創世記19:12-29 『ソドムとゴモラの滅び』 2008/08/03 松田健太郎牧師

創世記 19:12~29
19:12 ふたりはロトに言った。「ほかにあなたの身内の者がここにいますか。あなたの婿やあなたの息子、娘、あるいはこの町にいるあなたの身内の者をみな、この場所から連れ出しなさい。
19:13 わたしたちはこの場所を滅ぼそうとしているからです。彼らに対する叫びが主の前で大きくなったので、主はこの町を滅ぼすために、わたしたちを遣わされたのです。」
19:14 そこでロトは出て行き、娘たちをめとった婿たちに告げて言った。「立ってこの場所から出て行きなさい。主がこの町を滅ぼそうとしておられるから。」しかし、彼の婿たちには、それは冗談のように思われた。
19:15 夜が明けるころ、御使いたちはロトを促して言った。「さあ立って、あなたの妻と、ここにいるふたりの娘たちを連れて行きなさい。さもないと、あなたはこの町の咎のために滅ぼし尽くされてしまおう。」
19:16 しかし彼はためらっていた。すると、その人たちは彼の手と彼の妻の手と、ふたりの娘の手をつかんだ。――主の彼に対するあわれみによる。そして彼らを連れ出し、町の外に置いた。
19:17 彼らを外のほうに連れ出したとき、そのひとりは言った。「いのちがけで逃げなさい。うしろを振り返ってはいけない。この低地のどこででも立ち止まってはならない。山に逃げなさい。さもないと滅ぼされてしまう。」
19:18 ロトは彼らに言った。「主よ。どうか、そんなことになりませんように。
19:19 ご覧ください。このしもべはあなたの心にかない、あなたは私のいのちを救って大きな恵みを与えてくださいました。しかし、私は、山に逃げることができません。わざわいが追いついて、たぶん私は死ぬでしょう。
19:20 ご覧ください。あそこの町は、のがれるのに近いのです。しかもあんなに小さいのです。どうか、あそこに逃げさせてください。あんなに小さいではありませんか。私のいのちを生かしてください。」
19:21 その人は彼に言った。「よろしい。わたしはこのことでも、あなたの願いを入れ、あなたの言うその町を滅ぼすまい。
19:22 急いでそこへのがれなさい。あなたがあそこにはいるまでは、わたしは何もできないから。」それゆえ、その町の名はツォアルと呼ばれた。
19:23 太陽が地上に上ったころ、ロトはツォアルに着いた。
19:24 そのとき、主はソドムとゴモラの上に、硫黄の火を天の主のところから降らせ、
19:25 これらの町々と低地全体と、その町々の住民と、その地の植物をみな滅ぼされた。
19:26 ロトのうしろにいた彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまった。
19:27 翌朝早く、アブラハムは、かつて主の前に立ったあの場所に行った。
19:28 彼がソドムとゴモラのほう、それに低地の全地方を見おろすと、見よ、まるでかまどの煙のようにその地の煙が立ち上っていた。
19:29 こうして、神が低地の町々を滅ぼされたとき、神はアブラハムを覚えておられた。それで、ロトが住んでいた町々を滅ぼされたとき、神はロトをその破壊の中からのがれさせた。

ここ数年、偽装問題がメディアの話題となっています。
製造年月日を偽ったり、製造場所を偽ったり、建物の耐震強度を偽ったりという事がたくさんありました。
偽装問題とは違うかもしれませんが、有名日本料理店でさしみのつまの使いまわしがあったりもしましたね。
ごまかせるところではごまかすという事がまかり通っています。
もう、何を信じていいのかわらないという声もたくさん聞かれるようです。

どうしてこんなにも、偽装問題が起こってしまうのでしょうか?
これだけメディアで騒がれているのですから、このようなごまかしが悪いことだという事は誰にでもわかっている事だと思います。
しかし、それを指示している人も、作業をしている人も、誰も改善しようとしないのです。
「これくらいの事は、誰でもやっている。」
「黙っていれば、誰も気づかない。」
「どうせみんながやっている事だし、自分だけ馬鹿正直にやっていたら損をしてしまう。」
「悪い事だけれど、自分がこれを注意したら仕事がなくなってしまうかもしれない。」
こうして会社の中でモラルが低下し、ごまかしが行われていくのでしょう。

このような腐敗は会社の中だけでなく、社会全体を通して見ることができますね。
モラルの低下が広がった環境で、自制心をもって正しい事をするのは難しい事です。
それが当たり前の環境になってしまうと、善悪の判断がだんだんつきにくくなってしまうという事もあります。
ソドムやゴモラに起こったのも、そのような事だったのではないでしょうか。
罪に覆われて収集不能の状態になった時、神様はこの町に裁きを下して、滅ぼしてしまうしかなくなってしまっていたのです。

