ルツ記1:1-10, 16-18 『ルツの信仰』 2009/08/16 松田健太郎牧師

ルツ記 1:1~10、16~18
1:1 さばきつかさが治めていたころ、この地にききんがあった。それで、ユダのベツレヘムの人が妻とふたりの息子を連れてモアブの野へ行き、そこに滞在することにした。
1:2 その人の名はエリメレク。妻の名はナオミ。ふたりの息子の名はマフロンとキルヨン。彼らはユダのベツレヘムの出のエフラテ人であった。彼らがモアブの野へ行き、そこにとどまっているとき、
1:3 ナオミの夫エリメレクは死に、彼女とふたりの息子があとに残された。
1:4 ふたりの息子はモアブの女を妻に迎えた。ひとりの名はオルパで、もうひとりの名はルツであった。こうして、彼らは約十年の間、そこに住んでいた。
1:5 しかし、マフロンとキルヨンのふたりもまた死んだ。こうしてナオミはふたりの子どもと夫に先立たれてしまった。
1:6 そこで、彼女は嫁たちと連れ立って、モアブの野から帰ろうとした。モアブの野でナオミは、主がご自分の民を顧みて彼らにパンを下さったと聞いたからである。
1:7 そこで、彼女はふたりの嫁といっしょに、今まで住んでいた所を出て、ユダの地へ戻るため帰途についた。
1:8 そのうちに、ナオミはふたりの嫁に、「あなたがたは、それぞれ自分の母の家へ帰りなさい。あなたがたが、なくなった者たちと私にしてくれたように、主があなたがたに恵みを賜わり、
1:9 あなたがたが、それぞれ夫の家で平和な暮らしができるように主がしてくださいますように。」と言った。そしてふたりに口づけしたので、彼女たちは声をあげて泣いた。
1:10 ふたりはナオミに言った。「いいえ。私たちは、あなたの民のところへあなたといっしょに帰ります。」

1:16 ルツは言った。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。
1:17 あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。」
1:18 ナオミは、ルツが自分といっしょに行こうと堅く決心しているのを見ると、もうそれ以上は何も言わなかった。

ルツ記は、これまでお話してきた士師の時代に起こった出来事が記された物語です。
実際に、どの士師が活躍していた時だったのかは定かではありませんが、恐らく士師記の後半、誰も士師がいない時期ではないかと思います。
士師記の最後はこのように締めくくられているんです。

士師記 21:25 そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた。

イスラエルにしっかりとした王も指導者もなく、人々が思いのままに生きていた時代です。
誰もが指針を失い、自分勝手に生きていく中で、イスラエルはたくさんの悲劇を経験します。
そのような経験を通して、人々の中には自分たちには指導者が必要だという思いが募っていきました。

こうして、イスラエルの中で王の必要性を実感していく足がかりであるこの時代に、ルツ記というひとつの小さな物語が挿入されているのです。
そうして考えると、ルツ記は大きな時代の潮流の中で、その流れに巻き込まれた一個人の話でしかないように思いますが、そのような物語が聖書に入れられているのには理由があります。
それは、このルツの子孫からダビデが生まれ、そしてメシヤが誕生していく事になるからです。
今日はルツの物語を通して、神様がわたし達に語りかけようとしているメッセージを共に受け取っていきたいと思います。

① ナオミを襲った不幸
聖書には、神様がイスラエルの人々や、わたし達クリスチャンに宛てた戒めの言葉が記されています。
その多くは、律法という形で与えられる、道徳的な戒めや、宗教的な約束事です。
しかし中には、もっと直接的にわたし達に指針を示し、わたし達を守るために導きを与えてくれる事もあります。
それは時として、わたし達には意味の分からないことも少なくはないのですが、神様の目には全て理由があって、目的をもってわたし達に伝えてくださっているものなのです。

イスラエルという民は、神様によって祭司の民族として選ばれた人々です。
そのために彼らは、自分自身の環境を聖く保ち、俗的なものである他の人々とは交わってはならないという戒めを持っていました。
彼らは、純粋のための断絶、それが彼らの背負う宿命でした。

さてこの時代、イスラエルは大きな飢饉に見舞われました。
彼らが住んでいた地は、神様に与えられた、乳と蜜が流れる豊かな約束の地のはずです。
しかし彼らが神様から離れた時、神様の祝福もまた、彼らを離れてしまうのでした。

彼らはこれまでにも、他民族の侵略を何度も受けて、自分たちの罪に気づかされてきましたが、今回は飢饉という形で試練が訪れたのです。
これまでと同じように、この時彼らに求められていたこともまた、神様に立ち返るという事だったでしょう。
しかし、多くの人々はその地から移住するなどして、自分たちの解決法でこの苦難を乗り超えようとしたのです。

ベツレヘムという町に住んでいたエリメレクとその妻ナオミというふたりのイスラエル人もまた、そんな人たちでした。
彼らは食べていく事が難しくなり、イスラエルを離れ、モアブという地に逃れることにしたのです。

モアブというのは、アブラハムの甥ロトの子孫たちが住む国です。
そういう意味では、遠く遡れば親戚同士になるわけですが、彼らは堕落して真の神様から離れ、イスラエルとは敵同士になった事もある国民でした。
神様は、モーセの時代にこの様に言って、彼らがモアブ人とは交わらないようにと戒めを与えています。

申命記 23:3 アモン人とモアブ人は主の集会に加わってはならない。その十代目の子孫さえ、決して、主の集会に、はいることはできない。

イスラエル人は、彼らとの交わりを持ってもいけないはずでした。
それは、モアブ人たちが大きな罪の中にあって、イスラエル人たちに悪影響を及ぼす存在だったからです。
しかし、指導者もなく自分勝手に生きていた彼らは、そのような戒めをまったく無視して、自分の必要のためにモアブに移り住み、ふたりの息子たちはモアブ人たちの妻を迎えたのです。

