ネヘミヤ4:1-14 『 ネヘミヤに学ぶ人間性の回復③ 』 2014/11/02 松田健太郎牧師

ネヘミヤ4:1~14
4:1 サヌバラテは、私たちが城壁を修復していることを聞くと、怒り、また非常に憤慨して、ユダヤ人たちをあざけった。
4:2 彼はその同胞と、サマリヤの有力者たちの前で言った。「この哀れなユダヤ人たちは、いったい何をしているのか。あれを修復して、いけにえをささげようとするのか。一日で仕上げようとするのか。焼けてしまった石をちりあくたの山から生き返らせようとするのか。」
4:3 彼のそばにいたアモン人トビヤもまた、「彼らの建て直している城壁なら、一匹の狐が上っても、その石垣をくずしてしまうだろう」と言った。
4:4 「お聞きください、私たちの神。私たちは軽蔑されています。彼らのそしりを彼らの頭に返し、彼らが捕囚の地でかすめ奪われるようにしてください。
4:5 彼らの咎を赦すことなく、彼らの罪を御前からぬぐい去らないでください。彼らは建て直す者たちを侮辱したからです。」
4:6 こうして、私たちは城壁を建て直し、城壁はみな、その高さの半分まで継ぎ合わされた。民に働く気があったからである。
4:7 ところが、サヌバラテ、トビヤ、アラブ人、アモン人、アシュドデ人たちは、エルサレムの城壁の修復がはかどり、割れ目もふさがり始めたことを聞いたとき、非常に怒り、
4:8 彼らはみな共にエルサレムに攻め入り、混乱を起こそうと陰謀を企てた。
4:9 しかし私たちは、私たちの神に祈り、彼らに備えて日夜見張りを置いた。
4:10 そのとき、ユダの人々は言った。「荷をになう者の力は衰えているのに、ちりあくたは山をなしている。私たちは城壁を築くことはできない。」
4:11 一方、私たちの敵は言った。「彼らの知らないうちに、また見ないうちに、彼らの真ん中に入り込んで、彼らを殺し、その工事をやめさせよう。」
4:12 そこで、彼らの近くに住んでいたユダヤ人たちがやって来て、四方から十回も私たちに言った。「私たちのところに戻って来てほしい。」
4:13 そこで私は、民をその家族ごとに、城壁のうしろの低い所の、空地に、剣や槍や弓を持たせて配置した。
4:14 私は彼らが恐れているのを見て立ち上がり、おもだった人々や、代表者たち、およびその他の人々に言った。「彼らを恐れてはならない。大いなる恐るべき主を覚え、自分たちの兄弟、息子、娘、妻、また家のために戦いなさい。」

ネヘミヤ記を通して、人間性を回復していく方法を共に学んでいます。
ネヘミヤ記というのは、エルサレムの城壁を修復するという地味な話なのですが、城壁を私たち人間性と見立てて、回復していくプロセスを学んでいるのです。
人間性というのは、私たちの人格の事であり、知性、感情、意思によって構成されているという事を学びましたね。
私たちが抱える問題の多くは、この人間性の歪みや崩れから起こっている事です。
何か依存してしまったり、人間関係の中でトラブルが起きたり、するべき事ができず、やるべきでない事をしてしまうのは、人間性の壊れているために起こる事なのです。

私たちは表面の部分だけを整えて、治ったふりをしたり、何の問題もないようにふるまう事は得意なのですが、それでは何の解決にもなりません。
私たちが本当に癒されるためには、まず内側に宮が建てられ、そこに聖霊なる神様が住み、その聖霊の働きによって変えられていく必要があるのです。

そのためには、私たちが自分の王座から下りて、イエス様に座ってもらわなければなりません。
自分が全てをコントロールしようと擦る限り、私たちは表面をごまかす事しかできないのです。
神様を神様とし、イエス様を人生の王として、神様の導きに従って歩み、イエス様の命じるところによって様々な問題と向き合っていく時、そこには聖霊が働いて私たちは癒されていくのです。