① この世界で生きていくために
ロトがアブラハムと別れを告げてから、20年以上の月日が経っていました。
しかし、この20年がふたりの人生を大きく変えることとなったのです。
貧しい土地カナンに移り住んだアブラハムは祝福を受け、一年後には子供を与えられる事事になっていました。
一方で、豊かな地を選んだはずのロトは、罪にまみれた価値観に少しずつ蝕まれていたのです。

アブラハムたちに、来年には子供が授かると告げた御使いたちは、ソドムを訪れました。
その門の所には、ロトが座っていたと書かれていますね。
門は生活の中心であり、そこで裁判や商業的な取引も行われていました。
そこに座っていたという事は、ロトには町でそれなりの地位が与えられていたという事だろうと言われています。
さて、ロトは御使いたちを見つけると、アブラハムと同じように彼らを家に招き、食事をふるまいました。
アブラハムと共に生活していた頃から、旅人をもてなす事はしっかりと身についていた習慣でした。

しかしその夜、ソドムの人々がロトの家に押し寄せました。
彼の家を訪れた旅人達をなぶりものにしようというのです。
ここに、ソドムの人々は墓穴を掘ってしまう事となりました。
彼らは、主がソドムの様子を調べるために送った人たちに対して、自らの罪を明らかにしてしまったのです。

ロトもまた、この様な暴虐から旅人達を守ろうとしましたが、その対応にも問題がありました。

創世記 19:7 そして言った。「兄弟たちよ。どうか悪いことはしないでください。
19:8 お願いですから。私にはまだ男を知らない二人の娘があります。娘たちをみなの前に連れて来ますから、あなたがたの好きなようにしてください。ただ、あの人たちには何もしないでください。あの人たちは私の屋根の下に身を寄せたのですから。」

ロトは、旅人達を守るために、自分の娘を身代わりにしようとしたのです。
彼としては、客である御使い達をかばうために申し出た事でしたが、自分の娘を犠牲にして町の人々に差し出すという手段は、決して神様の目にかなうものではありません。
彼がソドムで過ごしてきた20年の間に、彼の中の善意は少しずつ歪められ、何が正しい事で何が間違っているのかという価値観がおかしくなってしまっていたのです。

私たちもまた、罪にまみれたこの世界の中で生きています。
世捨て人となる事が正しいわけではありませんし、私達にはむしろこの世界で生きて、人々に福音を伝えるという使命があります。
私達にはこの世界で地の塩となり、世の光となる義務が与えられています。
しかし私達には、どうしても影響を与える事ができないという環境もあります。
それ以上に、私たちが受ける誘惑や、歪んだ影響の力が強く、私たちが罪に飲み込まれてしまう事もあるのです。
多くの牧師や教師、奉仕者達が、そのような罪の力に飲み込まれて一線を退いていくというような事が、今でもたくさん起こっています。

その様な環境の中で、私達はどのようにして自分の信仰を保っていくことができるのでしょうか。
それは、私たちがひたすら主を見上げていくという事しかないと思います。
私達はこの世界で生きながらも、この世界の価値観に揺さぶられる事なく、信仰によってしっかり足元を固める必要があります。
そうでなければ、私たちは簡単に土台を失って、流されてしまうでしょう。

イエス様は、この世界に残された私達のためにこの様に祈っています。

ヨハネ 17:15 彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。
17:16 わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。

私達はこの世界に生きていても、私たちが属するのはこの世ではなく神様です。
私達はそこに確信をもって、主に従って生きていきたいですね。

② 主のあわれみ
さてソドムは、まさに手のつけられない状況となっていました。
先週の話で、神様はアブラハムと約束し、10人でも正しい人がいたら、この町を滅ぼさないという事を決めたのを覚えているでしょうか。
しかし、この町で主に従う者は、10人さえ満たしませんでした。
そればかりかソドムの罪は頂点を極め、この世界から滅ぼされてしまうしか方法がなくなってしまっていたのです。

ロトの家に押し寄せた人々を撃退すると、御使いたちはロトに自分達がこの町に来た理由を打ち明け、この地から離れるように言いました。

19:12 ふたりはロトに言った。「ほかにあなたの身内の者がここにいますか。あなたの婿やあなたの息子、娘、あるいはこの町にいるあなたの身内の者をみな、この場所から連れ出しなさい。
19:13 わたしたちはこの場所を滅ぼそうとしているからです。彼らに対する叫びが主の前で大きくなったので、主はこの町を滅ぼすために、わたしたちを遣わされたのです。」

アブラハムの執り成しの中に含まれていた思いを、主はご存知でした。
ソドム全体を救う事はかなわないまでも、アブラハムの甥であるロトにだけは、このようにして主からのメッセージが届けられたのです。
しかし彼らは、これからこの町が滅ぼされると、知っているだけではだめでした。
当前の事ですが、ソドムの町はこれから滅ぼされてしまうので、その町から逃げなければならなかったのです。
この御使い達が伝えた事が真実である事を信じて、そこから逃げるのでなければ、ソドムと共に滅ぼされてしまうだけです。

