イザヤ40:28-31 『主を待ちのぞむ者は』 2010/08/29 松田健太郎牧師

イザヤ40:28~31
40:28 あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。
40:29 疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。
40:30 若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。
40:31 しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

僕がアメリカから日本に帰国して13年くらいになると思いますが、帰国当初からずっと感じている事があります。
それは、日本人は疲れているなぁという事です。
特に、平日の朝電車に乗っていると、それをとても実感します。
ま~、東西線は疲れを見せている暇がないほど込み合うんですけどね。(笑)

一昔前は、おじさん達は疲れていても、若者は元気だったような気がしますが、最近は若者も疲れ果てているように見えます。
昔も今も変わらず、おばさまたちは元気そうな気もしますが、でもそうでもないんですね。
声の大きさはあまり変わっていないようですが、話す内容が暗いのです。
精神的な部分では、やはり相当疲れているように思います。

みんな疲れているんだなぁという事を象徴している事のひとつは、栄養ドリンクの売れ行きです。
最近は栄養ドリンクは日本だけのものではなく、アメリカでも売り上げを伸ばしているそうです。
この慢性的な疲労は、世界中に広がっているんですね。

皆さんは、栄養ドリンクを飲みますか?
僕も疲れたときなどは何百円かするようなものを買うことはあります。
でも実は、先日ちょっと残念なことを聞きました。
栄養ドリンクに入っている成分のほとんどは似たようなもので、安いものも高いものも大して差はないのだそうです。
しかも、栄養ドリンクの元気を出させる成分は漢方的なもので、即効性があるものではありません。
飲んで元気が出たように感じるのは、カフェインなどによって興奮状態になっているのであって、それを飲むことによって元気が回復しているわけではないのです。
まぁ何の役にもたたないわけではないですが、必要なら一番安いものを買っていればそれで十分なわけですね。

わたし達は、どうしていつも疲れているのでしょう?
元気がないのでしょう?
働き過ぎで体力的な疲労がつのっているという事もあるのでしょうが、体の疲れならある程度回復するんですよね。
しかしそれ以上に深刻なのは、精神的な疲れなのではないかと思います。
精神的な疲れはなかなか回復せず、肉体的な疲労にまで影響を与えます。
そして精神的な疲れは、生きていく力さえも奪ってしまうものだからです。

この疲れがどこからくるのか?
原因はいろいろあるでしょう。
でもそれを総括して考えた時、僕は一つの事が大きな原因になっているのではないかと思うのです。
それは、一言で言えば、間違ったものに対する期待です。
間違ったものに対する期待が、わたし達の心を疲れさせ、わたし達から元気を奪っているのではないかと、僕は思うのです。

わたし達はお金があったら何でも手に入るので幸せになれると期待するのですが、お金をどれだけ持っても幸せになるためにはまだ足りず、もっと必要だと感じるのです。
そうして働いている内に、自分はお金と仕事の奴隷になって、何にも幸せになっていないことに気がつくんですよね。

彼氏が、彼女がいたら幸せになれると信じて心を許し、体まで許してしまうけれど、期待した彼氏や彼女にはやっぱり欠点があって、この彼氏・彼女では自分を幸せにはできないことがわかってしまう。

この仕事はやりがいがあると思って、キャリアを積んで努力を惜しまず、趣味も家族も省みずに仕事に打ち込んでいた時、会社はある日突然リストラを申し渡します。

ある人は、夢こそがわたし達を幸せにしてくれると思います。
しかし、時として夢はわたし達から生活力を奪い、家族との時間を奪い、気がついてみれば大きな借金だけが残されるという事も少なくはありません。

わたし達は幸せになりたいと思って、趣味が、友達が、家族が、仕事が幸せにしてくれる事を期待するのですが、幸せは一向にやってきません。
そして、その期待がはかなくも裏切られた時、わたし達の心は挫け、傷つき、大きな疲れを経験します。
そして、そこから立ち直る事が、なかなかできないのです。

皆さんは、今、疲れていませんか?
そのような傷を受け、挫折し、失望の中にいたりはしませんか?
もし、心に疲れを感じているなら、イエス様がこのように言っているのを聞いていただきたいのです。

