事でしょう。

今回の世界恐慌はアメリカから始まったと言われています。
その発端となった金融危機ですが、私たちの目に見えて落ちていくのを感じられたのは、サブプライムショックでメリルリンチという証券会社が破綻した時から始まったといえるかもしれません。

そのメリルリンチという会社は、100年も続いてきた由緒ある証券会社でした。
みんながメリルリンチを信頼していた。
しかし、確かだと思っていたものが一夜にして崩れ去ってしまい、多くの人たちがたくさんのものを失ったのです。

さて、皆さんは何に信頼し、どこに自分の土台を置いているでしょうか?
それは、本当に信頼がおけるものですか?
絶対に崩れたりしないと言えるようなものでしょうか?

何か拠り所をすでに持っている人たちは、なかなか神様を求めようとはしはません。
それは、自分はすでに拠り所となるものをもっているから、自分にはもう神様なんて必要ないと思っているわけです。
しかし、その拠り所は本当に自分を支える事ができるものなのでしょうか?
昔からあるから、皆がそうしているからというのは、実は何の根拠にもならない事です。
「日本人だから神道でいい、仏教でいいんだ」という事を僕はよく耳にするのですが、実は多くの場合、それは考える事を放棄しているだけではないかと思うのです。
では、キリスト教はどうなんでしょうか?
そのあたりの話を、今日は弟子たちとイエス様の出会いを通して、一緒に考えて行きたいと思います。

① バプテスマのヨハネ
さて、皆さんはバプテスマのヨハネという人物を覚えているでしょうか?
2週間前にお話ししたメッセージの中で出てきた人ですが、イエス様に悔い改めのバプテスマを授けた人でしたね。
多くの人々がバプテスマのヨハネの言葉に耳を傾け、指示していました。
だから彼には、たくさんの弟子たちがいたんです。

さて、神様がこのバプテスマのヨハネに与えられていた役割は何でしたか?
それは、彼が救い主が来る前に現れて、人々がキリストの元に来る事ができるようにその道を整えるというのが彼の役割でした。
だからバプテスマのヨハネは、「私の後に来る人がある。私にはその人のくつの紐を解くほどの価値もないような、そんな方だ。」と人々に伝えたのです。

もう少し具体的な事が、今日の聖書箇所に記されています。

1:35 その翌日、またヨハネは、ふたりの弟子とともに立っていたが、
1:36 イエスが歩いて行かれるのを見て、「見よ、神の小羊。」と言った。
1:37 ふたりの弟子は、彼がそう言うのを聞いて、イエスについて行った。

このふたりの弟子たちのひとりは、アンデレと言いました。
もうひとりが誰だったのかは、聖書には名前が書かれていませんが、それはこの福音書を書いたヨハネ自身だったと言われています。

このふたりは、バプテスマのヨハネが「私ではなく、イエス様こそキリストだ。」と言うのを聞きました。
『ふたりの弟子は、・・・イエスについて行った。』と書かれていますが、これはイエス様の後をトコトコついて行ったという事ではなくて、イエス様の弟子となったという事です。

日本人的な感覚では、「師匠をコロコロ変えて不義理なやつだ 」と思うかもしれませんが、バプテスマのヨハネ自身がそれを命じたのです。
彼の役割は、イエス様こそが救い主だと指し示す事だったのですから。

牧師や教会、またキリスト教という宗教の目的もまた、同じ所にあります。
私たちの役目は、皆さんにイエス様を指し示すことですね。
牧師に従いなさいとか、教会やキリスト教のいう事に従いなさいというのではありません。

ところが、バプテスマのヨハネがどれだけ「イエスこそ神の小羊だ。」と言っても、ヨハネを離れなかった人たちがいます。
彼らはヨハネが死んだ後も、自分たちを“ヨハネ派”と名乗ってクリスチャンたちとはたもとを分かちました。
彼らはヨハネに対して義理深かったのではありません。
彼らはヨハネの言葉に逆らって、勝手に彼を祀り上げた異端者たちです。

わたし達は、そうであってはなりません。
わたし達がついていかなければならないのは、“松田健太郎”や“クロスロード・インターナショナル葛西教会”ではなくて、イエス様なのです。
「健太郎さん、一生ついていきます。」などと言う人はいないでしょうけど、そんな事を言われても僕は困ります。(笑)
牧師や教会という場所は、イエス様を知るための入り口であって、わたし達が皆さんを救う事はできません。
それが可能なのは、イエス様だけなのです。

② アンデレとヨハネ
さて、ついてくるアンデレとヨハネに対して、イエス様はふりむいてこの様に言いました。

1:38b 「あなたがたは何を求めているのですか。」

イエス様のその問いに、この時アンデレとヨハネは応えることができませんでした。
ただ、「先生はいま、どこに泊まっているでしょうか。」と話が長くなる事を臭わせる事を口にして、その答えをやり過ごしたのです。
それに対してイエス様は言いました。

1:39b 「来なさい。そうすればわかります。」

イエス様は、「私がどこに泊まっているか、ついてきたらわかる。」と当たり前の事を言ったのではありません。
そんな会話をわざわざ聖書に残す必要はありませんね。
イエス様が言ったのは、「あなた達が本当は何を求めているのか、私と一緒に来ればわかる。私こそ、あなたが求めているものなのだ。」その様に言っているのです。

わたし達もまた、自分が本当は何を求めているのか、実は何も理解していません。
お金があれば、恋人がいればと今欲しいものの事だけを考えていますが、わたし達が本当に必要としているのは、イエス様ご自身なのです。
そしてそれは、わたし達がイエス様について行く事なしには知ることができません。

イエス様はわたし達に対しても、同じように言われるのです。

1:39b 「来なさい。そうすればわかります。」

③ アンデレとシモン
さて、イエス様について行ったふたりの内のひとりは、アンデレという人でしたね。
アンデレには兄弟がいて、その名をシモンと言いました。
このシモンと言うのは、わたし達が良く知るペテロの事です。
さて、イエス様がどういう人かという事を知り、個人的に関係を深めたアンデレは、まず兄弟のシモンのところに行き、イエス様の事を伝えたのです。

1:41 彼はまず自分の兄弟シモンを見つけて、「私たちはメシヤ(訳して言えば、キリスト)に会った。」と言った。
1:42 彼はシモンをイエスのもとに連れて来た。イエスはシモンに目を留めて言われた。「あなたはヨハネの子シモンです。あなたをケパ(訳すとペテロ)と呼ぶことにします。」

アンデレは、シモンにその事を伝えただけでなく、彼をイエス様の元につれて来ました。
そこに、イエス様とペテロの初めての出会いがあったのです。

他の福音書の中で、イエス様は魚を獲っているシモンに「私について来なさい。」と声をかけ、シモンはすぐさま網を捨ててイエス様に従ったというように書かれていますが、実はそれは彼らの初対面ではないんですね。
その前に、ここで書かれているような出会いがあったという事です。
とは言え、次に出会った時にはすぐさまイエス様について行ったのですからシモンはこの時相当な衝撃をイエス様から受けていたのでしょう。

さて、ここでわたし達がアンデレに学ぶべきところがあります。
それは、アンデレがシモンをイエス様の元に連れて行ったという事です。

わたし達は伝道というと、どうしても色々な事を相手に教えたり、一生懸命説得しようとしてしまうのですが、人々はそのようにしてクリスチャンになるのではありません。
わたし達に必要なのは、その人をイエス様の元に連れて行くという事ですね。

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