黙示録14:14-16:21 『 黙示録⑯~麦と毒麦が分けられる時 』 2012/01/15 松田健太郎牧師
黙示録14:14~16:21
黙示録14:14 また、私は見た。見よ。白い雲が起こり、その雲に人の子のような方が乗っておられた。頭には金の冠をかぶり、手には鋭いかまを持っておられた。
14:15 すると、もうひとりの御使いが聖所から出て来て、雲に乗っておられる方に向かって大声で叫んだ。「かまを入れて刈り取ってください。地の穀物は実ったので、取り入れる時が来ましたから。」
14:16 そこで、雲に乗っておられる方が、地にかまを入れると地は刈り取られた。
14:17 また、もうひとりの御使いが、天の聖所から出て来たが、この御使いも、鋭いかまを持っていた。
14:18 すると、火を支配する権威を持ったもうひとりの御使いが、祭壇から出て来て、鋭いかまを持つ御使いに大声で叫んで言った。「その鋭いかまを入れ、地のぶどうのふさを刈り集めよ。ぶどうはすでに熟しているのだから。」
14:19 そこで御使いは地にかまを入れ、地のぶどうを刈り集めて、神の激しい怒りの大きな酒ぶねに投げ入れた。
14:20 その酒ぶねは都の外で踏まれたが、血は、その酒ぶねから流れ出て、馬のくつわに届くほどになり、千六百スタディオンに広がった。
15:1 また私は、天にもう一つの巨大な驚くべきしるしを見た。七人の御使いが、最後の七つの災害を携えていた。神の激しい怒りはここに窮まるのである。
15:2 私は、火の混じった、ガラスの海のようなものを見た。獣と、その像と、その名を示す数字とに打ち勝った人々が、神の立琴を手にして、このガラスの海のほとりに立っていた。
15:3 彼らは、神のしもべモーセの歌と小羊の歌とを歌って言った。「あなたのみわざは偉大であり、驚くべきものです。主よ。万物の支配者である神よ。あなたの道は正しく、真実です。もろもろの民の王よ。
15:4 主よ。だれかあなたを恐れず、御名をほめたたえない者があるでしょうか。ただあなただけが、聖なる方です。すべての国々の民は来て、あなたの御前にひれ伏します。あなたの正しいさばきが、明らかにされたからです。」
15:5 その後、また私は見た。天にある、あかしの幕屋の聖所が開いた。
15:6 そしてその聖所から、七つの災害を携えた七人の御使いが出て来た。彼らは、きよい光り輝く亜麻布を着て、胸には金の帯を締めていた。
15:7 また、四つの生き物の一つが、永遠に生きておられる神の御怒りの満ちた七つの金の鉢を、七人の御使いに渡した。
15:8 聖所は神の栄光と神の大能から立ち上る煙で満たされ、七人の御使いたちの七つの災害が終わるまでは、だれもその聖所に、入ることができなかった。
16:1 また、私は、大きな声が聖所から出て、七人の御使いに言うのを聞いた。「行って、神の激しい怒りの七つの鉢を、地に向けてぶちまけよ。」
16:2 そこで、第一の御使いが出て行き、鉢を地に向けてぶちまけた。すると、獣の刻印を受けている人々と、獣の像を拝む人々に、ひどい悪性のはれものができた。
16:3 第二の御使いが鉢を海にぶちまけた。すると、海は死者の血のような血になった。海の中のいのちのあるものは、みな死んだ。
16:4 第三の御使いが鉢を川と水の源とにぶちまけた。すると、それらは血になった。
16:5 また私は、水をつかさどる御使いがこう言うのを聞いた。「今いまし、昔います聖なる方。あなたは正しい方です。なぜならあなたは、このようなさばきをなさったからです。
16:6 彼らは聖徒たちや預言者たちの血を流しましたが、あなたは、その血を彼らに飲ませました。彼らは、そうされるにふさわしい者たちです。」
16:7 また私は、祭壇がこう言うのを聞いた。「しかり。主よ。万物の支配者である神よ。あなたのさばきは真実な、正しいさばきです。」
16:8 第四の御使いが鉢を太陽に向けてぶちまけた。すると、太陽は火で人々を焼くことを許された。
16:9 こうして、人々は激しい炎熱によって焼かれた。しかも、彼らは、これらの災害を支配する権威を持つ神の御名に対してけがしごとを言い、悔い改めて神をあがめることをしなかった。
16:10 第五の御使いが鉢を獣の座にぶちまけた。すると、獣の国は暗くなり、人々は苦しみのあまり舌をかんだ。
16:11 そして、その苦しみと、はれものとのゆえに、天の神に対してけがしごとを言い、自分の行いを悔い改めようとしなかった。
16:12 第六の御使いが鉢を大ユーフラテス川にぶちまけた。すると、水は、日の出るほうから来る王たちに道を備えるために、かれてしまった。
16:13 また、私は竜の口と、獣の口と、にせ預言者の口とから、かえるのような汚れた霊どもが三つ出て来るのを見た。