ここまでが、2週間に渡ってお話ししてきたことの総まとめです。
今日は、私たちが聖霊によって人格を癒されていく体験をする時に直面する、別の問題について一緒に考えていきたいと思います。

① サタンのあざけり
ネヘミヤの呼びかけに答えて、人々がエルサレムの城壁を修復し始めた時、ユダヤ人たちに反対する者たちの中に、このような動きがありました。

ネヘミヤ 4:1 サヌバラテは、私たちが城壁を修復していることを聞くと、怒り、また非常に憤慨して、ユダヤ人たちをあざけった。

聖霊が働き、私たちが城壁である人格の問題に着工し始めた時、そこに必ず起こる事があります。
それは、私たちが癒され、成長してしまっては困る者たち、つまりサタンもまた働き始めるという事です。

彼らはまず、私たちをあざける事によってやる気を削ごうとしてきます。

ネヘミヤ 4:2 彼はその同胞と、サマリヤの有力者たちの前で言った。「この哀れなユダヤ人たちは、いったい何をしているのか。あれを修復して、いけにえをささげようとするのか。一日で仕上げようとするのか。焼けてしまった石をちりあくたの山から生き返らせようとするのか。」
4:3 彼のそばにいたアモン人トビヤもまた、「彼らの建て直している城壁なら、一匹の狐が上っても、その石垣をくずしてしまうだろう」と言った。

私たちは、神様の導きに従い、ひとつひとつの問題に向き合い、取り組んでいくわけですが、当然のことながら、問題はそう簡単には解決してきません。
どれだけ罪から離れようとしても、少しも改善されていかなくて、同じところをグルグル回っているだけのように感じる事があります。
やっと克服できたと思っていた矢先、もっと大きな別の問題を抱えていた事に気が付いてしまったり、そうこうしている内に結局振出しに戻ってしまっていたり・・・。

そんな時私たちは、周りから、そして自分自身の内から、このような声が聞こえてくるのを感じるのではないでしょうか?
「そんな状態で、神様を礼拝しようというのか?」
「自分自身をよく見てみろ。そんな人間が、神のために何の役に立てるというんだ。」
「そもそも、これまでの自分を考えてみろよ。そんな簡単にその弱さが克服できるはずがないじゃないか。それを証拠に、クリスチャンになったところでお前は何も変わっていないじゃないか。」

悪魔の嘘の巧みな所は、それが完全に口から出まかせと言うわけではないという事です。
それは確かに事実に基づいていて、私たちの中には相変わらず克服されていない弱さがあり、問題があり、それが周りの人たちに迷惑がかかる事にもなっているのです。
だから私たちの中で自信がなくなってきます。
そして自分を諦めてしまい、下手に神様の働きに関わろうとすることをやめたり、おとなしくほどほどの事をしていれば良いんじゃないかと思ってしまったりするのです。

② サタンの妨害
サタンの攻撃は、言葉や思いだけではありません。
時には実力行使に出てくることだってあります。

ネヘミヤ 4:7 ところが、サヌバラテ、トビヤ、アラブ人、アモン人、アシュドデ人たちは、エルサレムの城壁の修復がはかどり、割れ目もふさがり始めたことを聞いたとき、非常に怒り、
4:8 彼らはみな共にエルサレムに攻め入り、混乱を起こそうと陰謀を企てた。

サタンは、私たちが何かを始めようとしたり、成長して変わろうとしたり、主のための働きに関わろうとする時、妨害して城壁を建てようとすることをやめさせようとします。
私たちが城壁を回復させようとする時、サタンはなぜそんなに起こるのですか?