エリメレクたちにとって、神様の命令を無視して、自分の都合でモアブに移り住み、モアブ人の嫁を迎えた事は大きな失敗でした。
結果として、彼らは神様の祝福を完全に失い、自分自身と、ふたりの息子たちの命を失う事になってしまったのです。

遺されたのは、妻のナオミとふたりの嫁たち、オルパとルツだけでした。
しかし、罪と失敗が招いたこの様な不幸をも用いて、主は偉大なご計画を実行に移そうとされていたのでした。

② ナオミの信仰
さてそんな折、主がイスラエルを顧みてパンを下さったという噂が、ナオミの耳に聞こえてきました。
飢饉が去ったのです。
ナオミは、夫も息子たちもすべて失ってしまったこの土地を去り、イスラエルに戻る決断をしました。
自分の生まれ故郷に帰る事ができるのは、彼女にとってどれほど嬉しい事だったでしょう。
ナオミは当然のように嫁たちと一緒にイスラエルへの帰路に着きましたが、途中ではたと気づきます。
“これから行く土地は、この娘たちにとっては見たこともない国だ。
自分と同じく夫を失ってしまったこの娘たちにとって、見知らぬ国で生きるということはどれ程の意味があるだろう。
自分が感じていたように、寂しくて辛い思いをさせることになるだけではないのか?“

ナオミはふたりを説得し、それぞれ自分の故郷に帰るようにと話しました。

1:8 そのうちに、ナオミはふたりの嫁に、「あなたがたは、それぞれ自分の母の家へ帰りなさい。あなたがたが、なくなった者たちと私にしてくれたように、主があなたがたに恵みを賜わり、1:9 あなたがたが、それぞれ夫の家で平和な暮らしができるように主がしてくださいますように。」と言った。そしてふたりに口づけしたので、彼女たちは声をあげて泣いた。

一度はその申し出を断りましたが、オルパはナオミの勧めに従って、自分の国に帰る事にしました。
一方ルツの方は、ナオミとの別れを惜しんで、帰ろうとはしませんでした。
そして、ナオミと共にイスラエルに行く気持ちに変わりはないと告げたのです。

1:16 ルツは言った。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。
1:17 あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。」

ナオミは、自分の信仰をふたりに押し付ける事をしませんでした。
彼女はふたりを祝福し、それぞれの地で平和な暮らしができるようにと祈ったのです。
しかし、ルツは自分の故郷も神々も捨てて、ナオミと共に行くと言いました。
そして、『あなたの神が私の神です。』と信仰告白をしたのです。

わたし達はナオミの信仰の中に、家族伝道のあり方を見るような気がします。
わたし達は家族に、福音を伝えていく必要はありますが、無理やり信仰を持たせる事はできません。
馬に無理やり水を飲ませる事はできないとよく言いますね。
しかし、馬だって喉が渇くのです。
わたし達が水をおいしそうに飲んでいれば、その水を飲みたいと思うのではないでしょうか。

強制によって信仰に導かれるのではなく、また言葉や理屈によって説得されるのでもなく、ルツはナオミの生き様の中に真の神様の真実を見ました。
わたし達が、喜びをもって神様と共に歩んでいれば、わたし達の周りにいる人たちも魂の渇きを覚え、自然と神様を求める事ができるのではないかと思うのです。

③ ルツの信仰
一方で、もうひとつ取り上げなければならないのは、ルツの素直な信仰です。

ルカ 18:17 まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」

と、イエス様は言っています。
この、子供のような素直な信仰を、ルツはもっていました。

ナオミと別れたくないという思いがあったのは確かでしょう。
しかし未亡人になったルツにとって、これから誰も知らない地で、夫もなく、姑と共に生きるという事はどれほど大変な状況でしょうか。
ナオミに「自分の家族のもとに帰りなさい。」と許可されたのですから、そうすればよかったのです。
その方がどれほど楽だったでしょうか。

しかし、ルツはナオミと共に行く道を選びました。
それは、ルツがナオミと離れたくないという執着や、ナオミを気の毒に思う気持ちではなく、真の神様との関係を思ったからなのです。

ナオミに祝福を祈られたオルパも、きっと素晴らしい人生を送る事ができたでしょう。
しかし、ナオミと共に真の神ヤハウェに仕える事を選んだルツは、メシヤの祖先になるという素晴らしい神様の恵みを手にすることになりました。

ルツは異邦人です。
しかもモアブ人は、ロトと娘との近親相姦から生まれ、イスラエルとは交わりを持ってはならないとまで戒められた、穢れた民族です。
本来はあってはならない事。
それによって、ナオミは喜びを失い、絶望感の中でベツレヘムに戻ってきました。

しかし、このような最悪の事態を用いて、神様が人類救済の素晴らしい計画を進められるというのは驚くべき事です。
これは、彼らがこのような罪を犯さなければメシヤが生まれなかったという事ではありませんよ。
『神は石ころからでもアブラハムの子を起こすことができる。』とバプテスマのヨハネが言った様に、神様はどんな経路ででもメシヤを地上に送る事ができたでしょう。
しかし神様はあえて、この罪と汚れの中からメシヤを生まれさせたのです。

それは、汚れを知らず、気高く、高貴であるはずの神の子がわたし達と交わるためです。
そして、罪のために苦しむわたし達の絶望をメシヤが全て覆い尽くし、わたし達の罪をすべて贖うためです。
そんな神様の愛が、わたし達の上には注がれているのです。

ローマ 11:33 ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。
11:34 なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが主のご計画にあずかったのですか。
11:35 また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。
11:36 というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。
どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。

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