16:14 彼らはしるしを行う悪霊どもの霊である。彼らは全世界の王たちのところに出て行く。万物の支配者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。
16:15 ──見よ。わたしは盗人のように来る。目をさまして、身に着物を着け、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸いである──
16:16 こうして彼らは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる所に王たちを集めた。
16:17 第七の御使いが鉢を空中にぶちまけた。すると、大きな声が御座を出て、聖所の中から出て来て、「事は成就した」と言った。
16:18 すると、いなずまと声と雷鳴があり、大きな地震があった。この地震は人間が地上に住んで以来、かつてなかったほどのもので、それほどに大きな、強い地震であった。
16:19 また、あの大きな都は三つに裂かれ、諸国の民の町々は倒れた。そして、大バビロンは、神の前に覚えられて、神の激しい怒りのぶどう酒の杯を与えられた。
16:20 島はすべて逃げ去り、山々は見えなくなった。
16:21 また、一タラントほどの大きな雹が、人々の上に天から降って来た。人々は、この雹の災害のため、神にけがしごとを言った。その災害が非常に激しかったからである。
いよいよ、長かった大患難時代が締めくくられます。
でもそれは、この世界の終わりを意味してもいるんです。
イエス様は、この様に世界の終わりがあり、その時に羊とやぎが、よい麦と毒麦が分けられる時が必ず来ると言っていました。
いよいよその時の訪れを、ヨハネは幻の中で見るわけです。
この後、15章から16章にかけて、いよいよ最後の裁きに起る出来事がもう少し具体的に描かれています。
7人の御使いが再び登場し、7つの金の鉢が地にぶちまけられて行くんですね。
それは、神の激し怒りの七つの鉢(16:1)であると、黙示録の中では言われています。
この7つの鉢の災いで起る一つ一つの事は、この前に起った7つのラッパの災いと似ています。
でも決定的に違うのは、その規模と威力が圧倒的なのです。
その時何が起るのかという事は、黙示録を読んでいただければ分る事なので、今日はあえて詳しい所は見る事をせず、聖書の他のところを通してこの大患難時代と裁きの意味を、もう一度考えていきたいと思います。
① 最後のその時まで・・・
わたし達は、裁きとか滅びと聞くと、とても怖くなってきて、「神様はどうしてそんな事をするのだろう?」と思ったりする事もあります。
でもそれと同時に、この世界に悪が栄えている事に疑問を抱き、怒りを覚える事があるのも事実です。
善いものが祝福を受け、悪いものは滅びるのがあるべきかたちなのに、現実には善い人や何の悪い事もしていない人達が虐げられ、悪人が力を得てのさばってしまうのをわたし達は目にします。
「神様はどうして、悪がはびこる事をお許しになるのだろうか?」
しかし、全てが清算される時がくるのだと、イエス様は言っていました。
マタイ 13:24 イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、こういう人にたとえることができます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。
13:25 ところが、人々の眠っている間に、彼の敵が来て麦の中に毒麦を蒔いて行った。
13:26 麦が芽生え、やがて実ったとき、毒麦も現われた。
13:27 それで、その家の主人のしもべたちが来て言った。『ご主人。畑には良い麦を蒔かれたのではありませんか。どうして毒麦が出たのでしょう。』
13:28 主人は言った。『敵のやったことです。』すると、しもべたちは言った。『では、私たちが行ってそれを抜き集めましょうか。』
13:29 だが、主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。
13:30 だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。』」
この世の終わりの時、麦と毒麦は分けられます。
麦は神様と共に天の御国に納められ、毒麦は滅ぼされます。
裁きの時というのは、全ての善と悪が清算される時なのです。
でも、その時が来るまで裁きは下されない。
麦も、毒麦も収穫の時が来るまでは一緒に育って行きます。
それは、本当に裁かれなければならないものだけを見極めるためです。
毒麦と思っていたものが、途中で悔い改めるかもしれない。
もしかしたらその毒が失われるかもしれない。
何か悪い事をしたらもうお終い!