それは、私たちが癒されて、回復し、神のための働きをしていく事は、サタンにとってはかなり都合の悪い出来事だからです。
城壁が築き上げられていくと、サタンはそう簡単に私たちに手を出す事ができなくなってきます。
城壁がまだボロボロで崩しやすいうちに、そして防御力がまだ弱いうちに、私たちの力を根こそぎ奪ってしまおうとするのです。
だからサタンは、様々な方法で、私たちを陥れ、城壁再建を阻止しようとしてきます。

もちろん私たちも、やられっぱなしと言うわけではありません。

ネヘミヤ 4:9 しかし私たちは、私たちの神に祈り、彼らに備えて日夜見張りを置いた。

祈り、攻撃に備えるという事をするのです。
しかし、それがうまくいかない時もあります。
どれだけ守りを固めようとしていても、落ち込んでしまう事がありますよね。

ネヘミヤ 4:10 そのとき、ユダの人々は言った。「荷をになう者の力は衰えているのに、ちりあくたは山をなしている。私たちは城壁を築くことはできない。」

そういう時に、私たちは全てを諦めてしまいたくなります。
「どうせやっても変わらないじゃないか。」
「神様に従ったところで、やっぱり変わらない。自分はダメなんだ。」
「だったら、罪人としての自分のまま、楽に生きた方が良いんじゃないか?」
今、そのように感じている人はいないでしょうか?
あるいはすでに、城壁の建築をあきらめてしまった方はいないでしょうか?

でも、あきらめてしまってはおしまいです。
元の木阿弥、振出しに戻る。
せっかく築いてきたものが台無しになってしまうのでは、あまりに悲しい事ではないでしょうか?

 

③ あきらめないで
人々が恐れ、落胆し、諦め始めるのを見たネヘミヤは、彼らを励まし、力づけます。

ネヘミヤ 4:13 そこで私は、民をその家族ごとに、城壁のうしろの低い所の、空地に、剣や槍や弓を持たせて配置した。
4:14 私は彼らが恐れているのを見て立ち上がり、おもだった人々や、代表者たち、およびその他の人々に言った。「彼らを恐れてはならない。大いなる恐るべき主を覚え、自分たちの兄弟、息子、娘、妻、また家のために戦いなさい。」

私たちがダイエットや、禁煙に失敗する最大の原因は、私たちが途中であきらめて、自暴自棄になってしまうからだと、『スタンフォードの自分を変える教室』という本の中で、心理学者ケリー・マクゴニガルは書いています。
私たちの人間性の回復にも同じ事が言えます。
私たちは回復の途中で、何度も失敗しますし、元に戻ったように感じます。
敵の攻撃によって振出しに戻るような事もあるでしょう。
でも私たちは、戦う心を決して忘れてはなりません。
私たちはあきらめる事なく、何度でも立て直す覚悟が必要なのです。

僕は6月の初めくらいに、5つの事を見直していく計画を立てていました。
① 食生活の見直しと適度の運動。
② 一部の方だけ知っている、僕自身の弱さ、罪の克服。
③ 聖書通読、一日5章の復活。
④ お金の使い方の見直し。
⑤ 家の大掃除(断捨離的なこと)。

4番目以外の4つの事に取り組むことはできましたが、聖書通読以外は結局長続きせず、ほとんど元の状態に戻ってしまいました。
たった半年の間にこの有様です。
でも、これで終わりではないんですよ。
この計画は、例えば何キロ体重が減ったら終わりというものではありません。
自分の生活の中に問題を感じ、一生をかけて取り組む必要があると思っている事です。

今はたった半年で元に戻ってしまいましたが、だからこそこれからも取り組み続けていかなければならない事です。
諦めてやっぱりダメだったとドカ食いして、自堕落な生活に戻るのではなく、これからもまた気を付けていけばいいのです。

私たちの城壁工事は、一生のものです。
今の状態だけを見て、批判する声に惑わされないでください。
急いで変わろうとし過ぎて、体裁だけを整えないように気を付けて下さい。
ただ一歩一歩、聖霊に従って道を歩んでいく事しか、私たちにはできないのですから。

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