マタイ 11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

もし、今みなさんが精神的な疲れの中にあるなら、何かに裏切られたり、がっかりさせられたり、希望を失ってしまっているなら、今こそイエス様の元に来る時だよと聖書は語っています。

わたし達はこれまで、間違ったものに望みを持ってきたのです。
わたし達は、心の真ん中にある穴を何とか埋めるために、色々なものでその空虚感を満たそうとしてきたのです。
しかし、その空虚を満たす事ができるのは、神様だけです。
その穴は、わたし達の心の中心に神様がいない事によってできている穴なのですから。

わたし達が、その穴を別のもので満たそうとするのを止めて、神様に来ていただく時、わたし達にどんな事が起るのかという事が、先ほど読んだイザヤ書の中にかいてあります。

イザヤ 40:28 あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。
40:29 疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。
40:30 若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。
40:31 しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

ワシという鳥を、みなさんは見た事があるでしょうか?
とっても大きな鳥なのですが、この鳥は他の小さな鳥達とは違う飛び方をします。
それは、小さな鳥のように一生懸命羽ばたいて飛ぶのではなく、飛び上がる時にしばらくの間激しく羽ばたくと、上昇気流に乗って空高く舞い上がっていくのです。

わたし達はこれまで、自分の人生を自分の力で何とかしようとして、小さな羽根を一生懸命に羽ばたかせて飛ぼうとし続けてきたかもしれません。
でも、わたし達の小さな羽根ではあまり高くも飛べず、早く進む事もできず、何よりも疲れ果ててしまうのです。

でも今、わたし達はそれとは違う、新しい力を手にするのだと聖書は語っています。
今こそ、わたし達は信仰の翼を広げる時です。
その時神様は、聖なる上昇気流を吹かせ、わたし達はそれに乗って、これまで見た事もないようなさらなる高みにまで登っていくことができるのだと、神様はわたし達に語っているのです。

こうして、わたし達がイエス様と出会い、心からの満たしを体験する時、不思議な事が起り始めます。
あれほどわたし達が期待し、裏切られてきたお金や、仕事や、恋人や、家族や、夢が、祝福へと変わり、わたし達を更に満たしてくれるのを経験するようになるのです。
なぜならこの様なものは、“不幸なわたしを幸せにしてくれるもの”ではなく、“幸せなわたし達をさらに幸せにしてくれるもの”だからです。
そして、神様から得たその幸せは決してわたし達の中だけに留まらず、わたし達の周りにいる人達をも幸せにしていく力をもっているものなのです。

イースターの時、わたし達はひとつのビデオを見たのですが、この中にはそれを覚えている方もいらっしゃるでしょう。
それはニック・ブイヂチさんというオーストラリア人の男性の話でした。
ニック・ブイヂチさんは、生まれつき両手両足がありません。
両親が絶望を感じ、本人も8歳の時に自殺を試みたほど生きる事に望みが見いだせませんでしたが、イエス・キリストとの出会いが彼の人生を変えました。
今彼は、生きる事の勇気と喜びを伝えていろんな人たちのために公演をしています。

ビデオの中で、彼自身がこう語っています。
僕は手足を必要としていない。
イエス様が僕を支えているのを知っている。
僕には聖霊の翼があり、ワシのように飛ぶ事ができるのだから・・・。

皆さんは、疲れ、傷ついていないでしょうか?
もしそうだったとしても、「自分はなんてダメなんだ。」とは思わないでください。
イエス様は、「傷つき、疲れるなんてなんという信仰の薄いダメな人たちなんだ。」なんて言った事は一度もありません。
むしろイエス様は、いつでも傷つき、疲れている人たちと共にいました。
わたし達が傷つき、疲れているなら、それはわたし達にとってむしろチャンスなのです。
わたし達は傷つき、疲れているからこそ神様に助けを求める事ができ、その時に語りかけて下さる神様の呼びかけに応える事ができるからです。

そしてその辛さを身にしみてわかっているからこそ、そこから抜け出す事ができた時、同じような苦しみの中にある人達の助けとなる事ができるのです。

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