私たちも、やがて裁きの時があり、今あるこの世界が滅ぼされてしまう時が来ると、聖書は教えています。
でも、私達はそれを知っているだけでは十分ではありません。
そこから逃れる必要があるのです。
そして、私たちが裁きの時にそこから救い出される方法は、神様が私達のために送ってくださったイエス・キリストを救い主として受け入れ、従う事です。
知っているだけでなく、私達はそれを信じ、救いを受け取らなければならないのです。

ロトの娘婿たちは、まさに救いの方法を知っていながらそれを信じず、救いを受け取らなかった者たちでした。

19:14 そこでロトは出て行き、娘たちをめとった婿たちに告げて言った。「立ってこの場所から出て行きなさい。主がこの町を滅ぼそうとしておられるから。」しかし、彼の婿たちには、それは冗談のように思われた。

この言葉は、とても象徴的ですね。
私達の周りにいる多くの人達は、この世界に終わりの時が来る、救いを受け取るためにはイエス・キリストを主として信じなければならないなどという事は、冗談のように思います。
そんな事はありえない。
そんな非科学的なことを信じる事はできないと、人々は言うかもしれません。
私たちは、目の前の幸福だけを追求して、自分の欲望を満たす事にばかり心を奪われていると、本当に必要なものを見失ってしまいます。
だからこそイエス様は、この世の倉庫にではなく、天に宝を蓄えなさいと私たちに教えているのではないでしょうか。
皆さんが、今の幸せを追求するだけでなく、天に宝を蓄える事ができますように、心から願っています。

③ 振り向いてはならない。
御使いたちはロトに、山まで一目散に逃げなさいと伝えました。

19:17 彼らを外のほうに連れ出したとき、そのひとりは言った。「いのちがけで逃げなさい。うしろを振り返ってはいけない。この低地のどこででも立ち止まってはならない。山に逃げなさい。さもないと滅ぼされてしまう。」

しかしロトは気弱に、山まで逃げ切る事はできないから、近くの町のツォアルまでで赦して欲しいと言いました。
主は哀れみによってそれを聞き届け、ロトがツォアルに入るまでは裁きを下さないと約束しました。
そして夜明け前、ロトたちがツォアルに到着すると、それと共に天から硫黄の火が、ソドムとゴモラがあった場所に降り注いだのです。
その時ロトの妻は、ソドムの町を振り返り、塩の柱となってしまいました。

ロトの妻が、この時何を思って振り返ったのかはわかりません。
ただ言えるのは、主がしてはならないと言う言葉を侮った結果は、取り返しのつかない状況だったという事です。
私達には、クリスチャンとなって新しい命に生きる前に持っていたたくさんの栄光があるかもしれません。
これから生きるために有益だったり、必要ではないかと思うようなものもあるかもしれません。
しかし、私達はそれらのものを振り返ることなく、ただ主に向かって真っ直ぐ進まなければならない時があります。
必要なものは主が備えてくださると信じて、前を見て歩めばいいのです。

イエス様は、終わりの時に起こる事と、ロトたちに起こった出来事を重ね合わせて、この様に教えています。

ルカ 17:31 その日には、屋上にいる者は家に家財があっても、取り出しに降りてはいけません。同じように、畑にいる者も家に帰ってはいけません。
17:32 ロトの妻を思い出しなさい。
17:33 自分のいのちを救おうと努める者はそれを失い、それを失う者はいのちを保ちます。

④ アブラハムのとりなしがもたらしたもの
翌朝、アブラハムはソドムが見下ろせるあの丘の上に立っていました。
そこから見えたのは、ソドムとゴモラがあった場所から、かまどの煙のように立ち上る煙でした。
アブラハムはその時、ソドムとゴモラには正しい者が10人さえいなかったという事を知ったのです。では、アブラハムのとりなしの祈りは無意味だったのでしょうか?
いいえ、聖書にはこの様に書かれています。

19:29 こうして、神が低地の町々を滅ぼされたとき、神はアブラハムを覚えておられた。それで、ロトが住んでいた町々を滅ぼされたとき、神はロトをその破壊の中からのがれさせた。

アブラハムのとりなしによって、ロトたちは滅びから逃れる事ができました。
その救いチャンスを受け取る事ができたのは、ロトとふたりの娘だけではありましたが・・・。
私達のためにも、イエス様がとりなして祈ってます。
私達の正しさによってではなく、イエス様のとりなしによって、全ての人々に救いを受け取るチャンスが与えられています。
ひとりでも多くの方々が、そのチャンスを自分のものとすることができますように。

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