あの人は毒麦だから滅ぼされるべきだという事ではないのです。
エゼキエル書にこのように書かれています。
エゼキエル18:23 わたしは悪者の死を喜ぶだろうか。――神である主の御告げ。――彼がその態度を悔い改めて、生きることを喜ばないだろうか。
神様は忍耐し、わたし達の心の扉をたたき、最後の時まで待ち続けて下さるのです。
② しつこ過ぎるほどの警告
だから神様は、終わりの時にもノアの洪水の時のように一度に滅ぼしてしまうという事をしません。
黙示録では、まるでもったいぶったように、裁きの時が始まってからこの世界が終わるまでに色々な事が描かれています。
ある人達は、だから黙示録は怖いのだと言います。
たくさんの災いが次から次へと起って、逃げ場はどこにもない。
単純に数えただけで、この災いは7つの封印、7つのラッパ、7つの金の鉢と21の災いが起るわけですが、まるで私たちをじわじわと追い詰めていくようだと感じる人もいるようです。
でも、この21の災いは、本当はわたし達を懲らしめ、裁きを与える事が目的の物ではありません。
ただ裁きを与えるなら、それこそ神様は、手の一振りで人類を滅ぼす事ができるはずです。
大患難時代に起る21の災いは、全て人々を悔い改めに導くための最後の警告なのです。
それだって、本当は1回や2回で十分でしょう。
それを神様は、21回もかけて、「早くしなさい。締め切るよ。」と教えてくれるのです。
3年間実がならなかったイチジクのたとえ話を覚えているでしょうか?
本来なら1年で実がなるはずのイチジクに3年間実がならない。
畑の主人が「そんな木は切り捨ててしまえ。」と言うのを畑の管理人は制し、「あと1年待って下さい。きっと実がなるはずです。」と願ったのです。
黙示録に描かれている21回の災いは、神様がわたし達ひとりひとりに対して、どれほど未練があり、どれほど悔い改めて自分の元に戻ってきて欲しいかを表しているようです。
わたし達は、この大患難時代を怖いだけの事のように思いますが、実はここには、神様の深い愛が隠されていると僕には思えるのです。
③ 麦と毒麦
最後にもう一つ、お話ししておく必要のある事があります。
それは、麦と毒麦、天の御国に挙げられる人、裁きを受けて滅ぼされる人はどのような基準で分けられるのかという事についてです。
普通に考えると、天国に行くのは正しい人達であり、裁きを受けるのは悪い人達ではないでしょうか?
その逆であるはずがありませんね。
事実、聖書にも正しい者たちは天の御国で太陽のように輝き、悪い者たちは毒麦が集められて火で焼かれるようになると言っています。
でもここに問題があります。
それは、聖書にはこの様にも書かれているからです。
ローマ 3:10 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。
3:11 悟りのある人はいない。神を求める人はいない。
3:12 すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。」
わたし達は神様から離れ罪人となってしまい、誰も行いによって天の御国に行く事はできなくなってしまったのです。
地上にいる誰も、十分に正しいと言える人はいない。
そのために、イエス様は地上に来て、十字架にかかって下さったのです。
そして、イエス様がわたし達の罪のために死んでくださり、贖って下さったのだと信じてその救いを受取るなら、わたし達は救いを手にします。
それは、行いとしては決して正しい者とはなれないわたし達を、神様は正しい者として見て下さるという事なのです。
この救いは、差別なく全ての人に開かれた、神様からの恵みです。
しかし、それでも受取らない人がいるのが、現実なのです。
イエス様のたとえ話では、毒麦は最後には火の中に放り込まれると書かれていました。
黙示録では、悪者は刈り取られ、最後には神の怒りの酒ぶねの中に入れられ、秘密分されてしまうと書かれています。
地獄の中での永遠の裁きというものが実際どのようなものなのか、わたし達は聖書の言葉から推測する事しかできません。
しかし、どう軽く見積もっても、わたし達が行く事を全力で避けたいと思うような場所である事は確かです。
出来るならば、神様は全ての人が救いを手にして欲しいと願っています。
まだ救いを手にしていないなら、ぜひ共それを自分のものとして下さい。
わたし達は、ただ信じればその救いを手にする事ができるのです。
また、わたし達の周りにいる家族や、愛する大切な人達の中にも、救いを手にしていない人達がいるのではないかと思います。
その人達が主と出会う事ができるように、どうか本気で祈っていただきたいのです。
終わりの時がいつ来るのかはわかりません。
しかし、その時は確実に近づいているのです。